名は体を表すといいますが、兵器のなかにはその名から想像もつかないものもよく見られます。「アンツィオアニー」「アトミックアニー」はそれぞれWW2期ドイツと戦後アメリカが運用した大砲の愛称です。

歴史に残る2門の「アニー」のお話。

2門の「アニー」は戦場の女神で破壊神

 砲兵は「戦場の女神」とも呼ばれます。地上部隊にとって、砲兵は航空機より臨機応変に支援してくれ、ピンチを救ってくれることもあるからです。女神らしく「アニー」という可愛いニックネームを付けられた大砲もあります。それが「アンツィオアニー」と「アトミックアニー」です。

 しかし「アニー」はとんでもない破壊神でした。

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K5列車砲。写真の砲は「レオポルド」と呼称されているが、損傷した「ロベルト」「レオポルド」の2門を合体、復元したもの(画像:アメリカ陸軍)。

「アンツィオアニー」の正式名称はドイツ陸軍のクルップK5/28cm列車砲です。巡洋艦の主砲なみの砲身は長さ21.5m、口径28.3cm、車輌は全長30m、総重量218tという巨躯で、鉄道線路を使って移動することができました。

 破壊神が本領を発揮したのが、1944(昭和19)年1月22日にイタリア中部で始まった、連合軍のアンツィオ上陸作戦に対する反撃です。このころドイツ軍は同地域における制空権を失っており劣勢といえる戦況でしたが、そうしたなか、1944年2月5日からアンツィオの約40km北部にある鉄道路線ローマ=フラスカーティ線のチャンピーノ駅付近に「ロベルト」と「レオポルド」というK5を2門配置し、トンネルに身を隠しながらゲリラ的に連合軍への砲撃を繰り返しました。

大砲の究極形 戦場の女神「アンツィオアニー」と「アトミックアニー」 米独の危険すぎる破壊神

K5が2011年1月に分解、整備された際の、再組立時の様子。砲身の大きさが分かる(画像:アメリカ陸軍)。

 2門が隠れていたチャンピーノ・トンネルは単線電化区間であり、架線が張られているので砲身を上げることができず、約3km離れたチャンピーノ駅に移動し構内の転車台から射撃したようです。

 連合軍は砲撃の様相から、長距離砲は2門あることが分かっていて、「アンツィオアニー」と「アンツィオエクスプレス」のニックネームを付けます。もっとも、「ロベルト」と「レオポルド」のどちらが「アニー」なのかは分かりません。

連合軍を震え上がらせたアンツィオの列車砲

 ドイツ軍のK5列車砲が撤退するまでの1944年2月から5月のあいだ、連合軍が橋頭堡を築いたアンツィオに対する同砲の射弾数は5523発とされ、1日平均50発前後は射撃していたようです。

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2021年現在のチャンピーノ・トンネル。縦方向が線路。山のトンネルではなく、高台の下をくぐる構造になっている。写真下方がチャンピーノ駅方向(画像:Google Earth)。

 散発的に前触れもなく落下してくる28cm砲弾の威力は絶大で、アンツィオに展開したアメリカ第3歩兵師団の、2月から5月までの被害の83%が砲撃によるものとされており、全てがK5の仕業というわけではありませんが、防ぐ手立てのない厄介な破壊神だったことは間違いありません。

 この破壊神を、連合軍は偵察機や偵察部隊を駆使して探し求めます。

しかし前線から40km後方にある列車砲を捕捉するのは容易ではなく、ドイツ軍の運用の妙もあって、戦闘中に発見することはできませんでした。

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アンツィオアニーの転戦地図(画像:Google Earth画像を基に月刊PANZER編集部作成)。

 K5は1944年5月18日の砲撃を最後にチャンピーノから撤退し、ローマを経由してその北西に位置するチヴィタヴェッキアまで北上しますが、線路網が寸断されて進めなくなりました。やがて、ローマが占領された後の1944年6月7日、アメリカ軍第34師団第168歩兵連隊が側線に放置されていた「アンツィオアニー」と「アンツィオエクスプレス」を見つけ鹵獲します。

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2010年10月、分解修理前に撮影されたK5(画像:アメリカ陸軍)。

 2門はアメリカに運ばれ、破損の少ないパーツを組み合わせて1門として調査が行われた後、「レオポルド」として2021年現在もメリーランド州アバディーンのアメリカ陸軍兵器博物館に展示されています。

アメリカの「アニー」は危険すぎる究極の破壊神

「アトミックアニー」の正式名称は、アメリカ陸軍のM65 280mmカノン砲で「原子砲」とも呼ばれます。核砲弾射撃用の野戦重砲で「アンツィオアニー」をしのぐ「核の破壊神」でした。

 アメリカ陸軍はその設計開発にあたってK5を参考にしており、口径は同じ280mmで、移動方法が鉄道車両かトラックかの違いはありますが外見もなんとなく似ています。「アトミックアニー」というニックネームも「アンツィオアニー」に由来するといわれ、姉妹関係といえるかもしれません。

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1955年に沖縄県の普天間訓練場で訓練中のM65(画像:アメリカ陸軍)。

 第2次世界大戦終結後アメリカ軍内では、陸軍から独立したばかりの空軍が核兵器をいち早く装備化し圧倒的に勢力を持っていました。

核兵器は威力の大きさから予算獲得競争にも影響を及ぼしたので、政治的パワーバランスを取り戻そうと陸軍も核兵器の装備化を急ぎ、1949(昭和24)年から原子砲の開発を始めます。

 1953(昭和28)年5月25日にネバダ核実験場で、当時のウイルソン国防長官ほか政府や軍の高官も立ち会って原子砲の試射が行われました。核砲弾の威力は15キロトン相当で、広島に投下された原爆と同等です。1955(昭和30)年にM65として制式化、20門が製造され、核砲弾は80発が製造されて西ドイツ、韓国、沖縄に配備されました。

政争の道具「アトミックアニー」の実力は?

「アトミックアニー」の移動方法はユニークで、自動車ながら鉄道車両のシュナーベル貨車(吊掛け式大物車、JR貨物におけるB梁)のように、砲の前後にM249とM250という特殊なトラクターを連結、最高速度は56km/hでした。またこれらトラクターはボギー台車のように回転できたので、前後のステアリングで見かけによらず小回りが利ききました。なお射撃時にはトラクターを外し、整地された地面に設置する必要がありましたが、約15分で射撃姿勢をとれたとされます。

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1953年5月25日ネバダ核実験場で行われたM65の実射テスト(画像:アメリカエネルギー省)。

 巨大な破壊力を秘めた「アトミックアニー」でしたが、核運搬手段としては約30kmという射程も投射火力も中途半端で、原子砲のコンセプト自体、無理がありました。臨機応変に使えるという大砲本来のメリットもありません。やがてミサイルの発達で核運搬手段が小型化、長射程化すると「アトミックアニー」は能力不足となり、1963(昭和38)年に退役します。現役に就いたのはわずか8年で、沖縄には1960(昭和35)年6月まで配備されていました。

2021年現在、7門がアメリカ各地の展示施設に残されています。

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オクラホマ州フォートシルの砲兵公園に展示されているM65。砲身が仰角をとっているがトラクターを連結した移動形態であり射撃形態ではない(画像:アメリカ陸軍)。

 米独の「アニー」は生まれも育ちも違いますが、「戦場の女神」の究極形の迫力をいまなお見せてくれています。

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