民間の救難車両が原型

 2025年12月上旬より公開が始まったアニメ映画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』。劇中でアメリカ軍の上陸用車両として登場するのが、水陸両用の装軌車両「アムトラック」です。

【未来感あふれすぎ!】これが開発中の「 日の丸水陸両用車」のイメージです

 太平洋戦争は島嶼戦がメインだったため、様々な上陸戦用兵器が投入されましたが、一見地味なこの装甲車がなければ、アメリカ軍の戦略は成り立ちませんでした。

 しかも、それから80年、その「進化版」は日本の安全保障を語るうえでも欠かせないものになっています。誕生していなかったら、陸上自衛隊の装備体系にも影響していたかもしれない。そんな兵器の繋がりについて振り返ってみましょう。

 そもそも、敵前上陸作戦は最も危険で困難な軍事作戦のひとつです。そして、この敵前上陸作戦の経験がダントツで豊富なのがアメリカ海兵隊です。世界中の紛争地に海軍と協力して真っ先に投入されるためです。

 その海兵隊では、第一次世界大戦の戦訓から、上陸作戦を安全に成功させるには、沖合から直接海岸に乗り付け、そのまま自走できる特殊な車両が必要と認識されるようになりました。

 このような考えから水陸両用装軌車両の開発がスタートしますが、予算不足で形にはなりません。そんなとき、民間企業のレーブリング社で開発された「アリゲーター」という名の救急活動車両に目が留まります。これは舟型の完全装軌式車両で、水かき状の履帯ブロックで自力航行が可能であり、陸地ではそのまま履帯で走行できるというものでした。

 そこで海兵隊は、この「アリゲーター」を軍用に強化した車両開発をレーブリング社に依頼します。

もっとも建設会社の一部門に過ぎない同社の生産能力では、軍の仕事は手に負えなかったので、フォード・マシナリー社(FMC)に契約が引き継がれました。

 こうして生まれたのが、現代にも続く水陸両用装軌車両の始祖、LTV(Landing Vehicle Tracked:上陸用装軌車)です。太平洋戦争(第二次世界大戦)が始まると海兵隊用の装備として量産が進み、海兵隊では水陸両用トラクター(Amphibian Tractor)という名称を略して、「アムトラック」と呼ばれました。

特殊能力で米海兵隊の救世主に

 ただ、アムトラックは鈍足で、水上では速度11km/h、陸上では26km/hしか出ませんでした。また装甲も薄く、兵装は7.62mmブローニング機銃を2丁のみと、軍用車両としては貧弱そのものでした。それもそのはず、本来は洋上の船と上陸海岸を行き来する輸送がメインの水陸両用車として開発されたからです。

「アムトラック」がなければ上陸作戦は失敗していた? 日米戦で...の画像はこちら >>

太平洋戦争末期の沖縄戦で、上陸地点へ向けて航走中のLVT-4。後方で砲撃しているのはアメリカ海軍の戦艦「テネシー」(画像:アメリカ海軍)。

 当初想定された運用法は、上陸した海兵隊はどんどん内陸に進んでいくので、その後を追って補給物資を届け、負傷兵を乗せて、そのまま沖合の輸送船などに後送するというものでした。

 アムトラックのデビュー戦は対日戦、1942年8月のガダルガナル島攻防戦ですが、それから1年以上は、上陸海岸のトラックとして使われました。転機はタラワを巡る戦いです。この時期、アメリカ軍は海軍が中心となって中部太平洋方面で攻勢を開始します。

この作戦の障害となるのが、日本軍が拠点化している島々です。いずれも巨大な珊瑚礁に囲まれた環礁で、これが敵前上陸作戦の重大な障害になると予想され、初めてLVTが上陸戦闘に使用されます。

 これが大正解でした。従来使用していたLCVP(Landing Craft, Vehicle, Personnel:上陸用舟艇)は兵士36名を乗せることができたため、24名しか運べないLVTは、収容人数の点では劣ります。

 しかし、アムトラックが難なく珊瑚礁を乗り越えて砂浜にたどり着いた傍らで、船であるLCVPは珊瑚礁を乗り越えられず、兵士を砂浜よりずっと沖合で下船させるしかありませんでした。結果、珊瑚礁の上で降ろされた兵士らは海水に浸かりつつ、遮蔽物のない場所で次々負傷し、大損害を出しながら砂浜を目指さなければならなかったのです。

 こうした戦訓から、もしアムトラックがなかったら、上陸作戦は失敗していた可能性が高かったと評価されています。

三菱重工製の水陸両用車に繋がる系譜とは

 こうしてアムトラックは対日戦で不可欠な兵器であることが認められました。

「アムトラック」がなければ上陸作戦は失敗していた? 日米戦で重用された“地味装甲車” 映画『ペリリュー』にも登場
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1960年代、アメリカ海兵隊で使われるLVTP5水陸両用車(画像:アメリカ海兵隊)。

 タラワ以降の太平洋での上陸作戦で、アムトラックを見かけない戦場はありません。同時に装甲を強化した改良型LVTや、戦車の砲塔を搭載して、上陸後も一定時間なら火力支援能力を発揮できた「アムタンク」と呼ばれる派生型も開発・量産されます。アニメ映画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は、1944年9月に実施されたパラオ諸島ペリリュー島の戦いがテーマですが、上陸シーンにはしっかりとアムトラックが登場しています。

 ペリリュー以降も、フィリピンや硫黄島、そして沖縄と、激しい上陸作戦が続きますが、なぜかアムトラックの活動は目立たなくなりました。危険な珊瑚礁が減ってきたことに加えて、日本軍が上陸海岸で抵抗せず、アメリカ兵を島の内陸部に引き込んでから反撃する戦術に切り替えたからです。

 とはいえ、アムトラックの重要性は変わりませんでした。戦後も、アメリカは新型の水陸両用車の開発を続け、海兵隊ではLVTの倍の積載量があるLVTP-5を導入してベトナム戦争で使用したほか、1980年代には性能強化版のLVTP-7が登場しています。

 いずれも現場でのニックネームは一貫してアムトラックです。そして1985年の名称改定によって、LVTP-7はAAV7に改称されます。そう、離島の防衛力を強化するために陸上自衛隊が2015年に導入した「水陸両用車(AAV7)」が、これになります。

 その後、陸上自衛隊には「日本版海兵隊」と称される水陸機動団が編成され、この部隊の主要装備として水陸両用車(AAV7)は増備されたほか、三菱重工ではその後継として、国産の水陸両用車が開発されています(2028年度の装備予定)。

 かつて日本軍を苦しめたアムトラックが、現代になり日本の離島防衛の象徴となっているのは皮肉な話かもしれません。しかし、逆に言うとそれだけ日本の本気度を示す装備であるとも評価できます。十分な離島防衛能力を維持し続けることが、日本の覚悟を示し、不測の戦争を抑止する重要な力になるのです。

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