かつて国内唯一の「パイロット訓練用空港」として使用された下地島空港は、知る人ぞ知る存在から、いまや大きな変貌を遂げました。パイロットの目からは、どういった姿に見えるのでしょうか。

JALの機長に聞きました。

無骨な訓練空港からリゾート空港へ変貌

 かつて国内唯一の「パイロット訓練用空港」として使用されたほか、沖縄特有の青い海と機体との距離感から国内屈指の航空機撮影スポットとされる「17エンド」をもつ下地島空港。こういった背景から「聖地」とも呼ばれるようになった同空港ですが、パイロットからすると、どのようなところなのでしょうか。

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下地島空港(乗りものニュース編集部撮影)。

 JAL(日本航空)のパイロットもかつて同空港で訓練を実施していましたが、2013年をもって撤退しています。そうしたなか、同社は2023年5月にこの空港へチャーター(貸切)便を飛ばしました。退役が迫る旅客機「777-200ER」を用いた、日帰りのチャーター便フライトを軸とするファン向け企画です。

 その10年のあいだに、下地島空港は大きな変化を遂げています。きっかけは2015年、隣接する宮古島と下地島などのあいだに海上の道路橋「伊良部大橋」ができたことで、2島の往来が陸路で可能となったのです。

 こうした背景から、下地島空港は通常の旅客便の乗り入れ先として着目されるようになります。2019年には、タイのリゾート地にあるサムイ空港など、外国の地方空港からインスピレーションを受けたとされる新ターミナルビルが開業。かつての「訓練用空港」から、リゾート感あふれる「宮古島エリアへの第2の空の玄関口」になりました。

 大きく変わった下地島空港を、JALの木賀孝彦機長は「第2のふるさと」と称します。パイロットから見て、同空港にどのような変化を感じたのでしょうか。

出る出る! 実は訓練空港時代と変わらない下地島空港のポイント

「下地島空港はパイロットとしては『第2のふるさと』のようなところですので、立派なターミナルができて観光地として下地島などに訪れる方は増えたことは、本当に嬉しいです。ターミナルがない時代は、空港の事務所を通り抜けて、宿場などに向かったものです。逆にかつてのすごくローカルな雰囲気が減ったのは、少しだけ寂しい気もします」(JALの木賀機長)

 その一方で、「滑走路や空港のまわりの雰囲気は全く変わってないと感じました」とも。この日、全長60m以上ある777-200ERは、現旅客ターミナルから離れた、南側の管制塔がある区画へ、ターミナル方向に機首を向けない「横向き」で駐機。木賀機長によるとこれは、出発の際にトーイングカー(旅客機をけん引する車両)でバックせず、自走で前進・展開するためとのこと。このような駐機法なども、訓練空港時代と変わらないポイントなのだそうです。

“聖地”どう激変!? 過去を知るJAL機長が話す「下地島空港」の変遷 独特の駐機法は変わらず!
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JALの木賀孝彦機長(2023年5月、乗りものニュース編集部撮影)。

 ちなみに木賀機長は下地島空港での訓練について、次のような思い出を振り返っています。

「私は副操縦士時代に、ボーイング777への移行訓練で下地島に2週間程滞在して離着陸の訓練を行いました。訓練期間中は毎日天気が良く、コバルトブルーの海に浮かぶ真っ白な滑走路へ着陸し、『きれいなところへ着陸進入できていいな』と考えていました。

ところが、最後の試験日は雲が低く風が強く、訓練中では経験したことのない悪条件でした。そのようななか、777への信頼性と、教官の方から教わったことを忠実にやれば大丈夫だ!と言い聞かせ試験をクリアしたことを覚えています」

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