第2次大戦においてドイツ軍が多用した急降下爆撃機のJu-87「スツーカ」。実はイタリア空軍でも使用していました。

なぜドイツ製急降下爆撃機を用いるに至ったのか、そしてドイツとは一変わったその使い方について見てみます。

新ジャンルの爆撃機開発と挫折

 第1次世界大戦で戦場に登場した航空機は、敵陣地や基地に爆弾を空から落とす「爆撃」という戦法を生み出しました。しかし当時の水平爆撃は命中精度が低く、特に小さな目標への精密爆撃には不利であったため、目標上空から50~60度の降下角度で突入することにより着弾誤差が少ない「急降下爆撃」という戦法の研究が大戦後から始まります。

 しかし、この戦法では急降下時と、爆弾投下した後の機首引き起こしの負荷に耐えられる強度を持つ機体が求められ、また降下速度があまりにも速くならないよう、スピードを制御するための特殊な制動板、いわゆる「ダイブブレーキ」の装備も必要でした。

 この急降下爆撃に比較的早い段階で着目したのがドイツです。ドイツではヒトラーによる再軍備宣言(1935年3月)の前からユンカース社が秘密裏に急降下爆撃機の開発を進め、宣言直後の1935(昭和10)年9月に初飛行、Ju 87「スツーカ」として採用しました。

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イタリア空軍第97急降下爆撃航空群に配備されたJu 87R-2「ピッキアテッロ」。迷彩はドイツ空軍のままだが、ドイツの国籍標識などは消されてイタリア機の白帯と白十字が描かれている(吉川和篤所蔵)。

 一方、同じころイタリアでも急降下爆撃機の開発は始まっており、1936(昭和11)年12月にサヴォイア・マルケッティ社で試作された双発単座(一人乗り)のSM.85型が初飛行に成功します。同機は木製で、胴体内の爆弾倉に800kgまで爆弾を搭載可能であり、フラップを兼ねたダイブブレーキを装備しているのが特徴でした。また、降下時の下方視界を確保する目的で、操縦席を機首先端の高い位置に設置した特異な外観を持ち、パイロットは胴体上部を腹這いで進んで上部窓から乗り込む形を採るという、一風変わった構造の機体でもありました。

 この乗り方はパイロットにとっては不便であり、さらに搭載するP7 RC35型空冷エンジンの出力不足(500馬力)による脚の遅さ(368km/h)や、運動性能の低さ、木製の機体構造に起因する脆弱性と急降下後の引き起こし性能の悪さなどから、軍用機としては失敗作でした。

 結局、SM.85型はイタリアが第2次世界大戦に参戦した1940(昭和15)年6月までに32機が量産されただけで、これらも敵機による地上攻撃への欺瞞用として飛行場に並べられたり、爆撃訓練の標的にされたりといった使い方で終わったのです。

ドイツから購入した「変人」という名の爆撃機

 とはいえ、イタリア空軍は急降下爆撃機をあきらめていませんでした。そこで、自国開発ではなく、イタリアは第2次世界大戦初戦の「電撃戦」で大きな戦果を挙げた同盟国ドイツのJu 87「スツーカ」の購入を決めます。

爆弾が跳ねる!? イタリアが「変人」と名付けたドイツ急降下爆撃機で行った攻撃法とは

1942年9月、シチリア島におけるJu 87R-4型のチェンニ大尉搭乗機。脚カバーには「ダイブするアヒル」をデザインした部隊マークと隊長機を示す赤線入りの青いペナントが描かれている(吉川和篤作画)。

 1940(昭和15)年7月には、イタリア人操縦士15名がドイツ占領下のオーストリア・グラーツにあった急降下爆撃学校で訓練をスタート。ここでJu-87「スツーカ」に初めて乗ったイタリア人操縦士たちは、それまでの鈍重なSM.85型と比較にならないほど高い性能をもつJu-87に驚き、その操縦性の良さに惚れ込んだのでした。

 また要員教育と並行してイタリア空軍へJu-87が順次引き渡されます。機体は初期型のB-1型およびB-2型、長距離飛行可能な改良型のR-2型、エンジン出力が向上しラジエーターグリル形状が変わったD-3型など総計159機。これらは地中海のマルタ島攻撃やギリシア・アルバニアおよび北アフリカ戦線に投入されました。

 なお、イタリアには元々、急降下爆撃機を表す「トゥッファトーレ」(元来は水泳の飛び込み選手という意味)という言葉がありましたが、Ju-87にはそれとは別に「ピッキアテッロ」という愛称が付与されています。これは元々「頭の少し変な人」の意味で、イタリアの航空用語で急降下を意味する「ピッキアーテ」と、「そいつを叩け!」という言葉の命令形「ピッキアテッロ!」に掛けたダブルミーニングの命名でした。

イタリア人が史上初めて行った新戦法

 その頃、イタリア空軍は限られた機数で地中海の艦船を攻撃する方法を模索していました。そのなかで、第97急降下爆撃航空群のジュゼッペ・チェンニ大尉は、急降下爆撃とは異なる反跳爆撃(スキップボミング)を着想します。

 これは、目標である敵艦船に対し、海面すれすれに迫りつつ水平飛行しながら爆弾を投下、爆弾は川面に投げた小石の様に跳飛しながら、敵艦船の舷側にぶつかり爆発するという攻撃方法でした。「水平爆撃」とも「急降下爆撃」とも異なる、“新戦法”といえる投弾方法であり、同様の戦法はアメリカ海軍やイギリス空軍も研究していましたが、史上初めて実戦で用いたのはイタリア空軍でした。

爆弾が跳ねる!? イタリアが「変人」と名付けたドイツ急降下爆撃機で行った攻撃法とは

チェンニ大尉が行った反跳爆撃(スキップボミング)の解説図。投下角度が急過ぎても高度が高過ぎても、舷側にはうまくヒットしない難しい戦法であった(吉川和篤作画)。

 1941(昭和16)年4月4日、ギリシャ北西部ケルキラ島付近の同国輸送船団に対してチェンニ大尉はこの反跳爆撃を敢行、輸送船「ササナ」(930トン)を見事撃沈し、護衛の砲艦「プッサ」(240トン)を大破させます。ギリシャ海軍はその新戦法に驚き、当初は魚雷攻撃を受けたと勘違いした程でした。なお第97急降下爆撃航空群は同月13日には水上機母艦「ツマイ」(1870トン)を大破させ、チェンニ大尉自身も続く戦果としてケルキラ湾で汽船「イオアナ」(1100トン)を沈めています。

 5月に入ると、同航空群は北アフリカのトブルク包囲戦に参加、イギリス輸送船団を迎え撃ちます。5月25日、7機のJu-87「スツーカ」は味方戦闘機による援護の下、タンカー「ヘルカ」(3740トン)と砲艦「グリムスバイ」(1990トン)を撃沈。6月29日には部隊はサルーム沖で駆逐艦「ウォーターヘン」(1110トン)を沈め、翌30日の船団攻撃では砲艦「クリケット」(625トン)を大破させました。

 ただ、この後は、消耗を続ける一方で大きな戦果を挙げることはなく、最終的に全機が本土に引き上げたため、イタリア人パイロットによるドイツ製急降下爆撃機による対艦攻撃は終わりを迎えています。

 Ju-87「スツーカ」というと、ドイツ軍による敵陸上目標への急降下爆撃や、3.7cm機関砲を搭載しての対戦車攻撃がよく知られますが、実はイタリア空軍も多数運用しており、対艦攻撃でも戦果を挙げていたのです。

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