大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子(広瀬すず)と詩人・中原中也(木戸大聖)、文芸評論家・小林秀雄(岡田将生)という3人の男女の愛と青春を描いた『ゆきてかへらぬ』が2月21日からTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開される。本作の根岸吉太郎監督に話を聞いた。

-『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』(09)以来16年ぶりの新作ですが、まずこの映画を作ることになった経緯からお願いします。

 『ヴィヨンの妻』は、脚本の田中陽造さんとは3本目のコンビ作だったのですが、それが終わった後に、そういえば陽造さんが昔書いてみんなが傑作だとうわさしている『ゆきてかへらぬ』というのがあると。読んでみたらさすがに傑作だなと。今までなかなか映画化にこぎ着けられなかったみたいだけど、ぜひやってみたいと思いました。それで陽造さんやプロデューサーの山田美千代さんとも話して、『ヴィヨンの妻』の成果もあるし、やってみようという話になりました。それが6年ぐらい前でしょうか。

-では、完成までに随分と時間がかかった感じですね。

 そうですね。やっぱり非常に描くのが難しい時代というか、この時代をきちっと作り出すには、それなりの資金もいるし、あとは、キャスティングもあの3人がそろわないと…。そんなことがあって時間がかかりました。

-脚本ありきで始まったわけですね。

 そうです。

ただ、何せ40年ぐらい前に書かれたものなので、読み物としてはよくできているけど、今の時代に、実際に若い俳優さんを使ってこれをそのままやるのはどうかなと。それこそ陽造さんと鈴木清順さんがやっていたような、ある種の大正ロマンみたいなことではなくて、あの時代の若者の葛藤やぶつかり合いみたいなことをきちっと描きたいと思ったので、そっちの方向にかじを切って、本直しをしてもらいました。

-脚本を読む中で、大正時代に引かれるものがあったのですか。

 映画に直接関係はしていないけれど、日本の歴史の中では珍しくデモクラシーみたいなことに対して、みんなが目覚めて動いた時代。同時に、その逆の動きとして戦争に向かって刻々と軍靴の音が響いてくる。その節目として関東大震災があった。そんな時代背景を取り込むという手もあったかなとは思いますが、今回は3人を浮かび上がらせるために、そういうものを省いて進めました。でも時代的にはそういうことも含めて、非常に特殊な時代で面白いと思います。

-この映画は田中陽造さんのオリジナル脚本ですが、昔の文芸映画の雰囲気がありました。そこは狙いの一つでしたか。

 特にそういう意識はしませんでした。ただ、文芸的ということで言えば、陽造さんのシナリオはせりふも含めて、今時耳にしないような美しい日本語で書かれているんです。

そのことがそういう印象を与えるのかもしれないですね。

-CGではなく昔の映画のようにセットを組んで撮っていることに驚きました。そのセットの色使いや衣装、小道具などがとても印象に残りましたが、そこには監督の強いこだわりがあったのでしょうか。

 もちろん僕のこだわりもありますが、美術監督の原田満生さんがしっかりと狙いを示してくれました。そういう意味で、原田さんだけではなく、スタッフにも恵まれたと思います。少し前までの日本映画だったらそんなに驚かれるようなものではないけれど、今はある程度のセットを組んでも驚かれる時代になりました。CGを否定するわけではありませんが、役者がその気になって演技ができる場所が必要だというのが一つ。あとは、セットで作り切れないところをCGでやるということはあっても、CGで作り切れないものをセットにするという考え方はあまりないです。

-中也がローラースケートで滑るところは絵的にも面白かったです。

 あれは陽造さんのシナリオにあったんです。でも、あの時代のローラースケートは、遊園地のスケートリンクみたいなところで滑っていたんです。まだ道は舗装されていなくて凸凹だったので。

だから最初に中也がローラースケートで滑ってくるシーンの場所にはものすごく苦労しました。それから最後のスケートリンクも、実際に遊園地にあるものではなくて、板張りのスケート場を作りました。

-今回はほぼ順撮りだったそうですが、3人が演じる中で変化していくという意味では効果的だったと思いますが。

 特に泰子の精神的な葛藤みたいなものが、やっぱり順を追っていかないと演じる方としても計算が立ちにくいんじゃないかなと思ったので初めから順番に撮っていこうという感じでした。僕の映画は割と順撮りにはしているんですけど、今回は最初の泰子が寝ているところから始まって、ラストシーンで撮影が終わるという流れでした。

-中原中也や小林秀雄は有名ですが、長谷川泰子のことは知らないという人も多いと思いますが、今回はある意味彼女が主役です。監督が泰子に魅力を感じたのはどんなところですか。

 歴史的に言えば、こんなとんでもない2人に愛されて、小林秀雄という非常に理知的な人間をあそこまで困らせた人。今回はそういうふうには描いていないけど、実際に2人は3年ぐらい一緒に暮らしているんです。だから、一体どんな人だったんだという興味はありました。ただ、主演映画は1本ぐらいしかなくて女優としては大成していない。だから、こういうとんでもない才能を持った2人の男の間に入ったことで彼女は自分が見えたと思うんです。

言ってみれば、ある種のとても魅力的な部分と、平凡というかどこにでもいる女性という両面を持っていたと思うんです。だから、彼女がどんどんと才能を伸ばしていって大成したという話だと、みんな付いてこれないかもしれないけれど、そうではないところがいいなと思って。この映画ではそういうところを描こうと思いました。

-その泰子を広瀬すずさんが演じているわけですが、今までの彼女とは違う色っぽい大人の女性の役でした。彼女の印象はいかがでしたか。

 泰子を演じるってことで、期待以上に応えてもらったと思います。彼女が持っているポテンシャルの高さというか、今まであまり表に出してこなかった彼女の演技力も含めて、感情表現みたいなものがしっかりと出て、誰も見たことがない広瀬すずが映像に現れていると思います。広瀬さんには5年ぐらい前に彼女が21歳の時に最初にオーダーをして、やりたいという返事をもらいました。それがなかったらこの映画はできなかったかもしれません。

-では、彼女と相対する中原中也役の木戸大聖さんと、小林秀雄役の岡田将生さんはいかがでしたか。

 彼らもすごくよかったです。今の時代を生きていながら、映画の中であの時代を生きなければならないというのは非常に難しいことだったと思いますが、そういう雰囲気をよく勉強して作ってきてくれたと思いました。

岡田くんには、小林の著作をいくつか読んでもらって、彼がどう生きたのか、何を考えていたのかということをある程度は理解してもらえたかなと思います。木戸くんは、もちろん中也の詩も読んではいたでしょうが、(山口県)湯田の中原中也記念館にも行ってもらって、彼なりの中也像を作り上げた上で、この映画に臨んでくれたと思います。中也役はたくさんの若い人をオーディションしましたが、最後の最後に木戸くんを見つけられて本当によかったと思っています。

(取材・文・写真/田中雄二)

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