JR西日本が保有する14系客車「サロンカーなにわ」は、日本で最初の欧風客車です。この車両は、実用本位の国鉄が「乗って楽しい列車」を目指して方向転換した、歴史的なものでもあります。
日本の鉄道で設備をウリとした車両は黎明期よりありましたが、多くは富裕層向けでした。鉄道自体が「実用的かつ大量輸送をする交通機関」であり、現代の観光列車のような「乗ることを目的とした」列車は非常に珍しかったからです。
「サロンカーなにわ」の展望車(安藤昌季撮影)
それでも、例えば1932(昭和7)年には、名古屋鉄道の特急に使われるデセホ750形を畳式の御座敷列車として、半室を畳敷きに改装して宣伝するなど、設備をウリとする列車が徐々に出現してきます。国鉄も1960(昭和35)年、改造で登場したスハ88形を団体用「畳敷き客車」として登場させます。このお座敷客車は好評を得て編成単位で改造され、1970年代には人気を博しました。
しかし、1980年代以降、観光バスのデラックス化が進むと、目的地に直行できる利点からバスの方が人気を博します。焦った国鉄は、若年層に好まれる団体列車として新たな特別車両をデビューさせるべきと考えるようになり、1981(昭和56)年、欧風(ヨーロッパ風)客車として計画・改造したのが14系客車「サロンカーなにわ」でした。
国鉄の大阪鉄道管理局による改造で、同時期に東京南鉄道管理局が改造した「サロンエクスプレス東京」とともに日本初の欧風客車として、大きな注目を集めました。「サロンカーなにわ」は編成の両端に展望室を設置しましたが、国鉄における客車の展望車は1960(昭和35)年に廃止された一等展望車以来。なお、グリーン車扱いではあるものの、富裕層向けの一等展望車と違い、誰でも乗れる点も注目を集めました。
「サロンエクスプレス東京」との違いとは編成端を展望車とし、そのうちの1両を、ビュッフェ機能を持つラウンジカーにしたことは「サロンエクスプレス東京」と同じですが、同車が個室主体であったのと異なり、「サロンカーなにわ」は1+2列でリクライニングシートが並び、片側通路がある解放型客室でした。ちなみに、解放型客室の入口には靴箱があり、土足厳禁という構成は斬新だったといえるでしょう。

ラウンジカー(安藤昌季撮影)
側窓サイズはオリジナルの14系客車と同じですが、座席が置かれている部分の床は6cmかさ上げされており、景色の見やすさにも配慮されています。団体用であり、座席は45度ごとに固定できる回転式。4つの座席を1方向へ向けることもでき、インアームテーブルも備わるので、トランプなどのカードゲームもしやすいというメリットもありました。
座席間隔は1160mm。これは一般的な特急グリーン車と同じですが、フットレストなどはなく、やや足が浮くような座り心地です。当初は0系新幹線グリーン車の座席と同じものを採用する予定でしたが、団体用の特殊仕様が多いため、新設計となりました。なお、室内には50インチビデオスクリーンやカラオケ装置も備わります。
展望室には、一等展望車のような座面が深くゆったりしたソファが設けられました。ラウンジカーにはカウンターが備えられていましたが、カウンター部分に座席はありません。なお、展望車は14系客車のスハフ14形を改造したもので、車掌室がない側に展望室を設置しています。ちなみに車掌室がある側は、わざわざ角度のついた折妻を平らな切妻に作り直して編成美を整えており、「サロンエクスプレス東京」より細かな部分の造形にこだわっています。
お召列車の栄誉にも登場以来、団体列車として運行されることが大半でしたが、ときには山口線の「SLやまぐちDX」として蒸気機関車に牽引されたり、「サロンカー屋久島」のような臨時夜行列車で起用されたりしました。

団体専用夜行列車「サロンカーあかつき」(2016年11月25日、安藤昌季撮影)
2010年代になってからは、団体専用夜行列車として運行されることも増え、「サロンカーあかつき」「サロンカーあさかぜ」「サロンカー明星」といった、かつての寝台特急を模した列車としても運行されました。筆者(安藤昌季:乗りものライター)は、大阪~長崎間を走った「サロンカーあかつき」に乗車しましたが、夜間は室内灯が減光され、オリジナルの14系客車同様、夜行運行に対応していることを実感しました。
「サロンカーなにわ」は1994(平成6)年より、お召し列車としても運行されています。ラウンジカーでもあるスロフ14形703号は、天皇陛下のご乗車を想定して防弾ガラスとされ、隣のオロ14形706号のトイレは洋式化されています。天皇陛下のご乗車時には、スロフ14形703号が編成最後部となるため、2003(平成15)年の山口線運行時は、「SLやまぐち」用の転車台を利用して車両1両ごとに方向転換させるなど、お召し列車としての細やかな配慮もなされていました。
2025年現在、「ジョイフルトレイン」と呼ばれた団体用改造列車はほぼ廃車されていることから、「サロンカーなにわ」は数少ない生き残りといえるでしょう。「サロンカーなにわ」以降、急速に増えた「乗ることを目的とした列車」は、今や全国に波及しており、日本は世界一の観光列車大国となりました。その始まりというべき歴史的名車である「サロンカーなにわ」。1日でも長く走り続けることを望みます。