WW2開戦前夜、ドイツとの戦争に備え生産していたら、開戦前に国ごと乗っ取られてまるごと使用されてしまった戦車があります。しかも高品質で、その後のドイツの進撃を支えてしまった38(t)戦車の皮肉なお話。

「良い兵器」とは何か 電撃戦を支えてしまった38(t)戦車

 強い戦車とはどんな戦車をイメージするでしょうか。強力なエンジン、大きな主砲、厚い装甲、いわゆる「走・攻・守」に優れた戦車をイメージするかもしれません。そうした主砲の口径や装甲厚といったカタログデータも大事ですが、もっと重要なことがあります。それは「動くこと」です。

 いくら「走・攻・守」のカタログデータがよくても、故障ばかりしていては役に立ちません。それどころか戦闘中の故障は致命的です。多少、装甲が薄くても主砲が小さくても、とにかく故障しないで動く戦車が現場部隊で歓迎されたのも当然といえるでしょう。

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ロシアのクビンカ戦車博物館に収蔵されている38(t)戦車(2016年8月2日、月刊PANZER編集部撮影)。

「電撃戦」でイメージするように、第2次世界大戦のドイツ陸軍は戦車王国のように思えますが、実際には質量ともに不足していました。特に1939(昭和14)年9月の開戦時には軽戦車であるI、II号戦車が多数で主力となるはずのIII、IV号戦車は生産が進まず、しかもそのなけなしの戦車は開戦初頭のポーランド戦で多く損耗するという有様です。その後に控えているのが目に見えていた対フランス、イギリス戦では、敵戦車に抗しようもないだろうという状況であり、電撃戦の生みの親ともいわれているハインツ・グデーリアン大将は後に、「まさかこれら訓練用戦車で大戦に突入するとは思ってもみなかった」とぼやくような実態でした。

38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

1940年に撮影された西部戦線に展開するドイツ第7装甲師団の38(t)戦車。
ユニフォームがベレー帽の初期型であることが分かる(画像:月刊PANZER編集部)。

 その戦車不足であるドイツ軍の電撃戦を陰で支えたのが、チェコスロバキア生まれのPzkpfw38(t)=38(t)戦車だったのです。フランス侵攻でロンメル少将が指揮した第7装甲師団の戦車225両の内訳は、I号戦車34両、II号戦車68両、III号指揮戦車8両、IV号戦車24両、38(t)戦車が91両という編成でした。

優れた工業国だったチェコスロバキアの戦車とは?

 チェコスロバキア、現在のチェコ共和国とスロバキア共和国は、かつて中欧に位置していた国で、かねてより優れた工業国でもあります。第2次世界大戦前の同国は、ドイツ、ポーランド、ソ連、ハンガリー、オーストリアなどに囲まれ地政学的にも不安定で、さらにはナチス・ドイツとは対立関係にあり、自国の安全保障は他国に頼れない状況でした。

38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

イギリスが評価試験のため購入したTNHP-S。ライセンス生産することを予定していたがドイツのチェコスロバキア併合で実現しなかった(画像:月刊PANZER編集部)。

 そうしたなか、チェコスロバキアは戦車を自国で開発し、中戦車42両、軽戦車279両を4年かけて配備するという計画を立てます。同国の重工業メーカーであるCKD社はTNHP-Sという軽戦車を開発し、1938年(昭和13)年にLTvz.38として軍に採用されます。完成当時、主砲は37mm砲、車体および砲塔前面装甲は25mmと、軽戦車とはいえ充分な性能でした。ちなみに1935(昭和10)年に完成したドイツ軍の軽戦車であるII号戦車の主砲は20mm機関砲、前面装甲は15mmでした。

 しかし1938年9月以降、チェコスロバキアは大国間の外交戦における生贄となって解体され、領土の大半をドイツに併合されてしまいます。

本格生産に入ったLTvz.38は皮肉にもドイツ陸軍に納入され、そこで「Pzkpfw38(t)」と呼称されることになりました。このtはドイツ語でチェコを指すTschechischの頭文字であり、重さを表すものではありません。38(t)戦車の重さは10t足らずで、数字の38は制式化された1938年が由来です。ちなみに陸上自衛隊の74式戦車がちょうど38tです。

38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

1942年春ごろ東部戦線で撮影された38(t)戦車。春先らしく白色の冬季用ユニフォームを着ている乗員も見られる(画像:月刊PANZER編集部)。

 当時、各国戦車の足まわりは小型転輪を多数、並べるのが主流でしたが、LTvz.38は大型転輪4個という独特の形式でした、乗り心地はIII号戦車よりも良かったという証言が残っています。機械的にも信頼性が高くて稼働率もよく、イギリスもライセンス生産交渉を行っていたくらいでしたが、ドイツへの併合により実現しませんでした。

 ドイツ以外には、枢軸国陣営のハンガリーやルーマニア、ブルガリアなど中欧諸国を中心に輸出され、スウェーデンではStrv m/41の名でライセンス生産し、戦後も改造されてPbv301兵員輸送車として1971(昭和46)年まで使われました。

軽くて速くて故障も少ない=「電撃戦」に最適という皮肉

 38(t)戦車は砲塔がふたり用で狭く、車長は砲手を兼ねるため指揮に専念できず、3人用砲塔のIII号戦車より操作性や戦闘力では劣っており、装甲板がリベット止めで被弾時にリベットが車内に飛び跳ね防御にも問題があるとの指摘がなされています。一方、軽量なため高速で動き回れ、故障も少ない信頼性の高さで電撃戦には最適な戦車でした。いわゆる強い戦車ではありませんが、現場部隊では頼りにされました。

38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

ソ連軍に鹵獲され再生作業が行われる38(t)戦車。ソ連軍も戦車不足に悩まされ、鹵獲した敵戦車を積極的に使っていた(画像:月刊PANZER編集部)。

 独ソ戦中盤以降になると、さすがに力不足となり第一線から引きますが、現場での評価もよかったためか1942(昭和17)年6月まで生産が続けられます。装甲列車に載せられたり、後方警備任務や自走砲などの派生型となったりして、終戦まで使われ続けました。

38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

装甲列車編成の戦車運搬車でのテスト中の38(t)戦車。装甲列車の先頭か最後尾に連結され、自走して乗降した(画像:月刊PANZER編集部)。

 38(t)戦車は、生まれたチェコスロバキアではなく、自国を併合したナチス・ドイツで一時期、機甲戦力の中核を担うという奇妙な運命をたどり、信頼性の高い使いやすい戦車として重宝されたという、図らずも歴史の皮肉を体現しています。さらには、大きな転輪4個という特徴的な外見が、ドイツ製戦車とは異なるルーツであることや、工業国チェコスロバキアの矜持といったものを主張しているようにも見えます。

38(t)戦車の皮肉 ナチス・ドイツを支えてしまったチェコスロバキア・クオリティ

1941年5月ベルギーにおける第7装甲師団第25戦車連隊第2大隊所属の38(t)戦車カラー図(作画:遠藤 慧)。

 ちなみに大戦後期、よく似た足まわりのドイツ製軽駆逐戦車「ヘッツァー」が登場しますが、38(t)の車体上部を取り換えたわけではなく、転輪の大きさや起動輪の歯数も異なる別物で、派生型ではありません。

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