今では家電量販店や玩具店などで販売コーナーができるほど普及し、さまざまな用途に使われるようになった「ドローン」。最新IT技術と結び付けられることも多いデバイスですが、そのルーツは太平洋戦争中のアメリカにありました。
近年なにかと耳にする「ドローン」。無人航空機を指すこの言葉は、2000年頃から頻繁に聞くようになったため、最近開発されたもののように思われがちですが、じつは太平洋戦争中、アメリカ軍の兵器として登場したのが最初です。
陸上自衛隊が導入を進める「災害用UAV II型」。いわゆる小型ドローン(画像:陸上自衛隊)。
ドローンとは本来、英語圏でUAV(無人航空機)やUAS(無人航空システム)など、さまざまな呼び方をされる無人機の通称で、アメリカ軍が紛争地域で使っているRQ-1(MQ-1)「プレデター」やMQ-9「リーパー」といった無人攻撃機もドローンといえます。
一般的なドローンのイメージといえば、小型でヘリコプターのようなローターを複数そなえた姿を想像するでしょう。ネット動画やテレビ番組の撮影などで、おもに上空からの撮影に使われることが多いのですが、それだけ安価で手軽に使用できるため、偵察や攻撃機としてテロなど含め軍事利用されることが懸念されており、都市部での飛行禁止など法的規制がとられていたりもします。
最初のドローンはレーダーとTVカメラの無線誘導太平洋戦争の初期、アメリカ海軍が開発した最初の無人攻撃機がTDN-1でした。同機は、無人爆弾ともよばれ、爆弾や魚雷の搭載が予定されていましたが、なにより画期的だったのは、レーダーとテレビという当時の最新技術が組み込まれたことです。レーダーは第2次世界大戦直前にイギリスで実用化され、戦争中は日本も含めた各国で活用されましたが、TDN-1は無人機ながらそれを搭載していました。
1930年代に開発されたテレビは、1936(昭和11)年のベルリン・オリンピックにおいて試験放送が実施され、大戦が勃発したのち、アメリカやドイツの一部で本放送が始まっています。

テスト飛行中のTDN-1(画像:アメリカ海軍)。
いわば、当時の最新テクノロジーをTDN-1はいち早く取り入れ、無人航空機の制御技術として実用化していたということですが、アメリカ軍はこれら最新技術を使った無線操縦の無人攻撃機を、「襲撃」を意味する単語を用いて「アサルト・ドローン」の名称で開発しました。
TDN-1は、太平洋戦争が始まった翌年の1942(昭和17)年に早くも実機が完成しています。機体は木製で脚は固定式、試験飛行用に人が乗る操縦席がありました。
試験飛行はアメリカ本土にある五大湖で、海軍の艦載機パイロットが発着艦の訓練を行っていた練習空母を用いて実施されました。2000ポンド(約900kg)爆弾か魚雷1本を積む計画でしたが、速力が233km/hと低く、機体の設計も旧式なため、結局、実戦には使用されませんでした。
ただ、アメリカ海軍はTDN-1の開発と並行して、民間航空機メーカーにもドローンの製作を依頼していたのです。
初めて実戦に使われたドローンアメリカ海軍がTDN-1とは別にドローンの開発を依頼していたのは、民間航空機会社のインターステート・エアクラフト・アンド・エンジニアリング・コーポレーションでした。
同社で開発されたのはTDR-1。初飛行はアメリカ海軍のTDN-1と同じく1942(昭和17)年でしたが、レーダーによる高度計とテレビカメラを搭載し、TBFアベンジャー攻撃機のパイロットがテレビ画面を見ながら遠隔操作する仕組みでした。

ペンサコーラの国立海軍航空博物館に展示されているTDR-1(Greg Goebel撮影[Public Domain〈https://bit.ly/3vchEom〉])。
速力こそTDN-1と大差なかったのですが、洗練されたデザインと飛行性能からアメリカ海軍は採用を決め、189機が量産されました。しかし、当時としては最先端の技術が多用されていたことから、より完成度を高めるためにいくつかの改良型の開発が続きました。
TDR-1は1944(昭和19)年にようやく日本との戦いに投入されました。この機体は南太平洋のラッセル諸島の特別航空任務部隊に50機が配備され、ソロモン諸島にある日本軍の対空陣地や橋、飛行場の攻撃任務につきました。同年7月には、1942(昭和17)年に起きたガダルカナル島の戦いで同島に座礁し遺棄された日本の輸送船「山月丸」の残骸に対する爆弾投下を成功させています。
ただ、一定の戦果を挙げたもののアメリカ軍は、これまでの兵器で日本に勝てるとして、TDR-1の開発を打ち切りました。
時代を超えて再評価1945(昭和20)年に太平洋戦争が終結すると、時代はジェット機へと移行し、さらにミサイルの性能が飛躍的に発達するにつれ、無人攻撃機は目を向けられなくなりました。そのようななか、ドローンは標的機や写真偵察機として命脈を保ちます。流れが大きく変わったきっかけは、コンピューターの発達と、1980年代にアメリカのCIA(中央情報局)が小型で軽量な無人偵察機の導入を決めたことでした。

現代によみがえった無人攻撃機ドローン、MQ-1「プレデター」(画像:アメリカ空軍)。
こうして1995(平成7)年に運用が開始されたのがRQ-1(MQ-1)「プレデター」です。当初は偵察機でしたが、その有効性が認められ、やがてミサイルを搭載した無人攻撃機となり、その後継機はいまも使われています。
かつて最先端兵器として開発されながらも、攻撃機としては有人機を超える性能を獲得できず、なおかつ必要性も見いだされなかったことから、一旦は裏方に回されたドローン。しかし戦争の性質の変化と、テクノロジーの発達によって、21世紀に入ってから劇的な復活と進化を遂げたといえるでしょう。