日光観光と鉄道の夜明け

 世界文化遺産「日光の社寺」を有する栃木県日光は、鎌倉時代から山岳信仰の舞台であり、由緒ある社寺が存在しています。江戸時代には徳川家康を祀る日光東照宮が造られ、観光・景勝地としても知られるようになりました。

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 1878(明治11)年に日本を訪れたイギリス人紀行作家のイザベラ・バードが最初に向かった場所でもあり、明治時代から外国人にも知られる観光地でした。

 しかし当時、宇都宮から日光までは人力車で約5時間を要し、交通の便が悪いことから、鉄道を建設することに。現在の東北本線をつくった「日本鉄道」が支線として、1890(明治23)年6月に宇都宮~今市間をまず開業し、その2か月後には日光まで延伸して全通しました。

 開業当初から上野発の直通列車が乗り入れ、1893(明治26)年に来日したオーストリア=ハンガリーのフランツ大公が利用して、紀行文『オーストリア皇太子の日本日記―明治二十六年夏の記録―』でも言及しています。鉄道国有法により1906(明治39)年、国有鉄道となり、1909(明治42)年には「日光線」となりました。

 当時は日光に向かう唯一の鉄道でした。上野から5~6往復の定期普通列車が運行され、現在のグリーン車である2等車より格上の1等車が連結されていました。1913(大正2)年には上野発着の快速列車が設定され、この時点で上野~日光間は約4時間でした。

 しかし、この状況は東武線の開通で一変します。

勃発! 昭和初期の日光鉄道バトル

 日光への別ルートとして東武日光線が開業したのは1929(昭和4)年のこと。官営の日光線と違って宇都宮での折り返しがなく、かつ距離も上野~日光間が146.6km、浅草~東武日光間が135.5kmと東武が優勢でした。また、東武日光線は複線電化され、当時としては珍しい電車による高速長距離運転を行っていたのです。

 1935(昭和10)年には、東武鉄道は特急形電車「デハ10系」を投入。この車両は売店もあるクロスシート車で、照明はシャンデリア風。トイレも備えていました。

 鉄道省も対抗するために、1930(昭和5)年から有料急行よりも速い料金不要の直通準急列車を運行します。この準急は急行停車駅の大宮・小山も通過して、上野~日光間を2時間30分で結びましたが、それでも東武特急の浅草~東武日光間2時間24分にはやや劣勢でした。

 鉄道省は1934(昭和9)年から、準急をスピードアップして2時間27分とし、和食堂車も連結します。戦前とは言え、準急列車への食堂車連結は異例でした。

 さらに鉄道省は、東北本線雀宮駅から日光線鶴田駅を結ぶ短絡線の建設も計画しましたが、宇都宮商工会議所などの反対で計画は頓挫しています。

 戦争によりこれらの準急も東武特急も一旦廃止されましたが、1949(昭和24)年の東武特急復活を受けて、国鉄は1950(昭和25)年からは快速「にっこう」で対抗します。

 東武は1951(昭和26)年に、転換式クロスシートを備えた新型特急形電車5700系を投入。国鉄は1955(昭和30)年から「にっこう」を気動車化、翌1956(昭和31)年から新型気動車44800形による準急「日光」を運行開始し、上野~日光間を最短2時間で結びます。ボックスシートを備えた急行形客車に匹敵する設備でした。

 東武は同年にリクライニングシートの1700系を投入。浅草~東武日光間を2時間で結びました。この時点では設備では東武が優れ、料金と利便性では国鉄が勝っていました。

あの手この手で国鉄が猛追

 1958(昭和33)年に日光線は電化され、準急「日光」は東京駅発着となります。さらに翌年、国鉄は特急形電車に匹敵する157系電車を準急「日光」に投入。東京~日光間1時間58分、上野~日光間1時間52分とします。「日光」は上野~宇都宮間を無停車で結び、所要時間も特急並みでした。

 しかし、東武鉄道は1960(昭和35)年に国鉄2等車(現グリーン車)並みの設備を備えた1720系「デラックスロマンスカー」を投入して、浅草~東武日光間1時間46分とします。

 国鉄は「日光」を伊東駅まで直通させる「湘南日光」や、0時台に上野駅を出て4時過ぎに日光駅に到着する夜行快速「奥日光」を設定しますが、次第に東武の高速運行に押されていきます。

 1966(昭和41)年には準急の急行化で料金が値上げされ、1969(昭和44)年には157系列車が165系に置き換えられたこともあり、利用客は減少。1973(昭和48)年には東京駅乗り入れも中止、急行の下り1本は近郊形電車115系でした(急行「なすの」の一部が普通列車として日光に直通)。上野~日光間は停車駅も増えたため、2時間5分を要していました

 1982(昭和57)年、急行「日光」は廃止され、国鉄直通列車は消滅しました。

しかし、1985(昭和60)年に東北新幹線が上野駅まで延伸され、上野~宇都宮間が43分となったため、上野~日光間は1時間30分程度となり、国鉄が最速ルートとなりました。現在も東北新幹線を利用することで、東京~日光間は最短1時間41分であり、最短ルートは維持されています。

実際に乗ってみると

 国鉄分割民営化後の1988(昭和63)年から、JR東日本は池袋~日光間に臨時快速「日光」を運行。1992(平成4)年に特急化し、日光線は特急運行路線となります。1994(平成6)年から1999(平成11)年までは、藤沢~日光間に豪華車両251系による臨時特急「ビュー日光」が設定されるなど、JR化後も東武と競合する優等列車の運行は続きました。2003(平成15)年からは新宿~日光間に、特急形189系による快速「やすらぎの日光」が運行され、千葉駅や平塚駅発着も設定されています。

 しかし、2006(平成18)年に“雪解け”を迎えます。JR東日本が東北本線栗橋駅から東武日光線に直通する特急「日光」「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」の運行を開始し、日光線の優等列車は消えました。

 その後、2018(平成30)年に観光車両「いろは」も投入されましたが、2022(令和4年)年に引退。現在では、E131系電車によるワンマン運転のローカル輸送が行われています。

 筆者(安藤昌季:乗りものライター)は、2025年9月の平日に13時10分の日光発普通列車で全線乗車してみました。日光駅では60人程度が乗車し、外国人利用客もかなり見られました。

今市駅で20人、下野大沢駅で3人、文挟駅で1人、鹿沼駅と鶴田駅で各10人が乗車し、大半が宇都宮駅で下車しています。

 折り返し14時15分宇都宮発は91人が乗車しました。東北新幹線からの乗り換え客と見られる、大荷物の乗客や、外国人観光客、団体客も見られました。ただ、鶴田駅で13人、鹿沼駅で42人、下野大沢駅で10人、今市駅で30人が下車して、日光駅まで乗車したのは19人だけでした。車窓は田園風景で、遠景で日光三山が見えるくらいで、それほど変化はありません。

 乗車して感じたことは、宇都宮~日光間は普通列車で43分程度と時間がかかるため、指定席が必要ではないかということです。デュアルシート車とすれば、需要に対応できるのではないかと感じられます。

 また、今さらではありますが、短絡線の設置と直通列車運行は検討されて良いと感じます。計測したところ、東北本線(宇都宮線)と日光線の分岐部まで5分かかります。そして分岐部は建物もありません。つまり、宇都宮駅での折り返しを避けるだけで、15分程度は短縮できると考えられます。

 上野東京ラインがありますから、かつての準急「日光」と同等の速さなら、東京~日光間1時間40分台となります。

インバウンド需要は増加しており、羽田空港アクセス線の開業も控えています。「サフィール踊り子」のような豪華列車を設定しても需要はあるのではないでしょうか。

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