ANAの国内線機ボーイング787で導入が進んでいるのが、「手を触れずに出られることのできる化粧室の扉」です。世界初というこのアイテム、どのように生まれ、装備されたのでしょうか。

同社で開発・実装作業の中心となった担当者に、話を聞くことができました。

なぜ「足で開ける」ではなかったのか

 ANA(全日空)で運航されている旅客機の一部に、順次導入が進んでいるユニークなアイテムがあります。「手を触れずに出られる機内トイレのドア」です。新型コロナウイルス感染拡大下で進む航空会社の衛生対策の取り組みのひとつですが、このアイテムを導入したのは、世界初といいます。

 このドアはANAと旅客機の内装品などを手掛けるジャムコ(東京都立川市)が共同で開発したもの。これまで化粧室のドアは、手でロックを解除し、ドアを開けるものが一般的でしたが、今回ANAが導入したのは、手を触れることなく肘などを引っ掛ける形でロックを解除し、ドアを開けることができるタイプのものです。開発は2020年からスタートし、2021年4月30日に導入初号機が就航。2021年7月8日には、導入5機目のJA833A(ボーイング787-9)がデビューしました。

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2021年7月から「手を触れずに出られる機内トイレのドア」が設置されたボーイング787「JA833A」(乗りものニュース編集部撮影)。

 このドアが生まれるまで、どのような経緯があったのでしょうか。開発・実装作業の中心となったANA整備センター技術部 客室技術チームの渋谷英史さんに、話を聞くことができました。

――この新たな客室トイレのドアは、どのように生まれたのでしょうか?

 2020年の4月ごろから、ANAの商品企画部を中心に、お客様が安心してご利用いただけるようなアイテムを考えていました。

そのなかで、衛生対策として『コンビニで手を使わずに開けることができる冷蔵庫がある』ことをニュースで知ったスタッフが、旅客機の客室でもこれを生かせないか、と発案したのがきっかけのようです。そのころには旅客機の機内換気は優秀で、空気感染の可能性は著しく低いと知られてきてはいたものの、お客様へのご意見を伺った限りでも、化粧室の環境にご不安を持たれる意見も多かったのです。

――ドアを開ける際に足ではなく、ひじを使うとした理由はどういったところにあったのでしょうか?

 これは機内という特別な環境が関係しています。足で開けるのは、機内トイレのドアの構造上問題がありました。ドアの下部に通気口が備わっていますが、足で開ける部品を設置した場合、通気口の上にセットせざるを得ななかったのです。これではお客様の足をかけるときに体勢が不安定になってしまい、かえって手すりに掴まる必要があります。そのため、手を触れずに出られる方式を採用することにしました。

実は大変!? 「手を触れずに出られるトイレ」が当局お墨付きをもらうまで

――手を触れずに出られるトイレのドアが実機で採用されるまで、どのような経緯があったのでしょうか?

 まずはジャムコさんに依頼し、試作品を7つほどつくりました。普段の生活でひじなどを使ってドアを開けることはなかなかないので、『ひじを使ってハンドルを引く』ことをお客様にご理解いただけるデザインを考えるのに試行錯誤を重ねました。実は当初考えられたドアのハンドルは、ただの板のようなものだったのです。ただ、ジャムコさんでの検証結果では、それでは押してしまうことが多いという結果となりました。次は、丸いつり革のようなデザインにしてみると、握ってしまうという結果になりました。

このような試行錯誤の結果、現在のようなデザインに落ち着いたのち、ANAラウンジで検証し、お客様からの意見を集めることになったのです。

旅客機で世界初「手を触れずに出られるトイレのドア」どう実現? ANAに聞く挑戦の裏側

ANA整備センター技術部 客室技術チームの渋谷英史さん(2021年7月、乗りものニュース編集部撮影)。

――ラウンジでの検証後、機内への実装に向けた段階で、苦労したポイントなどはありましたか?

 ハンドルのデザインは、12月に最終確定しました。ただ、航空機に装着する部品には、技術的に厳格な要件があります。たとえば耐火性や強度などが、日本の航空局やFAA(アメリカ連邦航空局)、機体製造メーカーの求める基準をクリアしなければならないのです。耐火性についてはこれまで使用実績のある素材を使うことでクリアできましたが、強度の面をクリアするのには、苦労しました。このハンドルは、発想自体が世界的にも初めてなので、もちろん、誰もやったことがありませんでした。

――ハンドルの強度は、どのような基準が必要となるのでしょうか?

 たとえば、強度の試験のひとつに過重をかける『アビューズロードテスト』というものがあります。ここでは、押す、引く、上下とそれぞれの方向に負荷をかけるのです。上下方向の基準は比較的容易にクリアできた一方で、押す、引く方向の基準をクリアするのにかなり苦労しました。最終的にハンドルのベースとつなぐ部分を強化することで解決しました。

当たり前になる? 「手を触れずに出られるトイレ」

――「手を触れずに出られるトイレのドア」のハンドルのデザインが固まって、搭載初号機(ボーイング787-8。

JA817A)が2021年4月30日にデビューしました。スケジュール感としてはどうだったのでしょうか?

 通常こういった改修は、設計完了から承認を得て実装されるまでに、最低でも1年弱の時間がかかります。今回は4か月で実現したので、非常に短い期間で実装まで進めたと思います。なにせ新型コロナの衛生向上策なので、スピード感が非常に大切と考えていました。当初はゴールデンウイーク後の実装を目指していましたが、前倒しで路線に投入できました。

――今後はこのドアの実装をどの程度、進めるのでしょうか?

 今年度末までに、国内線用のボーイング787全機に実装を進めます。今後は国際線用のボーイング787や、777-300ERへの導入も検討している状況です。ただお客様の衛生・清潔を求めるニーズは、コロナが収まったあとも変わらないのではと思います。具体的な目途は立ってはいませんが、ゆくゆくはこういったアイテムの実装がスタンダードになるのかもしれません。

旅客機で世界初「手を触れずに出られるトイレのドア」どう実現? ANAに聞く挑戦の裏側

ANA「手を触れずに出られるトイレのドア」設置の様子(2021年7月、乗りものニュース編集部撮影)。

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 なお、渋谷さんによると、このトイレのドアをハンドル付きのものに変える作業には、「接着剤が完全に乾くまでの時間を含めると、1機あたり2日ほど」かかるそう。とくに、取り付けたハンドルの隙間に詰め物をして埋める仕上げ工程の「シーラント」作業は、「綺麗に仕上げるのには、結構時間がかかります」とのことです。

 ただ、丁寧にシーラントをするのは「ANAの客室整備士のプライド、マインド」とも。「そこまで丁寧にやってもお客様には気づかれないかもしれませんし、ハンドルの強度が変わるわけではありません。ただANAの客室整備士は、だれがやっても、同じように仕上げると思います」と渋谷さんは話しました。

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