「萩の月」が仙台銘菓になる大きなきっかけとなったJALの仙台=福岡線が、就航40周年を迎えました。かつて国内線ではお茶菓子が提供されており、「萩の月」は広く販売されるようになる前に、そのお茶菓子として形が作られています。

現在の「萩の月」、国内線のお茶菓子が大きなきっかけに

 JAL(日本航空)は2018年3月1日(木)、仙台=福岡線の就航40周年を記念し、仙台空港で記念セレモニーを実施しました。

 JALグループの仙台=福岡線は1978(昭和53)年の3月1日、東亜国内航空(TDA)が開設したことに始まります。当時の機材はDC-9-41型機でした。TDAは1988(昭和63)年に「日本エアシステム(JAS)」へ名称を変更したのち、2000年代にJALと統合。現在、JALの仙台=福岡線は、JALグループのJ-AIR(ジェイエア)が1日2往復を運航しています。

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「東亜国内航空」と書かれた、かつて仙台=福岡線で提供された「萩の月」パッケージ。右は現在、市販されているもの(2018年3月1日、恵 知仁撮影)。

 この40年前のTDAによる仙台=福岡線就航は、「萩の月」が現在のように仙台銘菓として知られるようになった、大きなきっかけでもあります。

「萩の月」はかつて、日持ちしない形で小規模に販売されていましたが、それを脱酸素剤を使って安全に日持ちするようにし、また崩れないよう小箱へ入れる形にすることで、すなわち、現在の「萩の月」の形にすることで40年前、TDA仙台=福岡線のお茶菓子に採用されました。つまり、現在の「萩の月」が生まれ、広まった大きなきっかけが、JAL仙台=福岡線なのです。「萩の月」が広く販売されるようになったのも、TDA仙台=福岡線での採用以降。かつて国内線の機内では、ドリンクと合わせてお茶菓子も提供されていました。

「萩の月」が仙台銘菓になるきっかけの航空路線 JAL仙台=福岡線、TDA時代から40周年

菓匠三全の田中社長(左)と、開設当時のTDA客室乗務員制服を着用したスタッフ。
「萩の月」が仙台銘菓になるきっかけの航空路線 JAL仙台=福岡線、TDA時代から40周年

開設当時の仙台=福岡線航空券など。
「萩の月」が仙台銘菓になるきっかけの航空路線 JAL仙台=福岡線、TDA時代から40周年

40年前の開設当時に使用されたDC-9-41型機。

 セレモニーには、「萩の月」を販売する菓匠三全の代表取締役社長 田中裕人さんも出席。かつて自ら営業で仙台空港へ行き、「萩の月」が機内のお茶菓子に採用されるまでの思い出を、「(新規就航にあたって)いいお菓子はないかと求められていたところへ、試作していたお菓子(萩の月)を試食してもらったところ、『おいしい』と言ってもらえました。機内のお菓子からここまで大きくなるとは思っていませんでした」と語っています。

TDA・JASで最も長く着用された客室乗務員の制服

 低気圧による「春の嵐」のため仙台空港では欠航便も出るなか、セレモニー対象便である11時20分発の福岡行きJL3530便は出発が約40分遅れましたが、その乗客に対し、仙台・宮城観光PRキャラクター「むすび丸」や、1978(昭和53)年に仙台=福岡線が就航した当時の客室乗務員の制服を着用したスタッフにより、お見送りと、記念パッケージの「萩の月」プレゼントが行われました。

「萩の月」が仙台銘菓になるきっかけの航空路線 JAL仙台=福岡線、TDA時代から40周年

「むすび丸」も出席し、開催された記念セレモニー。
「萩の月」が仙台銘菓になるきっかけの航空路線 JAL仙台=福岡線、TDA時代から40周年

約3~40年前に使用されていたTDA客室乗務員の3代目制服。
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特別塗装機「JAL ミニオンジェット」による福岡行きJL3530便。

 客室乗務員の制服は、1975(昭和50)年10月から1988(昭和63)年9月まで使用されたTDAの3代目のもの。真っ青な空を象徴するセルリアン・ブルーを基調に、TDAのカラーであるレッド&グリーンをスカーフとエプロンにまとめ、3つのカラーの美しいハーモナイズを図った制服といいます。

TDA・JASの歴代制服で最も長く着用され、帽子は、冬はブルー、夏は白が用いられました。

 ちなみに、セレモニー対象便のJL3530便(乗客67名)は、エンブラエル190型機(95席)の特別塗装機「JAL ミニオンジェット」による運航。就航40周年を記念し、セレモニー対象便にこの特別塗装機を使うことにしたそうです。

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