1960年代後半に誕生した英仏共同開発の「ジャギュア」超音速機。ほどなくしてよく似た練習機が日本でも生まれます。

その名はT-2練習機。しかもそれを基にしてF-1戦闘機も開発。なぜ似ているのか、推測します。

社名「練習機兼攻撃機」という国際企業

 世の中には、ぜんぜん出自は違うのに、同じような用途・性能を追い求めた結果、形が似てしまったということが多々あります。戦闘機でいうと、ヨーロッパ生まれの「ジャギュア」と日本生まれの「F-1」。西洋と東洋で、同じ目的のために数年の差で誕生したこの2機種がなぜ酷似してしまったのか、見てみます。

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日本が独自開発した戦闘機F-1(上)と、英仏共同開発の「ジャギュア」(柘植優介撮影、アメリカ空軍)。

 第2次世界大戦後、飛行機においてジェット・エンジン搭載が当たり前になると、軍用であれ民間用であれ、新型機の開発コストはうなぎ登りに高騰しました。そういったなか、1960年代中頃、現在ではコストダウンや技術交流の目的で当たり前となっている、軍用機の国際共同開発のはしりといえる出来事が、イギリスとフランスの間で行われます。

 当時、イギリスは高等練習機を求めており、フランスは攻撃機を求めていたのですが、互いのニーズを検討してみると、共同で開発にあたるのが合理的ではないかとの結論が得られました。そこで1966(昭和41)年5月、イギリスのBAC社(現BAEシステムズ)とフランスのブレゲー社(現ダッソー)が合同で、国際共同会社SEPECAT社を設立しました。ちなみにこの社名は、フランス語の「Societe Europeenne de Production de 'l avion Ecole de Combat et Appui Tactique」(練習機兼攻撃機の意)の頭文字に拠ります。

 ところで、ある航空機の設計が成功するか否かは、エンジンの良し悪しが大きく影響するというのが、航空界の常識です。このイギリスとフランスの共同開発機についても、イギリスにおけるエンジンの名門メーカーであるロールス・ロイスと、同じくフランスのエンジンの名門であるチュルボメカが合弁会社を設立し、共同開発機向けの新型エンジン開発を行いました。

攻撃機造ってから練習機が誕生した「ジャギュア」

 こうして、1968(昭和43)年に「アドーア」というジェット・エンジンが誕生します。この「アドーア」という名称は、フランスのガスコーニュ地方を流れるアドゥール(Adour)川にちなんだものだそう。そもそもロールス・ロイスでは、伝統的にジェット・エンジンには自国の河川名を付与してきたものの、今回は共同開発ということで、フランスに敬意を表して同国国内を流れる川の名にしたといいます。

 同年9月8日には、共同開発機の試作機も初飛行に成功し、「ジャギュア」と命名されます。この時期になると、イギリス側のニーズも攻撃機の比重が大きくなっており、結局イギリスもフランスも、ともに攻撃機型と高等練習機型を導入することになりました。

日本版「ジャギュア」戦闘機? 三菱T-2/F-1が英仏共同開発機に激似だったワケ
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T-2/F-1のロールス・ロイス製「アドーア」エンジン。元は「ジャギュア」のために開発されたもの(柘植優介撮影)。

 興味深いのは、フランスが空母搭載用として調達した「ジャギュアM」でしょう。このタイプは空母運用の攻撃機となるはずでしたが、艦上機にとってもっとも重要なエンジンレスポンスの遅延の問題をはじめ、特に着艦時の空力特性の問題から、結局、実績あるダッソー「エタンダール」の改良型「シュペルエタンダール」が採用されています。

 とはいえ、最前線の不整地滑走路での運用も考慮されたランディング・ギアを備えた「ジャギュア」は、攻撃機としても高等練習機としても優れた機体に仕上がっていました。

実際、その性能を活かして湾岸戦争やコソボ紛争では秀でた実績を残しています。

練習機ののち戦闘機ができたT-2/F-1

 一方、ヨーロッパでの「ジャギュア」開発からわずかに遅れる形で、日本においても新しい高等練習機と攻撃機を求める声が上がっていました。当時、自衛隊では初級操縦課程を終えたのち、T-33ジェット練習機からF-86戦闘機というステップアップをとっていました。ただ1962(昭和37)年以降、超音速飛行が可能なF-104J「スターファイター」戦闘機の配備が進むと、T-33とF-104Jで航空機としての世代が大きく異なることに加え、性能や飛行特性があまりに異なるため、その隔たりが大きく、ステップアップする間の段階としてF-86を入れても、飛行特性の点でやや難しい面がありました。

 加えて、F-104Jの採用により、F-86を運用する飛行隊のうちいくつかは、対地対水上攻撃を主任務とするようになったものの、F-86自体がそういった用途を想定して開発された機体ではなかったため、間に合わせといった感が強く、性能的には不満の残るものでした。

日本版「ジャギュア」戦闘機? 三菱T-2/F-1が英仏共同開発機に激似だったワケ
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岐阜基地の一隅に保存・展示されているT-2練習機。この107号機はF-1のプロトタイプとなった、いわゆるFS-T2改と呼ばれた機体(柘植優介撮影)

 そこで、T-33からF-104Jへの橋渡しとなる、超音速飛行が可能な高等練習機であると同時に、わずかな改修でF-86の後継として対地対水上攻撃も行える、いわゆる攻撃機にもなる機体が求められることになったのです。なお、この用途には、アメリカ製のT-38練習機および姉妹機であるF-5戦闘機が適していると考えられ、実際にT-38の導入も検討されています。

 ただ、もしここで外国製の機体を導入すれば国産超音速機を開発する好機を失うという意見が通り、国産初の超音速機となる高等練習機/攻撃機の開発が、1967(昭和42)年から本格化しました。

もしかしたら「ジャギュア」の血がT-2/F-1にも…

 国産の超音速練習機にはT-2の型式が付与されましたが、搭載エンジンとして選定されたのは、前述の「ジャギュア」開発で誕生した新型エンジン「アドーア」でした。

 筆者(白石 光:戦史研究家)が見るに、一般論ですが「同じエンジンを搭載する似たような外観の機体は、性能も似たようなものとなる」という考え方は、T-2/F-1とジャギュアの関係性にも当てはまるように思います。

「ジャギュア」のために開発された「アドーア」エンジンを、「ジャギュア」と同じ数(2基)搭載した、超音速練習機にも攻撃機にも使える機体を開発しようとした場合、ベストな性能となる設計を追求するのは当然でしょう。

 そしてこれはあくまで筆者の推測ですが、T-2/F-1の設計に際し、ジャギュアの設計がある程度は参考にされたのではないかと考えます。結果、両機が「そっくりさん」になったのではないでしょうか。

日本版「ジャギュア」戦闘機? 三菱T-2/F-1が英仏共同開発機に激似だったワケ
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演習で訓練用爆弾を投下するインド空軍の「ジャギュア」。英仏共同開発で世界各国に販売された同機も、2022年3月時点で運用を続けているのはインドのみとなった(画像:インド空軍)。

 日本のT-2は「ジャギュア」に遅れること3年後の1971(昭和46)年7月20日に初飛行に成功し、1974(昭和49)年8月より運用を開始します。そしてT-2をベースにした支援戦闘機F-1は、1975(昭和50)年6月3日に初飛行(このときはFS-T2改)に成功しました。

 こうして同時期に西洋と東洋で似たような外観を持つ「ジャギュア」とT-2/F-1が空を飛ぶようになったのですが、細部を見てみるとT-2/F-1のほうが「ジャギュア」よりも翼面荷重がやや大きく、主翼の構造も異なっているほか、スクランブルなど対領空侵犯措置用の要撃戦闘機としても運用されるF-1に対して、純粋に対地対艦攻撃機としてのみ運用される「ジャギュア」では、火器管制装置やレーダーの性能に差があるなど、数多くの相違点も見出せます。

 結局、「ジャギュア」とT-2/F-1、この両者は類似性こそあるものの、性能的には差があり、いうなれば「偶然」「他人の空似」に近しい関係ともいえそうです。しかしそうであれば、既述の「設計をある程度参考にした」という推測と矛盾してしまうのが、悩ましいところです。

 なお、「ジャギュア」もT-2(F-1)もすでに初飛行から半世紀以上が経ち、両機とも母国からは退役しています。残るはインドがライセンス生産した「ジャギュア」のみですが、同国も今以上のアップグレード化は行わない予定で、同じく国内でライセンス生産するスホーイSu-30MKIに置き換え退役させるとしています。

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