「いつも天気が悪く涼しい英国」は、もう過去のイメージかもしれません。特にロンドンの地下鉄ビクトリア線は、まるで蒸し風呂。
猛暑の日本から避暑のためにロンドンへ。そんな時代は、もう終わったのかもしれません。特にロンドンの地下鉄は要注意です。
ビクトリア線で最も深いピムリコ駅は海抜マイナス22.5m(赤川薫撮影)
2022年夏は記録的猛暑で、英国政府が国家非常事態宣言を出す騒ぎでしたし、2025年6月下旬から7月上旬は気温が平均より4度近く高くなり、ロンドンで263人の死者が出たと報じられています(スカイニュースによる)。
そもそも温暖化で日中の温度が30度を超えることが珍しくなくなり、南欧並みの40度を記録することすらあります。もはや、かつてのような「いつも天気が悪く涼しい英国」のイメージではなくなりました。
温暖化を受け、ロンドンの地下鉄もようやく暑さ対策に着手しました。環状のサークル線や、2022年5月に開業したヒースロー空港直結のエリザベス線など4割の路線でクーラーが完備されました。現在、クーラーが導入されていないセントラル線なども、具体的な工期は未定ながら、今後、車内にクーラーが設置される予定です。
ところが暑さ対策の計画すらなく、まさに蒸し風呂のようになっている路線があります。「ロンドンで最も暑い地下鉄」と悪名高いビクトリア線です。
ビクトリア線の2024年の年間平均温度は28度でしたが、これは2013年よりも約7度、3割近くも上昇しています。同期間の地下鉄全線の年間平均温度の上昇率がわずか7%だったことと比較すると、ビクトリア線がいかに暑くなっていっているか分かります(ロンドン地元紙による)。
英メディアでは、温度計を持参した記者がビクトリア線に乗って、どれだけ暑かったかを記事にするのが毎夏の風物詩のようになってきました。夏が暑いのはもちろんのこと、更年期障害に悩む筆者(赤川薫:アーティスト・鉄道ジャーナリスト)の場合、真冬でも「ビクトリア線に乗る」と分かっている日には、なるべくスムーズにコートを脱いで薄着になれるように服装や持ち物を考慮して出かけるほどに暑いのです。
なぜ、ビクトリア線は季節を問わず、そんなにも暑いのでしょうか。
ビクトリア線特有の暑さの原因暑さの原因は、トンネルの口径が小さくてクーラーの車外機を取り付ける場所が車両にないことや、地下深くに造られているため熱が逃げにくいこと、粘土質の地質が熱をためやすいこと、地上に出る区間がまったくないことなどが挙げられます。しかし筆者は、それら以外にも、ビクトリア線特有の原因がありそうに思えます。
ビクトリア線は、暑さ以外にも、各駅がそれぞれ、地下の中の小高い「丘」の上に造られている「ハンプ・バック・ステーションズ(Hump-back stations)」という方式を採用していることで知られています。駅が丘の上にあることで、駅から発車した列車はジェットコースターのように坂を駆け下ることで自然と加速し、その助走を生かして次の駅まで坂を駆け上り、最後は上り坂を利用して減速することが可能なのです。
これにより、ビクトリア線は平らな路線の場合よりも5%の節電を達成し、速度は9%速くなっているといいます(デイヴィッド・J・C・マッカイ「Sustainable Energy – without the hot air」による)。
ここで問題なのが、速度が9%速くなると、摩擦熱の発生量は2割弱も増加するということです。摩擦熱が大きくなると、当然、車輪やレールは熱くなります。
つまり、ビクトリア線は他路線よりも速い分だけ、列車が熱を生産しながら走っている路線だといえるのではないでしょうか。
ロックコンサートを超える騒音レベルの摩擦また、ビクトリア線は、車輪とレールがこすれる際の「きしみ音」がひどいことでも悪名高い路線です。走行速度が速い分だけレールが傷みやすく、その上を走ると摩擦が大きくなって騒音が生じます。
2010年代から取りざたされ始めたビクトリア線の騒音問題。耳鼻科医などによって耳栓やノイズキャンセリングイヤホンの使用が推奨されるなど、鼓膜に支障をきたすほどのきしみ音です。2024年にはロックコンサートの騒音(110デシベル)を上回る112.3デシベルを記録し、同年には、こうしたビクトリア線の騒音にさらされ続けていることに抗議する運転士たちが、騒音が発生する区間に来るとブレーキをかけて速度を落とすことを宣言しました。
ブレーキをかけることによりレールの劣化がさらに進み、また、減速分の遅れを取り戻すために、それ以外の区間で加速し、さらにレールが劣化する――。そんな悪循環に陥っているといいます(BBCによる)。当然、そのすべての局面で、車輪とレールの摩擦熱で温度が上昇していることが予想されます。
もちろん、ロンドン交通局もブレーキによる発熱を抑える回生ブレーキを導入したり、レール表面を定期的に研磨したりと、摩擦熱が発生しにくいように対策は取っているようです。
また、発生してしまった熱をトンネル外に排出する設備や、冷気を送り込むシステム、地下水を利用して空気を冷却する仕組みなど、温度を下げるための技術的努力も取られていますが、結果が出ていません。
ビクトリア線は、未だにクーラーの計画もまったくの白紙状態で、暑さ対策から完全に取り残されている状況です。
この夏、ロンドンを訪れ、ビクトリア線に乗る際には、手持ちの扇風機にノイズキャンセリングイヤホンが必須のようです。