第二次大戦中、イタリア艦隊の戦艦「ローマ」が、同盟国であるはずのドイツの爆撃機によって撃沈されました。世界で初めて「誘導弾に沈められた船」の最期を追います。
第二次大戦中、イタリア艦隊の旗艦だった戦艦「ローマ」が、同盟国であるはずのドイツ軍爆撃機によって撃沈される――という椿事がありました。しかも、そのときに使用された兵器は、ナチス・ドイツ軍が開発した秘密兵器である「誘導爆弾」でした。本稿では、初期の誘導兵器にまつわる歴史的な出来事について、詳細を追います。
船体に迷彩塗装を施した「ローマ」(パブリックドメイン)
1936(昭和11)年にロンドン海軍軍縮条約から日本と共に脱退したイタリアは、その当時すでに旧式化していた戦艦の代替として「ヴィットリオ・ヴェネト」級2隻を建造中でした。このネームシップの1番艦と2番艦「リットリオ」は1934(昭和9)年に起工、1940(昭和15)年4月に就役しています。これは奇しくも、日本の「大和」と時期が重なっています。
計画時の「ヴィットリオ・ヴェネト」級は軍縮条約の制限に収める予定でしたが、完成時は満載排水量4万5000トンの巨艦になっています。主砲は38cmながら三連装砲塔3基計9門を備え、最大速力は30ノットでした。
しかし、イタリア海軍は、地中海方面で活動するため、有事の際はフランス海軍やイギリス海軍と戦う必要がありました。この2か国の海軍を相手にするには旧式艦とヴィットリオ・ヴェネト級2隻では戦力に劣るため、2隻を追加しました。それが、「インペロ」と「ローマ」で、このうち「ローマ」は、イタリアが建造した最後の戦艦となりました。
「インペロ」と「ローマ」は同じ1938(昭和13)年に起工したものの、翌年9月に第2次大戦が勃発すると、「インペロ」の工事が中断。
しかし「ローマ」が就役した頃、戦局は枢軸国にとって不利な状況で、燃料不足も深刻でした。そのため、「ヴィットリオ・ヴェネト」級は本土の軍港で防空用の浮砲台になり、連合軍の爆撃に晒されていました。
さらに約1年後の1943(昭和18)年5月、イタリア半島の目の前にあるシチリア島に連合軍が上陸を開始します。この責任を取らされてムッソリーニが失脚。後継のバドリオ政権は休戦協定を模索し始めます。
この頃、イタリア海軍は、連合軍の本土上陸に備えて艦隊総司令官カルロ・ベルガミニ提督の旗艦「ローマ」と、「ヴィットリオ・ヴェネト」、それに「リットリオ」改め「イタリア」の戦艦3隻を主力に、軽巡洋艦3隻と駆逐艦8隻を北西部の軍港ラ・スペルツィアで待機させました。
1943年9月9日、艦隊は連合国艦隊をサレルノで迎え撃つため出航したところ、休戦協定締結のニュースが入り作戦は中止になります。休戦協定の条件にはイタリア艦隊の引き渡しが含まれていました。翌10日朝にジェノバから来た軽巡洋艦3隻が合流し、指定されたラ・マッダレーナ島に向かいます。
この艦艇引き渡しに危機感を覚えたのが、同盟国だったドイツでした。休戦協定を受けて、ドイツ軍はイタリア艦隊が連合国の手に落ちるのを阻止するため、イタリア軍守備隊のいたラ・マッダレーナ島を占領したのです。
スペルマリーナ(イタリア海軍参謀本部)は、ドイツ軍から攻撃を受けたら対応するようベルガミニ提督に命令して、イタリア艦隊は目的地をアルジェリアに変更します。
秘密兵器「フリッツX」イタリア艦艇の引き渡しを阻止すべく、マルセイユ近郊を出撃したドイツ空軍第100戦闘航空団のドルニエDo217爆撃機の編隊は10日午後イタリア艦隊を捕捉しました。このとき、ドイツ軍のDo217はルールシュタールSD1400X(愛称「フリッツX」)を搭載していました。

ドイツ軍の秘密兵器.「フリッツX」(画像:Alf van Beem < CC0 >)
このフリッツXはミサイルのような推進装置がなく、母機から無線操縦で爆弾本体の安定翼を制御する自由落下式の誘導爆弾でした。スマート爆弾(誘導爆弾)の元祖にあたります。これは、高度5000m以上で投下後、爆弾の尾部から発するフレアを母機の爆撃手が望遠式照準器を見ながら、手元のジョイスティックで操作する仕組みです。
ドイツ軍はロケット推進の無線誘導爆弾ヘンシェルHs293と共に、フリッツXを8月からイタリア戦線に投入しており、連合軍は謎の新兵器を警戒していました。
飛んできたぞ~ドイツ軍機 その直後…こうして飛来したドイツ軍爆撃機は対空砲の射程外だったので、イタリア艦隊は静観していました。Do217が爆弾を投下しても距離があるので命中しないと高をくくっていたのです。
しかし、Do217が投下したフリッツXの1発目は軽巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」に至近弾、2発目は「イタリア」の艦尾に命中して舵が損傷します。
一方、「ローマ」を狙った1発目は外れたものの、2発目が右舷中央部を貫通しボイラー室の浸水で艦が停止、そして司令塔の左舷前方に命中した3発目が致命傷になりました。弾薬庫の誘爆で2番主砲塔が吹き飛び、司令塔が大破してベルガミニ提督ら幕僚が戦死しました。
やがて転覆した「ローマ」は船体が2つに折れて沈没し、就役からわずか1年余りで敵艦と砲火を交える機会もなく短い生涯を閉じました。命中弾を受けた「イタリア」は、大量の浸水を排水作業でしのいで航行を続けました。
生き残ったイタリア艦隊はイギリス艦隊の護衛でマルタ島に回航されました。このイギリス艦隊も9月15日、フリッツXによる爆撃で、戦艦「ウオースパイト」と「バリアント」が大破しています。
一連の爆撃が無線誘導兵器と判断した連合軍は、1944(昭和19)年に入ると電子妨害(電子戦)を開始し、フリッツXの効果は失われていきました。
こうして「ローマ」は誘導兵器に沈められた最初で唯一の戦艦として、歴史に名を留めることとなったのです。