海外で日本人が紛争に巻き込まれるなどした場合、自衛隊はこれに対し、武器使用をともなった保護が認められています。2018年12月、鳥取県にて、そうした事態に備える大規模な訓練が実施されました。
日本国旗が揚がるJICA(国際協力機構)の施設に群衆が集まっています。手には棒や石を持ち、塀を叩いたり怒鳴ったりしてなにやら不穏な雰囲気です。その様子を、上空からドローンが監視していました。2018年12月11日(火)から14日(金)までの4日間、鳥取県の日光演習場、陸自米子駐屯地、空自美保基地およびこれらを結ぶ経路、ならびに周辺海空域で実施された、「平成30年在外邦人等保護措置訓練」のひとコマです。
海外の邦人を陸上輸送することを目的にオーストラリアから輸入された輸送防護車。フロントは防弾ガラス(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
海外にいるときに、現地の紛争や暴動に巻き込まれることほど不安なことはありません。しかし、日本人がこうした事態に巻き込まれ、避難や帰国ができなかったり、犠牲になったりする事案が何度も発生しています。
2013(平成25)年1月に発生した「アルジェリア人質事件」では、邦人10名の犠牲者が出て、日本国内に大きな衝撃を与えました。
軍隊には外国で紛争や暴動に巻き込まれた自国民を救出して自国まで連れ帰るという任務があります。日本でも、ソマリア沖海賊の対策部隊としてジブチに派遣されている陸上自衛隊の部隊をアルジェリアに派遣する作戦案も出ましたが、法的な問題から実現しませんでした。自衛隊は、在外邦人を輸送することは2007(平成19)年から本来任務に位置付けられたものの、輸送機や艦船によるものに限られており、現地に着いても空港や港で待機することしかできませんでした。
しかしこのアルジェリアでの事件を契機に、同年の11月15日には自衛隊法が改正され、陸上自衛隊による邦人の陸上輸送が可能になりました。さらに2015(平成27)年9月19日には平和安全法制が可決されて武器を使用する警護、救出もできるようになり、「在外邦人等輸送」は「在外邦人等保護措置」と呼ばれるようになります。

日光演習場内に設けられた集合場所のJICA事務所。暴徒に取り囲まれている状況にある。暴徒役は自衛隊員(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

状況を偵察するUAV(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

誘導輸送隊の輸送防護車(中)と軽装甲機動車。輸送防護車の正面と右の軽装甲機動車の銃塔にLRADスピーカー(後述)が見える(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
在外邦人が滞在国外へ退去する際、空港や港湾へ移動するために、集合場所が指定されます。冒頭の場面は、JICAの現地事務所を集合場所に想定したもの。ここから彼らを空港や港湾へ輸送するのは陸上自衛隊の任務ですが、この訓練のように、集合場所が暴徒に囲まれているような事態も想定しなければなりません。
武器使用も認められる「在外邦人等保護措置」、でもその前に邦人輸送任務に当たるのは、スピーカーや暴徒対処用「秘密兵器」を装備した、軽装甲機動車と輸送防護車で編成された誘導輸送隊です。
これら装甲車は機関銃を装備していますが、暴徒対処用の「秘密兵器」として音響兵器、通称「LRAD(Long Range Acoustic Device)」が装備されている車両もあります。これは特定の方向に指向性のある音波を投射して、強烈な不快感を一時的に与え、なるべく危害を与えず暴徒を遠ざけるものです。アメリカ軍をはじめ各国軍、警察で採用されており、効果が認められています。

LRADを作動させながら前進する輸送防護車。陸自隊員が後ろに続く(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

前進する中央即応連隊の隊員。89式小銃は上に向けている(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

集合場所となったJICA事務所に到着した輸送防護車。集まっていた邦人を車内に収容する(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
また誘導輸送隊は偵察用に、UAV(いわゆるドローン)も装備しています。

中央即応連隊の本部管理中隊が運用するUAV「スカイレンジャー」(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

UAVは折り畳んで専用バックに収納できる(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

UAV専用バックはひとりで背負って運搬できる大きさ(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
誘導輸送隊は暴徒から少し距離を取って、スピーカーから英語で「こちらは日本の陸上自衛隊です」「我々を通して下さい」「解散して下さい」「代表者と話をさせて下さい」などと呼びかけます。また日本語で、集合場所内にいる邦人に向けて、陸上自衛隊が来たことを伝えます。

移動準備が出来るまで周辺を警戒する(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

邦人を収容し移動を開始する(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

邦人の脱出を確認したのち輸送防護車に乗り込む陸自隊員(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
しかし暴徒は解散する様子を見せません。投石も始まりました。

空港到着、輸送防護車から仮設の国際線ターミナルへ向かう。全員ヘルメットと防弾ベスト着用、黄色線のベストは外務省職員(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
取材公開された想定では、暴徒は銃など火器を所持しておらず、比較的スムーズに救出ができましたが、当然、武装している場合の訓練も実施されています。しかし作戦の「手の内を明かす」ことにもなるので訓練は公開されていません。
空港で「ハンドシグナル」を習うワケ訓練の舞台は、空港での訓練を想定した空自美保基地へと移りました。
ロープで仕切られたレーン、荷物チェック用のプラかご、金属探知機、セキュリティ係員によるボディチェック。空港の、国際線搭乗ゲートのセキュリティチェックで普通に見られる光景ですが、ここで働いているのは迷彩の防弾ベストを着用し、ヘルメットを被った航空自衛隊員です。警戒にあたるのもガードマンや警察官ではなく、小銃を携行した陸上自衛隊員で、ほかにMPの腕章をした警務科隊員や、赤十字腕章をした衛生科隊員の姿も見えます。

格納庫内へ臨時に開設された「国際線搭乗ゲート」(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

金属探知機。ボディチェックしているのは空自隊員(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

格納庫の入り口を警備する陸自の中央即応連隊の隊員(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
国際空港としての出入国管理機能は喪失し、邦人出国手続きのため、セキュリティチェックのレーンや金属探知機、出国カウンター、待合室の椅子まですべて日本政府が仮設した、という設定です。

紛争地の出入国審査機能喪失時は、衛星回線で日本と繋いだ端末で外務省職員がパスポートチェックする(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

格納庫の外に設置された衛星回線用のアンテナ(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

急病人発生の想定訓練も実施された。脱出邦人役を演じているのは自衛隊員(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
パイプ椅子が並んだ待合室では、搭乗前の説明が行われますが、普通の民間機ならまず聞くことがない内容もあります。それは航空機に搭乗を「案内」する自衛隊員による、手の動きや指の形で合図を送る「ハンドシグナル」の説明です。

普通の国際線搭乗なら行われない「ハンドシグナル」の説明。このシグナルは「止まれ」を意味する(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

「ハンドシグナル」の説明。これは「しゃがめ」を意味する(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

航空機まで陸自隊員が誘導護衛する。「進め」のハンドシグナルが為されている(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
乗客は自らの安全のため、「案内自衛隊員」の指示に従わなければなりません。飛行場では航空機のエンジン音で声が聞こえなくなるので、不測の事態に備えて、「進め」「止まれ」「しゃがめ」「伏せ」「立ち上がれ」の、5パターンのハンドシグナルの説明が徹底されるのです。

固まって航空機まで誘導される。身を隠す所もなく危険な場面。「ハンドシグナル」の必要性が理解できる(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

空自第3輸送航空隊のC-2輸送機に乗り込む脱出邦人役(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。

C-2輸送機に乗り込む脱出邦人役(2018年12月13日、月刊PANZER編集部撮影)。
在外邦人の保護活動の中心になるのは外務省ですが、防衛省とも連携します。実際に現地で活動するには、外務省職員だけでは人数も装備面からも不可能で、自衛隊の協力が不可欠なのです。