政令指定都市を走った鉄道、ちょっとだけ「路面電車」

 本州の日本海側最大の都市であり、政令指定都市である新潟市の市役所前の道路を、「路面電車」が発着していました。現在は路線バスや高速バスを運行している新潟交通が1999年に廃止した「電車線」です。

【廃線とは思えない…!?】これが「新潟交通電車線」と保存車両です(地図/写真16枚)

「電車線」は、手始めに新潟交通の前身、新潟電鉄が1933年4月に新潟市の東関屋―白根間で開業。同年7月に県庁前(85年に「白山前」へ改称)―東関屋間、同年8月に白根―燕(新潟県燕市)間がそれぞれ延伸し、全長36.1kmができあがりました。

 単線で大部分が専用軌道でしたが、中でもユニークだったのが移転前の新潟県庁、および現在の新潟市役所の前にあった県庁前(後の白山前)―東関屋間のうち2.2kmの軌道線(路面電車)です。いわゆる路面電車の車両ではなく、一般的な鉄道車両が道路上を行き来していました。

 筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は1984年に新潟県を旅行した際、県庁前駅を出発する緑色とオレンジ色のツートーンでまとった通称「かぼちゃ電車」のモハ10形を見て「カッコいい」と感激して乗車したいと思いました。しかし、次の電車がしばらく来ないことが分かり、乗れないまま廃線になったのが心残りとなっていました。

 筆者は2025年9月中旬に新潟日報政経懇話会長岡会での講演のため新潟県を訪れた際、41年ぶりに「かぼちゃ電車」と“再会”しました。途中駅だった旧月潟駅(新潟市)の周辺の廃線跡約2.2kmが遊歩道として整備されており、今も残る月潟駅プラットホームに展示されたモハ10形は、ボランティア団体「かぼちゃ電車保存会」のおかげで美しい姿を保っています。

41年ぶりの再会で見た美しい車両群

 保存されているのは1933年に日本車両製造で製造され、66年に車体更新をしたモハ10形モハ11号のほか、33年に製造された電動貨車モワ51形51号、鉄道省大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)で32年に造られ、67年に新潟交通入りした雪かき用のラッセル車キ100形116号の3両です。うち、モハ11号は2025年9月28日にイベント「走れ!かぼちゃ電車2025」で走行します。

 旧月潟駅の近所に住む男性は「新潟交通電車線があったおかげで高校まで電車で通学でき、新潟市の中心部に遊びに行くときも乗った」と振り返ります。
「今は月潟停留所から(新潟交通グループの)路線バスで繁華街や新潟駅へ行くには、たいてい青山停留所で乗り換える必要があり、本数も少なくなって不便になった。

近くの高校生は親がマイカーで送り迎えしている家が多く、親御さんの負担になっている」――男性はこう指摘しました。

実は“あの橋”は鉄道通せる仕様!?

 軌道線と専用軌道を直通運転する運行形態は欧米で広がった次世代型路面電車(LRT)をほうふつとさせ、宇都宮市と富山市はLRTの登場がゲームチェンジャーになりました。新潟交通電車線が残っていれば脱炭素化に役立ち、利便性も高いLRTとして再度脚光を浴びた可能性もあります。なぜ21世紀を待たずに消滅してしまったのでしょうか。

残っていれば化けていた? 都市を駆けた廃止26年の鉄道「今は...の画像はこちら >>

新潟交通電車線の旧・月潟駅に残る駅名標(大塚圭一郎撮影)

 新潟交通電車線が敷設される大きなきっかけとなったのが、信濃川の支流である中ノ口川で住民の足となっていた蒸気船が1927年に一時運休した出来事です。大河津(おおこうづ)分水堰が陥没したのが原因で、代替となる鉄道を建設するために中ノ口電気鉄道が29年に設立されました。32年に新潟電鉄へ改称し、43年に新潟交通となりました。

 1933年8月の県庁前―燕間の運行開始後も、新潟駅への延伸を計画していました。信濃川へ29年に架けられた3代目となる現在の萬代橋(ばんだいばし、長さ306.9m)は、電車も通れるように22mもの幅を確保しましたが、37年に勃発した日中戦争による物資不足が響いて新潟駅への延伸は実現しませんでした。

 新潟交通電車線は第2次世界大戦後に利用者数が急拡大し、1963年度の輸送人員は約630万人に上りました。しかしながら、沿線住民らのマイカー所有が広がるモータリゼーション化が逆風となります。

 クルマの通行が増える中で、軌道線区間の電車はクルマの通行を妨げる「厄介者」扱いを受けました。

マイカーへの移行による利用者数減少で電車線は赤字経営が慢性化し、白山前―東関屋間が1992年3月に運行を終了。軌道線を駆けていた“主”が、後発のマイカーに蹴落とされる「ひさしを貸して母屋を取られる」形で退場に追い込まれました。

 専用軌道だけを走るようになった電車線は、1993年7月末で月潟―燕間も営業運転を終了。これで燕駅でのJR東日本弥彦線との接続がなくなり、孤立路線になってしまいました。

 残る東関屋―月潟間は95年度の輸送人員が約101万人まで落ち込み、99年4月に全廃されて66年の歴史に幕を閉じました。

「BRT」はできたけど…

 軌道線だった区間を含めた新潟駅―青山間は今、新潟交通が運行する基幹バス路線「萬代橋ライン」が、平日朝夕の通勤通学ラッシュ時に5分おきの高頻度で運行されています。新潟市の学識者らでつくる検討委員会の提言を受けて2015年に整備され、新潟市が負担して連節バスが導入されました。

残っていれば化けていた? 都市を駆けた廃止26年の鉄道「今は不便になった」 “LRTみたいな構造”がアダに?
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新潟交通が運行する「萬代橋ライン」の連節バス(大塚圭一郎撮影)

 この「萬代橋ライン」は当初、「BRT(バス高速輸送システム)」を名乗りましたが、BRTの要件であるバス専用車線は導入されないまま24年にBRTの名称が廃止され、表示類も「BUS」へ改められました。

 新潟市ほどの大都市ならば、輸送力と脱炭素化の両面で優位性があるLRTを建設し、低床式車両を運行させる方が望ましいと筆者は考えています。

 マイカーの普及と利用者減少で包囲網が狭まって廃止された新潟交通電車線がもしも残っていれば、“織り込み済み”だった萬代橋への線路敷設を含めて、新潟駅前への延伸が実現する日が訪れたかもしれません。その場合には地元住民に加えて観光客の足にもなり、低床式車両が萬代橋を渡る姿は新潟市の新名物になったことでしょう。

保存電車、どうやって動かすの?

 もしも電車線が残っていたなら、と惜しまれる電車線ですが、前出の通り2025年9月28日には「かぼちゃ電車保存会」のメンバーがモハ11号を片道約50mにわたって走らせます(乗車は有料)。

平田 翼会長は「アント(車両移動機)で車両を牽引でき、圧縮空気でブレーキや自動ドアを動かし、扇風機や照明は100V電源で駆動可能です」と説明します。

 旧月潟駅周辺には架線と架線柱が残っていますが、平田会長はパンタグラフから集電して走らせることは「技術的には可能だが、経済性やその後の維持管理まで考慮するとハードルが非常に高い」と打ち明けます。というのも、運行中と同じように架線に直流1500Vの電気を流して車両を動かすには「供給できる設備の建設と架線・架線柱の修復が必要で、その後の維持管理にも専門の管理者が必要なため」です。

 一方で平田さんは将来の「夢」として「乗車体験の機会を増やしたり、アントで牽引する形で貸し切り運行や運転体験を実施したり、線路の延伸、車庫建設を検討している」と明かしました。運行終了から四半世紀余りが過ぎても、「かぼちゃ電車」の現役時代を追体験できるのはとても貴重です。「かぼちゃ電車保存会」の活動に敬意を表するとともに、さらに発展して乗車機会が広がることを期待したいと思います。

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