第2次世界大戦直前、ドイツは前線で用いる偵察機を欲しました。その要求に対する答えは、なんと従来の航空機の概念を根本からひっくり返す奇抜なものでした。
第2次世界大戦中、ドイツは様々な航空機を開発し、実戦投入しました。広く知られるものとしては、世界で最も多く生産された戦闘機であるBf109や、世界初のジェット戦闘機Me262、世界初のロケット戦闘機であるMe163などです。
それらとは別に、ドイツには「異形の単発機」と呼ばれるBV141という偵察機があります。どこが異形なのかというと、コクピットが胴体にありませんでした。
BV141偵察機の俯瞰写真。右主翼にゴンドラ状に付いているのが乗員室(画像:ドイツ連邦公文書館)。
そもそも、航空機を思い描こうとすると、コクピットを含む乗員室が機体中央にくるのではないでしょうか。エンジン単発、双発、はたまた多発でも、機体の中心線上に乗員室があり、双発や多発の場合は両側に均等にエンジンが配置されます。
しかしBV141は、なんと右主翼中ほどあたりに乗員室を設けていました。なぜそのような形状にしたのかというと、偵察機として良好な視界を得るという、ドイツ航空省の要求仕様に愚直に従ったからでした。
BV141の開発は、第2次世界大戦前に始まりました。
各メーカーはそれを基に開発を行いましたが、そのなかには、19世紀後半に設立された名門の造船会社で、1933(昭和8)年から航空機の製造を始めたブローム&フォス社がありました。
生真面目に作って性能も申し分なし だけど…ブローム&フォス社の主任設計技師リヒャルト・フォークトは考えました。ドイツ航空省が出した要求仕様に沿ってエンジン単発で3人乗りにしようとすると、機体中心線上に乗員室があった場合、胴体や主翼で視界が大きく妨げられてしまいます。それを避けるために、コクピットを含む乗員室を右主翼に移設したのです。
これならば、前後左右だけでなく下方視界も広くとることができます。また後方視界も垂直尾翼や水平尾翼などに遮られることがありません。加えてプロペラ機に見られる進行方向の傾き(プロペラが操縦席から見て右回転のとき、機体には左ロール方向へ反力がかかる現象)も、機体の重心が偏っていることで打ち消せました。メリットが大きいとしてリヒャルト・フォークトはこの形状で設計を進めました。

試験飛行を行うBV141偵察機。飛ぶ姿は異形そのものである(画像:ドイツ連邦公文書館)。
こうして生まれたのがBV141でした。従来の航空機の概念を打ち破る外観の試作機は、1938(昭和13)年2月25日に初飛行に成功しました。性能は航空省の要求仕様をクリアしており、操縦性は良好で、安定性も問題ありませんでしたが、結局、BV141はコンペに落ちました。
ドイツ航空省が採用したのは、なんと要求を無視して、双発で製作されたフォッケウルフ社のFw189でした。Fw189はBV141と比べて最高速度も巡航速度も、航続距離も、さらには実用上昇限度まで、これらすべての面で劣っていたにもかかわらずです。
要求仕様書に沿っていなかったFw189が採用された理由、それは、やはりBV141の奇抜さが航空省の役人や空軍の軍人には理解できなかったものと考えられます。いくら性能的に優れていても、運用側からすると安心して使えるか否かはとても重要です。また形状が奇抜だったことで、耐久性や整備性に疑問符が付けられたと思われます。
奇抜なスタイルは困惑のもととはいえ、BV141も欠点がないわけではありませんでした。搭載するBMW801空冷星形エンジンが頻繁にオーバーヒートを起こし、また油圧系統に問題を抱えていました。そのため、一応、試作機の追加製作が認められたものの、合計で20機強が生産されただけで終了しました。
一方、Fw189については、双発は単発よりトラブルや被弾に強く、無難な機体形状は汎用性に優れると判断されて、連絡、偵察、軽攻撃、レーダーを搭載した夜間戦闘機としても用いられました。

BV141偵察機の機首部分。操縦席下方もガラス張りなのがわかる(画像:ドイツ連邦公文書館)。
BV141の後も、リヒャルト・フォークト技師は様々な非対称機を設計してはドイツ空軍に対して提案しています。しかし、どれも初飛行にこぎつけることはありませんでした。やはり使用する側からしたら、見た目が安心できる、違和感なく操縦できるというのも、重要といえるでしょう。