日本は世界でも数少ない飛行艇を独自開発できる国です。現在の海上自衛隊US-2救難飛行艇を独自に造ることができたのは、太平洋戦争後、初めて国産開発したPS-1があったからこそ。

しかし、そのPS-1の1機が国内から姿を消すかもしれません。

戦後初の国産4発エンジン機「PS-1」

 海上自衛隊が運用する水陸両用の大型機であるUS-2救難飛行艇。水上でも発着できる本機の原型となったのはUS-1救難飛行艇ですが、さらにその大元になったのは対潜哨戒飛行艇として開発されたPS-1でした。同機は、いわば戦後の日本製飛行艇の始祖ともいえる機体であり、1989(平成元)年の全機退役後も3機が国内で保存・展示されてきたのですが、それが残り1機になる模様です。

 戦後日本のエポックメイキング的飛行機というとYS-11旅客機も挙げられますが、こちらが10機以上保存されているのと比べてあまりにも対称的といえるでしょう。なお、自衛隊機という観点で比べると、航空自衛隊のF-4EJ戦闘機は改良型含めて10機以上が国内で保存・展示されています。

 なぜPS-1はそこまで数が少ないのか、そしてどこに保存・展示されている(いた)のか、見てみます。

戦後初の国産4発飛行艇「PS-1」保存機が風前の灯 日本の航...の画像はこちら >>

山口県周防大島町にあるキャンプ場「なぎさパーク」で保存展示されているPS-1(5818号機)。2021年内の解体撤去が決まっている(大塚正諭撮影)。

 そもそもPS-1は、潜水艦を探知・攻撃するための大型飛行艇として新明和工業が開発したもので、1967(昭和42)年10月に初号機が初飛行したのち、23機が生産され、全機が山口県にある海上自衛隊岩国航空基地の第31航空隊に配備されました。

 当時、海上自衛隊ではPS-1のほかに陸上の飛行場を拠点に運用するS2F-1やP2V-7、P-2Jといった対潜哨戒機を調達・運用していました。要は海上自衛隊には対潜哨戒機が4種類あったわけです。

PS-1の運用思想とその終焉

 ただ、陸上運用の対潜哨戒機は洋上から目視または磁気探知(潜水艦がいる場所のみ微妙に地磁気がゆがむ)、あるいは使い捨ての音響測定器材「ソノブイ」の投下などで作戦を遂行するのが一般的でした。

 それに対してPS-1は、海面に直接降りられるため、着水後は胴体内部に収容した大型ソナー(水中音波探知機)を海中に下ろして、それで潜水艦を探知することが可能でした。当時は、磁気探知の精度がまだまだ低く、「ソノブイ」も性能的には発展途上で、なおかつ使い捨てとしてはあまりにも高コストなシロモノでした。

戦後初の国産4発飛行艇「PS-1」保存機が風前の灯 日本の航空技術の結晶は残るか?

海上自衛隊の岩国航空基地で現役運用されていたころのPS-1対潜哨戒飛行艇(画像:海上自衛隊)。

 ゆえに、直接海面に降りて搭載するソナーによって潜水艦を探し出すPS-1の方が高精度で、費用対効果にも優れているといった判断から開発されたのですが、技術発展は著しく、PS-1が本格運用を始めたころには、陸上哨戒機でも遜色なく潜水艦を探知できるまでに性能が向上していました。

 他方で、PS-1は海面に降りなければならないため、陸上機とは比べ物にならないほど操縦が難しく、機体に対する波や海水の影響も大きいことから事故率も高く、運用についても天候に左右されやすい飛行機でした。

 加えて、PS-1は車輪こそ装備しているものの、あくまでも水上から陸上へ上がるスロープ(自衛隊では“すべり”と呼称)を登り降りするためのもので、滑走路への離着陸は出来ないつくりとなっていたことから、運用可能な基地も限られていたのです。

 こうして、陸上発着の哨戒機に対する優位性が消え去り、デメリットばかりが目立つようになったことで、海上自衛隊も対潜哨戒機については、より高性能なP-3Cに一本化することを決定。PS-1は大量調達されることなく、1989(平成元)年に最後の機体も退役しています。

 ちなみに、当初の計画では2番目のPS-1飛行隊として「第32航空隊」を長崎県の大村航空基地に編成する予定であったものの、上記の理由などから構想のみで終わっています。

国産飛行艇の展示場所「飛行艇ミュージアム」

 PS-1は、前出のとおり23機が生産され、うち3機が保存・展示に供されました。熊本県に1機、そして山口県に2機です。

ただ、熊本県の1機は天草市の「パールセンター」に展示されていたものの、屋外展示による老朽化から2018年に解体処分されています。そして山口県に残る2機についても、県東部の周防大島町にあるキャンプ場「なぎさパーク」にある機体は、やはり屋外展示による経年劣化から2021年内の撤去処分が決まっています。

 残るは山口県東部の岩国市にある1機のみですが、これは在日米軍岩国基地の敷地内にあり見学は事実上不可能な状態です。この機体も劣化が進んでいるため、もしかすると解体処分される可能性は捨てきれません。

戦後初の国産4発飛行艇「PS-1」保存機が風前の灯 日本の航空技術の結晶は残るか?

海上自衛隊とアメリカ海兵隊が共同使用する岩国航空基地のアメリカ海兵隊エリアに残されているPS-1(5813号機)。「フレンドシップデー」などの基地公開行事でも展示されることはない(大塚正諭撮影)。

 ただ2021年10月現在、岩国市と市商工会議所が広報施設として「飛行艇ミュージアム(仮称)/海上自衛隊岩国広報館」の整備を防衛省に要望していることから、もし実現したら、在日米軍基地内のPS-1もここに展示される可能性はあるでしょう。

 なんとか残る最後のPS-1、戦後日本の航空技術を後世に語り継ぐという意味からも残してほしいものです。

 ちなみに、PS-1の改良型であるUS-1救難飛行艇は20機生産され、2021年10月現在、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地史料館、岐阜県の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館、そして山口県の海上自衛隊岩国基地(一般見学は不可)に1機ずつ計3機、保存されています。

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