命中率100%を目指して開発された誘導ミサイルを発射可能な戦車砲。アメリカが理想的と信じたそんな戦車砲は結局、普及せずに終わりました。
百発百中の命中率を誇り、なおかつ、かなり分厚い装甲でも貫ける高威力の戦車砲が開発できたなら、それこそ「夢の戦車砲」といえるでしょう。
アメリカ陸軍はこのような夢を叶えるべく、1950年代に画期的な戦車砲の開発に着手します。その砲の名はXM-150。撃ち出すのは「シレイラ」という名の誘導ミサイルです。これは、高い命中率と装甲貫通力を持つミサイルに主眼が置かれているものの、砲弾も撃てる、というハイブリッドな兵器でした。
MGM-51「シレイラ」ミサイルを発射するM551「シェリダン」水陸両用空挺戦車(画像:アメリカ陸軍)。
そもそも、戦車の装甲厚(防御力)と対戦車兵器の装甲貫徹力は、まさに現代の「盾と矛」「シーソーゲーム」といえるものです。当時はミサイルの誘導技術が急速な進歩を示しており、アメリカ軍のなかでは一種の「ミサイル万能論」というべき思想が蔓延していました。
この思想は、銃砲弾とミサイルを比べた場合、後者であれば理論上は100%に限りなく近い命中率を有するため、それならば搭載兵装をミサイルのみにすればよい、というものです。この思想に基づき、たとえばミサイルしか装備しない戦闘機、ミサイルと誘導魚雷しか搭載しない巡洋艦というのが造られました。
同様の考え方で、戦車砲からもミサイルを発射しようとアメリカ陸軍は考えたといえるでしょう。
こうして開発されたのが、M81「ガンランチャー」です。この名前は「ガン」すなわち弾を撃つ大砲と、ミサイルを発射する「ランチャー」、両方の単語を合体させた造語でした。砲口の直径(口径)は152mmとかなりの大きさでしたが、通常の徹甲弾を撃つわけではないため、砲自体を堅牢にする必要がありませんでした。
なお、同砲が使用する「普通の砲弾」は、HEAT-MP(多目的成形炸薬弾)という装甲戦闘車両にも対人にも使用できる汎用弾(M409弾)や、ショットガンのように近距離で大量の散弾を飛散させるキャニスター弾(M625弾)などです。

MGM-51「シレイラ」ミサイルを持ったアメリカ兵(画像:アメリカ陸軍)。
発射装置であるM81ガンランチャーの開発に目途が立つと、発射される対戦車ミサイルの開発も着実に進みます。そして1960(昭和35)年に初の試射が行われ、その後MGM-51「シレイラ」として採用が決定。1964(昭和39)年から生産が始まりました。
最大射程は、最初に生産されたMGM-51Aでは2000mでしたが、改良型のMGM-51B/Cでは3000mに延伸されています。照準方式はシンプルで、砲手は目標を照準器の中央に捉えておけば、あとは赤外線リンクで飛行情報が伝えられて照準追尾され命中するという仕組みです。
M81ガンランチャーと「シレイラ」の組み合わせは、AR/AA(Armored Reconnaissance/Airborne Assault Vehicle:装甲偵察/空挺突撃車両)計画に基づいて開発されたM551「シェリダン」水陸両用空挺戦車に搭載されたほか、別のガンランチャーとの組み合わせですが、M60A2戦車もシレイラを運用しました。
しかし「シレイラ」は、実戦ではほぼ使われませんでした。加えて最後まで運用していたM551「シェリダン」が1996(平成8)年に退役したため、これに伴い「シレイラ」も第一線から外されています。
切り札ゆえの苦悩とはいえ、「シレイラ」ミサイルは決して欠陥兵器だったわけではありません。登場した時期と、運用の仕方が適切ではなかった不運な兵器といえるのです。
M551「シェリダン」水陸両用空挺戦車の初陣はベトナム戦争でしたが、もし同地に「シレイラ」を持ち込んで万が一にも北ベトナム(当時)側にろ獲されたら、最新のミサイル誘導テクノロジーがソ連(当時)へ流出してしまいます。その危惧から、アメリカはベトナム戦争にM551「シェリダン」こそ投入しましたが、「シレイラ」は送らなかったのです。

M60A2戦車にMGM-51「シレイラ」ミサイルを搭載するアメリカ兵(画像:アメリカ陸軍)。
また、運用母体となるべきM551「シェリダン」にも問題がありました。同車は空挺戦車として開発されたため、輸送機やヘリコプターで運べ、さらに水上浮航も可能なように一般的な戦車よりも軽くコンパクトに造られていました。そのため、ガチンコの戦車戦で運用するには防御力が不足していました。
ゆえにベトナム戦争以降は、大重量の主力戦車を持てない第82空挺師団にしか、M551「シェリダン」は配備されなかったのです。加えて同師団が空挺戦車を投入した戦車戦を行う機会がなかったことも、「シレイラ」を使用する機会がなかった原因となりました。
1990年代初頭の湾岸戦争時、多国籍軍の迅速な展開を世界に印象付けるため、同師団のM551「シェリダン」がいち早くサウジアラビアに展開しましたが、これはあくまでも印象操作のためといえるでしょう。結局、この戦争でM551「シェリダン」がイラク軍戦車に対して戦車戦をしかける機会はなかったようです。ゆえに「シレイラ」も用いられなかったと思われます。
結局、使い勝手は従来砲に敗北また、M60A2のほうは「未来の戦車」として鳴り物入りで登場したものの、調達単価、運用コスト共に高価格であり、導入後も、整備や管理の煩雑さに加えて、行進間射撃ができないという欠点が、よりクローズアップされました。一般的な対戦車車両とは異なり、この時期の主力戦車には、「シレイラ」導入時の想定以上に行進間射撃能力が求められることになったからです。
「シレイラ」は構造上、命中するまで誘導し続ける必要があるので、行進間射撃ができないというのは、導入が決定された際にもわかっていたことでした。しかしその後、主力戦車の行進間射撃能力が急速に向上。これができない戦車は、主力戦車としては致命的と考えられるようになりました。そしてこれらの理由から、「シレイラ」は主力戦車に向いていないという烙印を押されることになります。
このように、開発した本人のアメリカ軍もその運用を試行錯誤せざるを得ない位置づけの「シレイラ」でしたが、ほかにガンランチャー用の代替となる対戦車誘導ミサイルが存在しなかったため、M551「シェリダン」では結局、最後まで運用が続けられたというわけです。

MGM-51「シレイラ」ミサイルを発射可能な152mmガンランチャーを搭載したM551「シェリダン」水陸両用空挺戦車(画像:アメリカ陸軍)。
しかし、「戦車砲から発射する対戦車誘導ミサイル」は、ロシアやイスラエルでさらに研究が進められました。
登場時期が早すぎて、シレイラでは未熟だった技術(性能)とそれにともなう問題点が、これら後発の「戦車砲から発射する対戦車誘導ミサイル」では、技術の進歩のおかげで解消されたのです。