北陸新幹線は東京と北陸を結ぶ区間が開業し、北陸と大阪を結ぶ区間も実現に向けて動いています。しかし、富山県と石川県の県境近くには、幻に終わった北陸新幹線のトンネルの痕跡が。
東京と北陸地方を直結する北陸新幹線。1997(平成9)年に高崎~長野間が開業し、2015年には長野~金沢間が延伸開業しました。いまは金沢~敦賀間が工事中で、敦賀~新大阪間も詳細なルートの検討が進行中。幻に終わった鉄道路線ではありません。
当初のルートを変更して開業した北陸新幹線(2016年3月、恵 知仁撮影)。
しかし、富山県内には工事が途中で中止された北陸新幹線のトンネルがあり、いまも石川県との県境に近い山奥の温泉地に、工事の痕跡を見ることができます。
その場所の住所は小矢部市名ヶ滝。北陸新幹線の新高岡駅(高岡市)からJR城端線、あいの風とやま鉄道線を乗り継いで石動駅で下車し、この駅からバスで30分ほどの宮島温泉停留所へ。ここから西へ5分ほど歩くと、脇にトンネルの入口が見えます。半円形の入口は草むらで覆われており、注意しないと見過ごしてしまいそうです。
これは北陸新幹線の「加越トンネル」。
加越トンネルの工事が中止されたのは、北陸新幹線のルートが変更されたためです。
北陸新幹線は1973(昭和48)年の整備計画決定後、オイルショックや国鉄の経営悪化などで着工できない状態が続きました。そこで1988(昭和63)年、当時の運輸省は富山県から石川県にかけての部分だけ、「スーパー特急方式」で整備する案を示します。
在来線特急が乗り入れる方式で着工スーパー特急方式は、トンネルや高架橋などを新幹線の標準的な規格(フル規格)で建設する一方、線路は在来線と同じものを敷いて、当面は在来線の特急列車を走らせるもの。フル規格に比べて速度は遅いものの、標準的な在来線よりは高速運転が可能で、所要時間も若干短縮できます。

小矢部市内の宮島温泉近くに残る加越トンネル作業坑の入口(2011年11月、草町義和撮影)。
また、スーパー特急方式で整備したあとにフル規格の新幹線を改めて整備することになったとしても、線路を敷き直すだけでフル規格にすることが可能です。フル規格で建設しながら当初は在来線の列車のみ走り、のちに北海道新幹線の列車も走るようになった青函トンネルと、よく似た方式といえます。
運輸省が示した案では、高岡駅と西高岡駅のあいだにある在来線(北陸本線)と北陸新幹線(当初予定ルート)の交差地点にアプローチ線を整備。
ただ、北陸新幹線をはじめとした整備新幹線の並行在来線は、新幹線の開業にあわせてJRから分離し、沿線自治体の第三セクターが経営を引き継ぐことになっていました。高岡~金沢間がスーパー特急方式で建設されれば、これに並行する北陸本線の高岡~金沢間の経営がJRから分離されることに。そのため、小矢部市など北陸新幹線の駅を設置する計画がない北陸本線の沿線自治体では、経営分離に対する反発が高まっていました。
「出口のないトンネル」活用策は?そこで富山県は、スーパー特急方式の工事区間を石動~金沢間に変更することを提案します。こうすれば、北陸本線の経営分離区間も石動~金沢間に短縮され、富山県内でJRから分離される区間は県境部分のごく一部だけになります。

加越トンネル作業坑の入口は大半がコンクリートで埋められている(2011年11月、草町義和撮影)。
こうして1992(平成4)年、新ルートによる工事が始まりました。一方、加越トンネルは幅5mの作業坑(建設資材などを搬入するためのトンネル)が285m、幅9mの本坑(列車が走るためのトンネル)が300mほど完成しましたが、新しいルートは加越トンネルから大きく離れたため、工事は中止。1997(平成9)年、工事を担当した日本鉄道建設公団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)は、加越トンネルの完成した部分を富山県に譲渡しました。
加越トンネルはいまも富山県が管理していますが、具体的な活用策が出てこないまま20年以上が過ぎました。
続いて富山県は、一般からトンネルの活用策を募集しました。「県営のカラオケボックス」「核シェルター」などの応募があったものの、これらも採算性などの問題から実現していません(1997年9月2日付け朝日新聞東京地方版/富山)。
ちなみに、北陸新幹線は2004(平成16)年、長野~金沢間をフル規格で一括整備することが決定。スーパー特急方式で工事中だった石動~金沢間はフル規格に「格上げ」され、線路は最初から新幹線用のものが敷かれました。そのため、北陸本線も富山県内の全線が第三セクターのあいの風とやま鉄道に引き継がれています。ルートを変更して経営分離区間を短くしようというもくろみも幻に終わりました。