第2次世界大戦中の対潜哨戒機には、前後左右を攻撃できる銃座がありました。しかし、いまでは銃座を備えた哨戒機はほぼ存在しません。
ロッキードP-2「ネプチューン」哨戒機シリーズは、アメリカで開発された傑作対潜哨戒機で、日本を始めとした西側各国などでも長期間にわたって運用されたベストセラー機です。総生産機数は約1200機に上ります。
そのような傑作機が生まれたのは、第2次世界大戦中のこと。終戦直前の1945(昭和20)年5月17日に初飛行しています。当時、アメリカ海軍は対潜水艦を含めた海洋哨戒機として、コンソリデーテッド社のPBY「カタリナ」飛行艇やPB4Y哨戒爆撃機(アメリカ陸軍向けB-24「リベレーター」爆撃機の派生型)、ロッキードPV-1「ヴェンチュラ」洋上哨戒機などを運用していました。
海上自衛隊のP-2対潜哨戒機(画像:海上自衛隊)。
哨戒機がターゲットとした潜水艦は当時、常に潜水航行している現代の潜水艦とは反対に、可能な限り水上航行をして攻撃時や退避時などに潜航する、いわば「可潜艦」とでも呼ぶべき存在でした。そのため、艦砲や機銃などを装備しており、大西洋戦域における対Uボート(ドイツ潜水艦の通称)戦で1対1のような状況においては、機動性の低い大型哨戒機などでは返り討ちに遭うようなこともありました。
そういった戦訓を受け、P-2「ネプチューン」は、長時間の洋上飛行が可能な長い航続距離だけでなく、潜水艦を含む各種艦船からの攻撃をかわせるよう優れた運動性能も要求されたのです。
加えて、P-2「ネプチューン」は、機首に20mm機銃を2挺、背部中央に12.7mm機銃の連装旋回式銃座を1基、さらに機尾にも12.7mmまたは20mmの機銃を2挺備えていました。
ちなみに、機首の20mm機銃は、潜水艦が浮上して対空戦闘を挑んできた場合や、攻撃目標が水上艦艇だった場合、相手の銃砲操作要員を機銃掃射によって排除するのにも使います。
そのため、なかには機首に20mm機銃6挺を集中装備して掃射能力を高めたタイプも造られています。なお、背部の旋回式銃座と尾部銃座は、敵戦闘機に襲われた際の自衛用ですが、尾部銃座については、浮上した潜水艦などを攻撃した際、その上をフライパスしたときに機銃掃射を加えることも考慮してのものでした。
イギリスの対潜哨戒機が対空ミサイルを装備したワケしかし第2次世界大戦後、技術の進歩で、潜水艦が徐々に浮上状態での対空戦闘を行わなくなっていったため、P-2「ネプチューン」についても機首と尾部の銃座は早々に廃止されました。特に尾部銃座に関しては、機尾から後ろにツンと突き出したMAD(磁気探知機)の装備に際して、機体の金属や搭載している電子機器との干渉を減らすため、機体からできるだけ離して装備する必要性もあっての廃止と変更でした。
唯一残った背部の旋回式銃座は、比較的低空を飛ぶ哨戒機の場合、敵戦闘機に上方から襲われるケースが多いこともあってしばらく残されていたものの、これも哨戒飛行中に敵戦闘機と遭遇する機会が激減して必要性がほぼなくなったため、その後撤去。以後、海洋哨戒機(対潜哨戒機)は、後継のP-3「オライオン」やP-8「ポセイドン」なども含めて銃座を装備することがほぼなくなっています。

1952年9月、日本本土に駐留していたアメリカ海軍航空隊のP-2「ネプチューン」対潜哨戒機。初期型のため、機首や機尾、背部に銃座(赤い矢印の部分)を備えている(画像:アメリカ海軍)。
ただ、銃座こそ備えていないものの、自衛用の空対空火器を搭載したことはあります。代表的なのは、1982(昭和57)年のフォークランド紛争に際し、イギリスの「ニムロッド」対潜哨戒機が、空対空ミサイルを搭載した例でしょう。
これは、「ニムロッド」が敵であるアルゼンチン軍の戦闘機と不意に会敵する可能性の高い海域を飛行することから、急遽アメリカ製の「サイドワインダー」ミサイルを運用できるよう改修され、同ミサイルを搭載して実戦に参加したものです。
かつてのプロペラ機時代の機銃座の増設とは異なり、サイドワインダー運用能力の追加は、機体設計上の大幅改修などを必要としないので、もしかしたら今後、緊迫する海域の洋上哨戒を行う場合、必要に応じてアメリカ海軍のボーイングP-8「ポセイドン」や日本の川崎P-1などにも、空対空ミサイルの運用能力が付与されることがあるかも知れません。