良い意味でも悪い意味でも、とび抜けた発想で知られるイギリス製兵器ですが、そのひとつに、主砲の向きを後ろにしてしまった対戦車自走砲があります。ところがこれが実に優秀な、まったくもって理にかなったものでした。
第2次世界大戦中、イギリスは強力なドイツ戦車に対抗するために、様々な対戦車火器を開発しました。特に「17ポンド砲」は、有名な「タイガー(ティーガー)」重戦車に対抗できる対戦車砲として開発されたため重用されましたが、強力な貫徹力を追求したため重く大きなものとなり、自走化、つまり自力走行が可能な車両化が早くから要望されました。
イギリス、ボービントン戦車博物館に現存する「アーチャー」対戦車自走砲。正面に見えるが、実はこれが後背面(2017年6月、柘植優介撮影)。
戦車についても、17ポンド砲を搭載した新型の開発が始まりましたが、新造車は実戦投入まで時間がかかります。そこで17ポンド砲搭載戦車の開発と並行し、既存戦車の車体を流用した対戦車自走砲も作ることが決まりました。その結果、白羽の矢が立ったのが、大戦初期に用いられ旧式化しつつあった「バレンタイン」歩兵戦車でした。
しかし、バレンタイン歩兵戦車は車体が小型だったため、砲塔を外して車体に直接17ポンド砲を取り付けようにも、操縦席が中央にあって、そのままで砲を設置するのは無理でした。とはいえ、操縦席の移設などの大幅な改造を車体に施していたら完成まで時間がかかります。そこで浮かんだアイデアが17ポンド砲を後ろに向けて搭載する方法でした。
これなら操縦席と干渉せず、主砲を車体中心線上に搭載することができます。さらに操縦席に干渉しなければ乗員室(戦闘室)の配置を変更する必要がないため、砲の操作スペース確保のために高さを増す必要がなく、車高は低くできます。
開発側はメリットが大きいと判断し、こうして世界的に見ても異形な、主砲が後ろを向いた「アーチャー」対戦車自走砲は誕生しました。
現場は当然反発したけれど…前代未聞の後ろ向き対戦車砲が初めて配備された部隊は、もちろん大いに動揺しました。ところがいざ実戦に投入してみたら、これが思いのほか使えることが判明します。
一般的な対戦車砲の、戦車との戦いかたは、撃ち合いではなく先手必殺です。それは戦車に比べ、対戦車砲の装甲が薄いことに由来します。そうなると、獲物を待ち伏せして狙いをすまして撃つことが多くなり、なおかつ撃ったら敵の反撃を受ける前に迅速に移動できた方が生き残れる確率は高くなります。
その点で砲を後ろ向きに装備する「アーチャー」は、射撃と同時に脱兎のごとく逃げることができるため、実は対戦車自走砲としては高い実用性を有していたのです。
こうして当初、応急兵器として誕生した「アーチャー」でしたが、優秀さを証明したことで大戦終結までに655両生産され、ピンチヒッターとしての役割を十分務めました。
また第2次世界大戦後もエジプトやヨルダンに供与され、エジプトは1956(昭和31)年10月に勃発した第2次中東戦争でも、イスラエル戦車部隊に対して使用しています。
しかし対戦車火器の主流が、大口径で砲身が長く反動も強力な対戦車砲から、反動の少ない無反動砲やミサイルに移り、従来の対戦車砲は廃れ、ジャンルそのものがなくなりつつあります。イギリスからエジプトへ供与された「アーチャー」も、1960年代には姿を消しました。