世界最大の戦艦「大和」には、2000人以上もの将兵が乗り組んでいました。これだけ大人数の胃袋を満たすために、「大和」では一度に作られる食事の量も膨大で、そのために調理器具も当時、最先端のものを揃えていました。
日本が建造した世界最大の戦艦「大和」は、火力や防御力だけでなく、炊事能力も旧日本海軍で最も優れていたといっても過言ではありませんでした。
戦艦史上最大の大きさである旧日本海軍の「大和」(画像:アメリカ海軍)。
なぜなら、戦艦「大和」の乗員数は約2300人から2500人で、前型の戦艦「長門」が約1400人であったのと比べると1000人以上も多くなっており、それだけの人数の腹を満たすためには相応の調理設備が必要とされたからです。
旧日本海軍では、会計や庶務などを受け持つ「主計科」が炊事関係も担当しており、「大和」の場合、旧日本海軍の軍艦のなかで最も多い約100名が乗り込んでいました。
当時、軍艦の調理室は「烹炊所(ほうすいじょ)」と呼ばれ、「大和」は船体後方右舷に兵員用の、反対側の左舷に士官用のものがありました。ただし、士官用の食事は雇い入れた民間のコックが担ったため、主計科の人員(主計兵)が調理まで担当したのは兵員用烹炊所の方でした。
「大和」の炊飯量は1回で家庭用炊飯器720台分兵員用烹炊所では、主食の米は2基ある洗米機で洗われた後、6基の蒸気炊飯窯で炊いていました。この炊飯窯は6斗炊きです。「斗」というのは「升」の上の単位で、1斗は10升(約18リットル)です。1升は10合ですから、6斗炊き蒸気窯は600合、すなわち家庭用の5合炊き炊飯器に換算すると、120台分に相当します。それが6基あったので、なんと3600合を一度に炊くことが可能でした。

第1次世界大戦中のイギリス海軍の戦艦の士官食堂。
炊飯窯以外にも、「合成調理器」と呼ばれる、いわゆるフードプロセッサーといえるものが備えられており、これで野菜の皮むきやみじん切り、肉をミンチにすることができました。さらに「焼く、煮る、炊く、揚げる」を1台で賄う電気万能烹炊器が5基、6斗炊きの蒸気菜窯が2基、電気オーブンまで設置されていたため、炊飯と汁物および複数のおかずを同時並行で大量に作ることが可能でした。
ほかにも、1時間に400リットルもの茶を入れることができる茶湯製造機が2基、粥を作るための2斗炊き蒸気粥窯、食事の保温用に電気保温器と蒸気保温棚が1基ずつ設けられていました。
これら調理機器は、洋上で火災などを起こさないよう、火元を極力減らすという意味合いから、電動や蒸気式です。また多数の将兵が集団生活をするところなので、食中毒を予防するために大型の食器消毒器も3基用意されていました。
食材を保管するための設備も大規模なものでした。電気式の冷凍冷蔵庫の容量は約22万3400リットルあり、内部は野菜庫、魚肉庫、獣肉庫、氷庫の4つにわかれていました。
兵士の憧れ、士官しか食べられなかった「オムライス」旧日本海軍では、通常勤務の兵員ひとりあたり、1日約2500キロカロリーと定められており、それに合わせて主食たる麦飯はひとり1日6合、そのほかに汁物と副菜が必ず付くようになっていました。有名なカレーライスもそのひとつです。

太平洋戦争中の戦艦「ニュージャージー」の艦長室内部の様子。食器やグラスなどが整然と並べられている(画像:アメリカ海軍)。
兵士は基本的に無料でしたが、士官(准士官含む)以上は有料でした。ただし、市井の食堂のように毎回、食事代を払うのではなく、食材を自腹で購入し、それを乗艦するコックに料理してもらう形でした。
一応、給料には食料費という形で上乗せされていましたが、様々な事情で物価が高騰することもあり、決して余裕があったわけではないようです。それでも士官になると食事にある程度の自由度が出るため、オムライスなどを食べることができ、それらが兵士たちの憧れになっていたという逸話も残っています。
とくに戦艦「大和」と「武蔵」は、旧日本海軍の中心的存在として旗艦任務に就いていたため、一層ほかの軍艦や陸上基地よりも豪華な食事が用意されていました。そういった一段高い食事事情が、伝聞もあって「大和ホテル」や「武蔵屋旅館」と揶揄された一因につながったようです。