黒海でイギリス艦がロシアから警告の砲爆撃を受けたと見られます。海の国際ルールに反するというのが大方の見方のようですが、一方で正当な権利の行使とする見方も。

そこには、クリミア半島の帰属をめぐる問題が大いに関わっています。

ロシア沿岸警備隊がイギリス海軍駆逐艦に警告射撃 イギリスは否定?

 2021年6月23日(水)、クリミア半島に面する黒海冲を航行中であったイギリス海軍の45型駆逐艦「ディフェンダー」に対して、ロシアの沿岸警備隊に所属する艦艇と、ロシア海軍の戦闘爆撃機「Su-24」が接近し、「ディフェンダー」がロシアの領海を侵犯しているとして警告射撃と示威飛行を実施しました。

 ロシアの国防相も実際にそのような措置をとった旨をロシアメディアにコメントしていますが、しかし当のイギリス国防省は、そのような事態は発生していないとしたうえで、「ロシアは黒海で射撃演習を実施したものと考えている」という趣旨の声明を発表しています。

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イギリスの駆逐艦「ディフェンダー」(画像:イギリス海軍)。

領海内を軍艦が通航するのはオッケーなの?

 イギリス側のコメントがロシア側との対立を深めないためのある種の方便と考えれば、ロシア側は実際に警告射撃などの措置をとったものと考えるのが妥当です。そこで問題となるのは、果たして単純に領海内を通航している他国の軍艦に対してこのような措置をとることが国際法的に許されるかどうかという点です。

 海洋に関するさまざまなルールについて定める「国連海洋法条約(UNCLOS)」に基づけば、単純に他国の領海内を通航するだけであれば、たとえそれが軍艦であろうとも特段問題はありません(UNCLOS第17条)。これを「無害通航権」といいます。

 それではなぜ、ロシアはこの無害通航権が認められているはずの「ディフェンダー」に対して、前述のような措置をとったのでしょうか。これには、今回の事件が発生した海域をめぐるロシアとイギリスとのあいだにある見解の対立が深く関係していると筆者(稲葉義泰:軍事ライター)は考えます。

事件の核心は「クリミア半島」の扱い

 そもそも、今回「ディフェンダー」が航行していた海域はクリミア半島の沖合ですが、このクリミア半島は本来ウクライナの領土でした。ところが2014(平成26)年、ロシアによる軍事介入を経て成立した、このクリミア半島を領域とする「クリミア共和国」がウクライナからの一方的な独立を宣言し、その後このクリミア共和国がロシアに編入されたため、ロシアはクリミア半島を自国領土の一部であると主張しています。

従って、クリミア半島の沖合は自国の領海であり、ロシアにとってみれば「ディフェンダー」は自国領海内を航行していたと整理されるわけです。

英露がクリミア沖での軍艦の通航めぐり応酬 警告射撃に示威飛行…非はどちらに?

今回の事件の舞台とみられる海域(国土地理院の地図を加工)。

 ところが、一方のイギリスは全く異なる整理をしています。イギリス国防省によると、事件当時「ディフェンダー」は「ウクライナの領海内を無害通航していた」というのです。これは、そもそもクリミア共和国のウクライナからの独立、そしてそのロシアへの併合が国際法違反であり、従ってクリミア半島は現在でもウクライナの領土であるという整理に基づくものです。

 ちなみに、このような整理はイギリス独自のものではなく、世界主要国の共通の整理です。そのためイギリスにしてみれば、今回「ディフェンダー」が航行していたのはロシアではなくウクライナの領海内ということになるわけです。

ロシアがとった措置の考えられ得る根拠

 ただ、今回の事件が発生した海域をロシアの領海と仮定するにしても、先述したように領海内の軍艦には無害通航権が認められているはずです。それでは、ロシア側はどのような根拠で「ディフェンダー」に対して警告射撃や爆弾投下を実施したと考えられるのでしょうか。

 まず、ロシアの立場になって考えてみると、今回「ディフェンダー」は当該海域を「ウクライナの領海」と主張するために航行していたと考えられます。そのため、ロシアとしてはこれを自国の平和や安全を害する行動と捉え、「無害通航」を構成する要件のうち「無害性」が失われたと判断して、「ディフェンダー」が「無害でない通航」を行っていると整理した可能性が考えられます。

 その場合、ロシアは無害でない通航を行っている「ディフェンダー」に対して、UNCLOS第25条に基づき、無害でない通航を防止し、これをやめさせるために必要な措置をとることができます。

従って、今回の措置をこうした根拠に基づくものと整理することは可能です。

 もうひとつの可能性として考えられるのは、「ディフェンダー」が、領海に関するロシアの国内法令に違反したことを根拠に、「沿岸国の法令に違反し、かつ法令への遵守要請を無視した外国軍艦に対して領海外への退去を要請できる」と定めるUNCLOS第30条に基づく措置をとったというものです。これには過去に実例があり、2018年にロシアの沿岸警備隊の艦艇がウクライナの軍艦3隻に対して船体射撃をしたうえ、これらの艦艇を「国境侵犯」の罪で拿捕し、その乗員を拘束したという事件が発生しています。

ロシア側の行動に関する問題点

 それでは、今回のロシア側の行動は国際法的には問題ないのでしょうか。

 当該海域をロシア領海と仮定した場合には、ロシア側の措置が明確に国際法に違反するとはいえないかもしれません。たとえば、もしロシア側が2018年の事例のように「ディフェンダー」に対して停船を命じて乗り込みや拿捕を行っていれば、これは違法な執行管轄権の行使に該当しますし、直接攻撃した場合にはイギリスに対する武力攻撃と見做され、「ディフェンダー」による自衛権の行使さえも許容され得たでしょう。しかし今回、ロシア側の行動は警告射撃にとどまっています。

 ロシアの行動の根拠を、先述したふたつの内のどちらに求めるにせよ、領海外への退去を繰り返し要請してもなおこれに従わない艦艇に対して、沿岸国は領海外退去を促すための一定の措置をとることができます。この措置の具体的な内容についてはさまざまな議論がありますが、そのなかには一定の要件の下に警告射撃なども含まれ得るという解釈も広く存在します。また。ロシア側が公表した警告射撃時の動画を確認すると、まず警備艦艇は空に向かって機関砲の銃身を指向し、かつ「ディフェンダー」との距離も相当離れた状況で発砲していることから、今回の警告射撃は非常に抑制的なものであったことがうかがえます。そのため、今回のロシア側の行動をすぐさま明確な国際法違反と主張することは難しいのです。

英露がクリミア沖での軍艦の通航めぐり応酬 警告射撃に示威飛行…非はどちらに?

スホーイSu-24戦闘爆撃機(画像:スホーイ)。

 しかし、上記の整理はあくまでも「クリミア半島をロシア領と仮定した場合」の話です。実際には、その併合の過程などを踏まえると、イギリスの主張どおり、これをロシア領と認めることは極めて困難といえます。そのため、そもそもロシアがこのような措置をとる根拠自体が存在せず、ロシア側の行為が国際法に違反すると整理することは十分可能です。

 じつは、今回の事件の主役ともいうべき「ディフェンダー」は、イギリスの空母「クイーンエリザベス」を中心とする空母打撃群の一翼を担う艦艇であり、これから日本を含むインド太平洋地域を歴訪する予定となっています。その際、南シナ海や東シナ海でどのような活動に従事するのか、注目が集まります。

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