馬に乗って戦う騎兵は、第2次大戦では時代遅れとされましたが、そうした時代の中でも貧弱な装備を旺盛な士気で乗り越え、ロシア戦線で乗馬突撃を実施、見事勝利したイタリア軍部隊がありました。

世界的に下がった騎兵の地位

 近代まで各国陸軍の花形兵科と言えば、歩兵よりスピードも機動力もある馬に乗った騎兵でした。

その人の背丈より高い位置から振り下ろすサーベルや、高速で包囲しながら撃つ小銃射撃は、歩兵からしてみたら恐怖そのものでした。また馬は兵士や各種物資を運ぶに際しても重要な担い手であったことなどから、軍馬は数世紀以上に渡ってかけがえのない戦場の乗りものだったのです。

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竜騎兵の伝統を汲むイタリア陸軍騎兵。機械化が進んだ第2次大戦当時、サーベル突撃は時代遅れの戦法となり、騎兵は索敵や伝令任務および騎馬歩兵として戦闘に従事した(吉川和篤所蔵)。

 しかし、第1次世界大戦で装甲板に覆われ大砲や機関銃を積んだ戦車や装甲車が登場すると、むき出しの馬にひとりの兵士が持てるだけの装備が乗っただけの騎兵では、防御力も攻撃力も近代戦において太刀打ちできなくなっていき、その地位は瞬く間に下がります。そのため第1次大戦後には日本を含む各国で騎兵不要論が発生して、騎兵は規模縮小が図られ、多くの軍馬が廃役となりました。

 ただ、そうした中でも第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年3月には、旧日本陸軍の騎兵第4旅団が中国戦線の老河口飛行場に乗馬突撃を敢行して中国軍を撃ち破っています。これは歴史上、正規軍同士の大規模戦闘において騎兵突撃が成功した最後の勝利と言われていますが、実はヨーロッパでも、騎兵が近代戦で勝利した例がありました。

 それは1942(昭和17)年のロシア戦線におけるイタリア陸軍「サヴォイア」騎兵連隊による戦いです。こちらは、第2次大戦戦中のヨーロッパ戦線における史上最後の乗馬突撃による勝利と呼ばれています。

その数6万以上 イタリア騎兵団ロシア戦線へ

 イタリアの騎兵部隊は長い伝統を持っており、その起源はサヴォイア公国(現在の伊仏国境周辺の地域)で1668年に創設された2個竜騎兵連隊にさかのぼります。

 1861年のサヴォイア公によるイタリア統一から半世紀をかけて30個騎兵連隊にまで規模が拡充したものの、第1次世界大戦で前述したように騎兵の存在意義に疑問が生じます。

その後は近代化で規模が縮小され、代わりに「機械化騎兵部隊」といえる快速(チェレーレ)師団が3個、1930(昭和15)年に編成されました。

戦車の時代の「ラスト騎馬隊」結末は? イタリア騎兵団ヨーロッパ最後の乗馬突撃@ロシア

騎馬で南部ロシア戦線を進む第3快速師団所属の第3騎兵連隊「サヴォイア」騎兵。M33型ヘルメットには伝統の竜騎兵を示す黒い十字のマーク(吉川和篤所蔵)。

 ただ、このような快速師団であっても、軽戦車や対戦車砲などを装備する一方、従来の騎兵連隊が2個程度、相変わらず残っていました。また、快速師団以外の独立した騎兵連隊もまだ数多く存在しており、1940(昭和15)年にイタリアが第2次大戦に参戦した段階で16個連隊を数えています。

 1941(昭和16)年6月にドイツ軍によるソビエト連邦侵攻、いわゆる独ソ戦が勃発すると、ドイツと軍事同盟を結んでいたイタリアも、機械化された第3快速師団を含む総兵員約6万2000名の「イタリア・ロシア戦線派遣軍団」を北の大地に送り込みます。

 翌1942(昭和17)年、ドイツはロシア南部の地下資源に目を向け、夏期攻勢「ブラウ(青)」作戦を計画。このドイツ軍の攻勢にイタリア・ロシア戦線派遣軍団も呼応します。そのなかで、ドネツ河を越えてドン河を目指したイタリア軍の第3快速師団は、8月にソ連戦車部隊に対して火炎瓶で果敢に立ち向かい、5日間の白兵戦で多数の戦車を炎上撃破する戦果を上げました。

劣勢からの大逆転 まさに有終の美!

 そしてついに、イタリア騎兵の本領を見せるときがきます。1942(昭和17)年8月23日、第3快速師団隷下の第3騎兵連隊「サヴォイア」700騎は、ドン河南岸イスブシェンスキー西方の高地に進出。しかし、対岸にはソ連軍の3個歩兵大隊約2000名も布陣しており、翌朝に騎兵斥候(偵察)隊は迫撃砲装備の敵陣地と遭遇しました。

高地からの機関銃射撃と支援砲火で第一波を食い止めたものの、敵に包囲されつつあることを悟った連隊長ベットーニ大佐は命令を下します。

「騎兵隊前へ!」

 まず、下馬した第4騎兵中隊が機関銃の一斉射撃で正面の敵陣を引き付ける間に、乗馬した第2騎兵中隊が迂回してソ連軍部隊の右翼側面に回り込みます。そして、サーベルと連隊旗を手にした騎馬兵達は、「サヴォイア! サヴォイア!」と叫びながらソ連兵めがけて突撃。不意を突かれた敵兵らは、慌てて退却を始めました。

 これに乗じて第4騎兵中隊が前進すると再びソ連側から反撃が始まったので、それを見た第2騎兵中隊は再度右翼から左翼にかけて騎兵突撃を行い、ソ連兵を蹴散らしました。この2波による騎兵突撃により敵部隊は完全に戦意を失い、2個大隊が壊滅して残る1個大隊は敗走したのでした。

戦車の時代の「ラスト騎馬隊」結末は? イタリア騎兵団ヨーロッパ最後の乗馬突撃@ロシア

ロシア戦線における第3騎兵連隊「サヴォイア」の上等兵。折り畳み式刺突銃剣が付いたカルカノ騎兵銃を持ち、肩から胸に騎兵用バンダリアを掛けて左腰に騎兵サーベルを下げている(吉川和篤作画)。

 ソ連軍の損害は、戦死150名、負傷300名、捕虜500名、野砲4門に迫撃砲10門、機関銃50挺を失うというものでした。一方、イタリア騎兵も戦死32名(内将校3名)、負傷53名と馬100頭を失っています。

 こうしてヨーロッパ戦線で成功した史上最後の騎兵突撃は幕を閉じました。奇しくもこの年は1692年の「サヴォイア」騎兵創設からちょうど250年目の年。

それは機械化が進む近代戦で、かつて花形だった騎兵が栄光を取り戻した、束の間の奇跡のような瞬間だったと言えるのかもしれません。

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