NPO法人「防衛技術博物館を創る会」が九五式軽戦車(通称:ハ号)と戦車改造ブルドーザー(通称:ハ号ブル)の2台同時展示を行ないました。これら車両はNPO法人が設立を目指す防衛技術博物館に展示をするために、入手・レストアしたもので、いずれも太平洋戦争前の1930年代に開発・生産された旧日本軍の戦車です。
【写真】これが「戦車改造ブルドーザー」驚愕の全貌とビフォーアフターです
1945年8月に日本と連合軍の間で繰り広げられた太平洋戦争が終結。その直後から戦禍によって荒廃した日本国内の立て直しが始まりますが、国内は終戦直後の混乱によって慢性的な物資不足の状態であり、復興工事に必要な建設機械もありませんでした。
終戦後に日本を統治していたGHQはその解決策として、旧日本軍の使われなくなった戦車や装甲車を民間車両として改造するというアイディアを思いつきます。
アイディアは直ぐに実行されることになり、戦車・装甲車合わせて数百台が改造され、ブルドーザーや除雪車、資材運搬車となりました。また、当時の警視庁も暴動鎮圧用に戦車を改造した警備車両を運用していたそうです。
当時はこれら車両を「更生戦車」や「更生ブルドーザー」などと呼んでおり、武器を非武装化して民間で再利用することを「更生」と表現したのは、当時の日本の敗戦感とそれに伴う兵器に対する忌避感を表しているといえるでしょう。
改造された戦車は九七式中戦車や九五式軽戦車が多く、いずれも砲塔部分を外して運転席を露出したオープントップ型となっていました。更生戦車は不要になった軍需物資を再利用しているため、価格面でも相当安く民間に払い下げられており、ブルドーザーの場合は一般の市販品よりも約3分の1程度という低価格だったそうです。
日本の復興と共に姿を消した更生戦車 なぜ?更生戦車の操縦や整備は、戦時中にこれら車両が兵器だった頃に関わっていた人々が行なったと言われています。戦後直後の混乱期にあっても、更生戦車は元が戦争の道具だったゆえに物資と人員が豊富にあり、全国各地の土木工事や田畑の開墾などに活用されました。
しかし、日本の復興が進んでいくと、これら更生戦車は急速に姿を消していきました。
一番の理由は更生戦車が改造品として作られたためか、正規のブルドーザーなどと比べると性能的に劣っていたからです。国内が安定して国産ブルドーザーや米国製の中古品が市場に出回ると、急造品だった更生戦車はそれら高性能な機材に更新され、使われなくなった更生戦車は、元兵器ということですぐに廃棄されていきます。
NPO法人が入手したハ号ブルも、更生戦車として使われたのは終戦から10年程度だったそれほど長く使われなかったそうです。しかし、この車両はその後に廃棄されることなく、次のオーナーの手に渡り別の用途で使われ続けたのです。
2代目のオーナーはこの車両をブルドーザーではなく、車両を改造して製材所での材木を引っ張る運搬車として利用しました。ブルドーザーの顔ともいえる正面の排土板は外され、エンジンも戦車用の空冷ディーゼルエンジンから、バスやトラックといった大型車両用の水冷ディーゼルエンジン(いすゞ製DA120)に載せ替えられました。
北海道から御殿場へ 今後は旧日本軍の戦車とともに展示予定運搬車となった更生戦車がいつ頃まで使われ続けたかは分かりませんが、1975年頃に次の3代目オーナーの手に渡ります。場所は北海道で、新しいオーナーは除雪などに使うために運搬車となった更生戦車を、再びブルドーザーに戻す改造を行います。
九五式軽戦車。レプリカではなく、ミクロネシア連邦のポナペ島で放置されていた車両を、約20年ほど掛けて現在の形に修復した(布留川 司撮影)。
コマツ製ブルドーザーの排土板を取り付け、それを上げ下げするためのアームを新しく造り、動作させるための油圧システムも追加しました。オープントップ型の運転席には屋根とガラス窓を一点モノで制作して取り付けられ、個人のDIY改造ではありますが機能も外見も立派なブルドーザーであり、その後は2010年頃まで現役車両として使われ続けたそうです。
NPO法人は2023年にこの車両を3代目オーナーから譲り受け、後世に残すためにレストアを開始。再改造されたブルドーザーという経緯から「更生戦車」という名称は使わず、ベースとなった九五式軽戦車の愛称である「ハ号」と取って「ハ号ブル」という独自の名称を付けます。クラウドファンディングで募った資金を元に、約1年もの期間をかけて現在の状態に復元しました。
「ハ号ブル」は現時点では常設公開されていませんが、今後はNPO法人が御殿場市で開設を目指している防衛技術博物館において、九五式軽戦車とともに展示を行なう予定だそうです。
また、NPO法人では今年の4月に、アメリカより九七式中戦車改を帰国させ、こちらも走行状態にレストアを進めるそうで、今回のハ号ブルでの作業のノウハウがそこで生かされるそうです。
かつての日本で、戦後の混乱期に物資不足から行なわれた戦車の平和利用。その生き証人ともいえる戦車改造ブルドーザーは、今後も動く車両として後世に残されていくことになりそうです。