甲信地方の中央道沿線では、京王ら老舗のバス事業者が開拓した「中央高速バス」が地元に定着。一方、上信越道を経由する東京~長野市間は様相が異なります。
本州の中央部にあたる甲信地方(山梨県、長野県)は、山がちの地形が中心です。明治時代から存在する鉄道(在来線)は、カーブが多く線形に恵まれない路線が目立つのに対し、1960年代から開通していった高速道路は、より直線的に都市間を結びます。そのため、高速バスは特急列車と比べて大きく遅いというわけではなく、この地方では比較的古くから高速バスが定着しています。
「バスタ新宿」に停まる京王バス東の車両(2018年5月、中島洋平撮影)。
この地方における高速バスの歴史は、1968(昭和43)年、京王帝都電鉄(現・京王バス東など)と富士山麓電鉄(現・富士急行バスなど)が、新宿~富士五湖線、新宿~甲府・昇仙峡(山梨県)線の一部区間を、国道20号経由から中央道経由に変更したことで始まります。1971(昭和46)年には、これらバスが発着する「新宿高速バスターミナル」(2016年「バスタ新宿」に移転統合)を京王が開設し、現在につながる「中央高速バス(主に新宿に発着し、京王らが運行する中央道経由の高速バスの総称)」シリーズの原型ができました。
山梨県方面への観光客輸送が中心であった中央高速バスですが、1982(昭和57)年に中央道が全線開通すると、新しい動きがありました。長野県の伊那・飯田地区と、新宿を結ぶ高速バスの計画です。同地区と名古屋とのあいだで運行されていた急行バスがすでに中央道経由に変更されており(「中央道特急バス」)、好評であったことから、首都圏に向けても高速バス新設の希望が強まったのです。
しかし、バス事業者どうしの調整に時間がかかったうえ、並行する鉄道(国鉄飯田線)の運営に影響するとして、当時の国鉄が運輸省(当時)などに高速バスを認可しないよう求める、という事態が起こります。議論の末、飯田線の運営と高速バス開設による利便性向上はリンクしないと国は判断し、1984(昭和59)年、京王や地元の伊那バス、信南交通らの共同運行で新宿~伊那・飯田線が開業します。
その後も、京王と現地の乗合バス事業者(諏訪バス、松本電鉄〈ともに現・アルピコ交通〉など)との共同運行で成長した中央高速バスは、わが国の高速バスの典型的な特徴を多数持っています。
当初は観光客輸送が中心でしたが、その後は山梨、長野県在住者の首都圏への移動(両県出身者の首都圏からの帰省を含む)が主軸になっていきました。「ふだんは地元で買い物するが、おしゃれな服は東京で」というような買い物需要、高速道路沿いに多く立地する精密機械工場員の出張など、利用者は多様です。インターチェンジ周辺の高速バス停留所には、マイカーからバスへ乗り換えるためのパーク&ライド用の駐車場が設けられ、「クルマ社会」のニーズに応えています。長野県各地から新宿行の始発は早朝4時台、新宿発の最終便が長野県に戻ってくるのは24時を回り、地元の人の東京における滞在時間を確保しています。
中央高速バスは、ほとんどの路線が30~60分間隔で頻発し、平日でも続行便(2号車以降)が多数設定されます。貸切バス車両や共同運行先の車両が続行便を担当することも一般的です。また、当初から座席の電話予約制が導入され、2000(平成12)年には高速バスで初めてウェブ予約も始まりました。高頻度ダイヤのため、特に復路は、用件が早く終われば予約の便より早めに乗り場に来て「前の便に変更できますか?」と窓口で尋ねるスタイルも定着しています。これらの特徴は、中央高速バスのほか、名古屋と長野県方面を結ぶバスでもおおむね共通しています。
首都圏からの観光客を取り込むため、現地の交通機関や温泉入浴券などがセットされた企画乗車券も多数設定されています。

アルピコ交通の長野県内高速バス車両(2019年1月、成定竜一撮影)。
甲信地方では、大阪方面へ直通する高速バス路線も好調です。中央道の沿線では山梨県の甲府、長野県の松本、諏訪、伊那、飯田、また上信越道沿線の長野、小諸、軽井沢などからも大阪へ、昼行および夜行の高速バスが運行され、安定した需要があります。
このほか、南北に長い長野県では県内の都市を結ぶ高速バスも運行されています。戦後すぐに運行を始めた急行バスを高速道路経由に乗せ換えた「みすずハイウェイバス」が長野~飯田間(途中、松本や伊那などのICにも停車)を毎日運行しているほか、平日は長野~松本間のバスもあり、たとえば県職員や地方銀行員など、県内の転勤が多い人の長距離通勤ニーズに応えているのです。
「東京~長野市」は話が別!一方、東京から軽井沢や、佐久、上田といった長野県の東信地方へは、京王ではなく、西武バスが中心になって路線を広げました。そのため東京側は新宿ではなく、池袋を中心に路線網が構築されているほか、特に長野市に発着する路線は、中央高速バスとは異なる競合環境が生じています。
2002(平成14)年の高速ツアーバス容認(その後、2013年に従来の高速バスと「新高速乗合バス」制度に一本化)により、首都圏や京阪神から長野県を結ぶ路線に、高速ツアーバスの新規参入がありました。東京~長野県内のように片道4時間程度までの中距離路線は、後発参入がふつう難しく、競争は限定的です。それでも、東京~長野市間では新旧の事業者が競い合うことになりました。
うち2陣営は、中距離路線では珍しく、既存事業者(高速ツアーバス登場以前からの乗合バス事業者)どうしの競合です。

長電バスの車両(2017年9月、中島洋平撮影)。
上信越道経由の東京~長野市間は、中央道経由の東京~松本間などと異なり、競合相手の鉄道が在来線特急ではなく新幹線となるため、所要時間の差が大きくなります。加えて、既存事業者が2陣営に分かれたこともあり、地元で強く定着することがありませんでした。これは、同じ長野県の路線でも、伊那・飯田、松本方面などで高速バスが大きな存在感を持っているのと対照的です。そのことが後発事業者にもチャンスを与え、現在では、後発参入のウィラーと昌栄高速運輸(長野市)も一定のシェアを確保しています。
外国人利用者が急増 恵まれた観光資源をどう生かすかそして近年、甲信地方で好調なのが、訪日外国人とりわけFIT(個人自由旅行者)が急増している、富士五湖、松本、白馬などを発着する路線です。
新宿~富士五湖線では近年、「富士山と五重塔と桜が1枚の写真に納まる」として、タイからの観光客を中心に「新倉山浅間公園」(富士吉田市)の人気が急上昇し、最寄りの「中央道下吉田」という停留所の乗降人数が突如として増えるという現象がありました。北アルプスを背景に漆黒の天守がそびえる松本城も、世界的なガイドブックの表紙を飾るなどしてFITに人気です。

手前がアルピコ交通の白馬行き、奥は伊那バスの飯田行き(2018年8月、中島洋平撮影)。
国内有数のスノーリゾートである長野県の白馬は、国内のスキー市場縮小により、ピーク時(1992年)に比べスキー客は3分の1程度に落ち込んでいました。
長い歴史を誇る甲信地方の高速バスですが、沿線人口が減少を続け「地元から東京への足」としての市場が縮小するなかで、恵まれた観光資源を活かして国内外の観光客を取り込んでいくことが期待されています。