高崎線深谷駅はレンガ造りで、東京駅の大正時代に作られた部分である、いわゆる「赤レンガ駅舎」にかなり似ています。実はこれには渋沢栄一が大きく関係しています。
2024年7月3日から新一万円札の「顔」となる実業家・渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市で、旧暦の1840(天保11)年の2月13日に誕生しました。同市にある高崎線深谷駅はレンガ造りで、東京駅の大正時代に作られた部分である、いわゆる「赤レンガ駅舎」にかなり似ています。実はこれには渋沢が大きく関係しています。
東京駅風の建物である深谷駅(乗りものニュース編集部撮影)。
実は同市から東京駅建造のため約750万個のレンガが運ばれており、そのレンガ工場設立に関わったのが渋沢でした。そのことにちなみ、深谷駅の駅舎は1996(平成8)年に東京駅に似せて作られました。
渋沢栄一が政府の役人を辞め、実業家として500社にも及ぶ企業の設立・経営・支援に関わり始める明治時代初期は、西洋建築を意識した近代的な外観になる建築資材として、「赤レンガ」がよく使われるようになりました。
急速に需要が増えたレンガの生産のため、そのうち東京府(現在の東京都)内の瓦職人や佐官職人だけでは生産が追いつかなくなり、東京へのレンガの供給拠点として、日本煉瓦製造株式会社のレンガ工場が榛沢郡上敷免村(現:深谷市)に作られることとなります。
故郷にレンガ工場を作ったということで、地元の雇用活性化も多少意識したかもしれませんが、それ以上に、深谷の土がレンガ生産に適していることに着目したというのが工場設立の大きな理由となっています。また、伝統的な職を失い困窮している武士(士族)の働き先としても考えられていたようです。
1887(明治20)年に創業を開始したこの工場のレンガは東京駅のほか、司法省(現法務省)、日本銀行、旧東京裁判所、旧東京商業会議所、赤坂離宮、旧警視庁、旧三菱第2号館、東京大学などの建築物に使用されました。また、レンガ輸送のため深谷駅から工場までの約4.2kmにわたって日本初の専用鉄道が敷かれたことでも知られています。
かつて日本の建築を支えたレンガ工場と、その設立に関わった渋沢栄一が同地出身ということで、深谷駅の今の駅舎は東京駅に似せて作られましたが、実は本物の赤レンガを使っている訳ではなく、“赤レンガ風のタイル”です。これは建築基準法の関係で、以前のように建築材としてレンガを使えなかったためでした。

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