村越正海さんの「人生最髙フィッシング」。思い出深い釣りを振り返ってもらいながら、それを通して学んだことや魅力について語ってもらった。
(アイキャッチ画像提供:村越正海)
釣りライターとしてのキャリア
1979~80年ごろの大学生時代に静岡・狩野川河口のシーバス釣りに明け暮れました。そのころから「週刊つりニュース」でAPCとして執筆を開始。釣りライターとしてのキャリアがスタートしました。

狩野川のルアーシーバス
当時、海のルアー釣りの情報は皆無。地元のサーフでは、磯竿や投げ竿を使って飛ばしウキなどを介してルアーを投げるようなスタイルが一般的でした。
ルアー釣り自体は、ブラックバスやトラウトで経験はしていましたが、飛ばしウキなどを使ったスタイルは「ルアー釣り」といえるものではなかったと思います。
そこで、狩野川に出かけたところ、地元の釣り人がルアー単体をキャストしてシーバスを狙っている。そこで、やってみたところ、これがハマりました。

年間150日は立ち込んでいましたね。情報は少なく、周辺の釣り人と情報交換することで釣れ始めました。

当時のシーバスゲームのタックル
5.5~6ftのルアーロッドにカーディナル4、ラインはナイロンライン3号といった組み合わせ。このタックルで70cm、3kgが釣れるのだからハマってしまいました。

イシダイ釣りにも通っていましたが、とにかくお金がかかるし、釣り場には、それに物を言わせて釣るような人もいて、気分がいいものではなかったです。そんな事情もあって、気軽にルアーで大きな魚が釣れるのは自分にとって理想の釣りでした。
現在の同川は護岸工事で、様変わりしていますが、当時はかなり流れがあって、そのなかでの大型魚とのやりとりはかなり楽しかった。
当時のシーバスルアーは?
やはり、「安くて釣れる」ルアーが重要でした。この川で初めて釣れたのはロビン。ほかにフレクトライトミノーなど安価な国内メーカーのルアー。
ほかには、レッドフィンやレーベルミノーもよく使いました。ラパラはこれらより少し高かったので貴重でした。根掛かりしにくい安価なものを探しました。

アルバイトで稼いだお金は、ほぼガソリン代に消えました。年間で7万km走ったこともあります。
伊豆ヒラスズキ釣りにも
伊豆のヒラスズキは、釣れるようになるまで3年近くかかりました……。
房総では釣っている人がいたので「伊豆でも釣れるはずだ」と始めてみました。当時、磯釣りの主流はイシダイがいるような深さのある、規模の大きい磯。しかし、経験を積むにつれて、浅いゴロタ場で釣り上げたり、「サラシを釣る」というのも、体感や経験から学びました。
釣るまでの過程を楽しむ
むしろ、この期間が一番楽しいんですよ。釣りって結果より”どうやって釣れたのか”が大事だと思います。
仮に、千葉の富津でシーバスを狙っていて釣れなかったとします。そうすると今は、SNSなどで仲間から「洲の崎で釣れているよ」という情報があるとすぐに移動してしまうけど、釣りをしながら「この風向きなら洲の崎のほうが釣れるんじゃないかな」と思って移動して釣ったほうが、間違いなく面白いでしょ。
情報が少なかったから楽しめたのかもしれないけど、釣りって、その過程が面白いんだと思う。ただ、一人だったらもっとかかったと思う。仲間には感謝してます。
83年に、現場で顔見知りになった人だけで「シーバス・ファイティング・クラブ」を作りました。会のルールは「情報と釣り場は隠さないこと」。情報は共有して、もっと釣れるようになろうという考えでした。
釣りは誰にでも楽しめるもの
釣りってやっぱり大衆のものだと思う。
地位や職業などは関係ない。社会には自分のワガママをどれだけ通せるかで、優位性を保とうとする人がいるけど、そういうのは自然を相手にする釣りには通用しないからね。
あらためて、釣りは誰にでも楽しめるものだということを知ってもらいたい。
私が電動リールを使わない理由は「高価な電動リールがなければ釣りができない」と思ってほしくないから。マルイカなど浅場の釣りをやっていて「じゃあ、次はヤリイカもやってみよう」となったとき「電動リールがないからできない」と思ってほしくないからね。
また、ここ数年カワハギ釣りではスピニングリールを多用しているんだけど、これもシーバスやブラックバスのルアー釣りを楽しんでいる人にも「手持ちの道具でできるんだよ」というメッセージです。
メディアやメーカーなど釣りに関わる人たちは、釣りは誰にでも楽しめる物だという本質を忘れてはいけないと思います。
村越正海プロフィール

1958年生まれ。神奈川県出身。フィッシングライター兼、プロフィッシャーマン。釣りメディアでの執筆、出演にとどまらず一般紙にも連載を持つ。
この記事は『週刊つりニュース関東版』2020年5月29日号に掲載された記事を再編集したものになります。