アメリカ海兵隊が運用するAV-8B「ハリアーII」の退役を迎える日が、刻一刻と近づいています。2026年中にも完全退役する見込みの同機は、数々の実績とともに、日本でいう“お茶の間”も騒がせた人気者でした。
【あーあ…】これが「丸裸にされた」引退ハリアーIIです(動画で!)
AV-8Bはイギリスで開発された世界初の実用VTOL(垂直離着陸)戦闘機「ハリアー」をベースに、アメリカとイギリスが共同開発したVTOL戦闘機です。アメリカ海兵隊は1985(昭和60)年から運用を開始。1991年の湾岸戦争や1999年にコソボで行われたアライド・フォース作戦、2001年にアフガニスタンで行われた不朽の自由作戦、2003年のイラク戦争など、数々の実戦に参加しています。
湾岸戦争ではアメリカ海軍の強襲揚陸艦「ナッソー」に20機が搭載され、「ナッソー」は「ハリアー空母」として運用されました。
近年では海上自衛隊のいずも型ヘリコプター搭載護衛艦や、イタリア海軍の「カブール」など、ハリアーIIの後継機として開発されたSTOVL(短距離陸・垂直着陸)戦闘機のF-35Bを搭載する軽空母が出現していますが、「ナッソー」は、1982年に発生したフォークランド紛争におけるイギリス海軍の空母や「ハリアー」と同様、軽空母と軽空母で運用できるジェット戦闘機の実戦における有用性を実証した存在と言えます。
岩国基地でのデモフライトで人気にハリアーIIはアメリカ海兵隊岩国航空基地にも1989(平成元)年から2017(平成29)年まで配備されていました。岩国基地の一般公開で、デモフライトの最後にホバリング(空中静止)し、機首を少し下げて「お辞儀」のような機動を披露したのを、印象深く覚えておられる方も、少なくないのではないでしょうか。
滑走路を必要とせずに離着陸が可能で、空中静止もできることから、ハリアーとハリアーIIは多くのフィクション作品にも登場しています。
1994年に公開された映画『トゥルーライズ』では、ハリー・タスカー役のアーノルド・シュワルツェネッガーがハリアーIIをホバリングさせながらビルの高層階の窓に現れるというシーンがあります。この映画のヒットにより、ハリアーIIはマニア以外からも広く人気を集めることとなりました。
コーラの景品にされかけたハリアーIIこの人気に目を付けたのが、ペプシコーラを製造販売しているペプシコ社です。
アメリカ海軍の東部艦隊即応センター(FRCE)で2024年10月に修理を受けたハリアーII。
ペプシコ社は1995年から96年にかけてアメリカで展開された販促キャンペーン「ペプシスタッフ」で、ペプシコーラの購入でポイントを貯めれば、ハリアーIIと交換できるとテレビCMで喧伝しました。
キャンペーンは500ミリリットル入りのペプシコーラ1箱分(24本)を購入すると、10ポイントが購入者に与えられる仕組みで、ハリアーIIとの交換には「700万ポイント」を必要としていました。
700万ポイントの獲得は現実的な話ではなく、当然ペプシコもジョークのつもりだったのですが、15ポイントを貯めた購入者は、商品交換に必要な不足分のポイントを、1ポイント10セントに換算して応募できることとしたことから、大騒動に発展します。
大学生が挑んだ70万ドルの賭け当時大学で経営学を専攻していたジョン・レナード氏が、ポイント不足分を金銭で補えるという仕組みに目を付け、ペプシコーラ36本分のポイントに添えて、不足している69万9998.5ポイントに相当する69万9998.5ドルに手数料10ドルを加算した小切手を添えて応募したのです。
レナード氏の応募を受け付けたペプシコ社は、ハリアーIIとの交換は販促キャンペーンのユーモアであるとして、レナード氏に小切手を返送しました。しかしレナード氏は納得せず、その後の話し合いでもレナード氏がペプシコ社の主張に納得することはありませんでした。
このためペプシコ社は、レナード氏にハリアーIIを提供する義務がないことを確認するため、連邦地方裁判所に提訴。一方のレナード氏も、ペプシコ社の販促キャンペーンが虚偽広告、不公正取引に当たるとして、連邦地方裁判所に提訴しています。
ペプシコ社とレナード氏の双方から提訴を受けた連邦地方裁判所は、ポイント交換キャンペーンのカタログにはハリアーIIが記載されておらず、ペプシコ社のキャンペーンは「明白な冗談である」として、レナード氏の訴えを棄却し、ペプシコ社がレナード氏にハリアーIIを提供する義務がないことを確認しています。
同氏は連邦高等裁判所に控訴しましたが、連邦高裁はこの控訴を棄却。判決は確定しました。この裁判は「レナード対ペプシコ事件」として、法曹関係者以外にも広く知られており、Wikipediaにも独立した項目が設けられています。
ハリアーIIはその実績で航空史に名を刻む名機となったことは間違いありませんが、妙な形でも歴史に名を残す航空機となったのも、その人気の高さによるものなのかもしれません。