東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第16回 テニス・大坂なおみ
全豪オープンテニス大会(2018年)

 アスリートの「覚醒の時」――。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。



 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。

大坂なおみに足りなかったもの。18年全豪で大きなイメージ変化...の画像はこちら >>

2018年全豪で大坂は、明るい表情で練習に臨み、試合もポジティブな姿勢で戦った

 2018年9月、当時20歳の大坂は、全米(US)オープンで、自身初のグランドスラムタイトルを獲得し、日本テニスにおいて男女を通じて初めてシングルスのメジャータイトルを獲得した選手となった。

 続く2019年1月、全豪オープンの女子シングルスでも、日本人として初優勝を果たし、グランドスラム2連勝という偉業をやってのけた。同時に、日本人選手で初めてWTAランキング1位を記録し、21歳の若さで世界の頂点を極めた。


 今や大坂が、世界を代表するプロテニスプレーヤーであることは間違いない――。

 彼女のプレーを初めて見たのは、今から6年前の2014年4月29日、ITF岐阜大会の1回戦だった。

 こんなに速いサーブを打てる日本女子選手がいるのか――。

 1回戦は、雨天のためインドアテニスコートに場を移して行なわれたため、余計に彼女のサーブの速さが際立っていた。おそらくファーストサーブは、時速170~180km台を叩き出していたと思う。当時16歳の大坂は、すでに180cmの長身で、日本人離れしたパワーを持ち合わせ、それまで日本女子プロテニス選手にはなかったスケールの大きさを感じさせた。



 一方、荒削りなテニスでミスが凄まじく多かった。第1セットを取りながらも、自らのミスの多さで逆転負けを喫し、1回戦で終わってしまった。

 このとき大坂は、父親のレオナルド氏と、2歳上の姉・まり氏の3人でいつも行動していた。大会会場と岐阜市街にあるオフィシャルホテルを結ぶシャトルバスで、大坂親子と乗り合わせることもあり、レオナルド氏が笑顔で、姉妹のスナップ写真を撮る微笑ましい姿を目にすることもあった。

 大坂は、翌年の同大会にも出場すると、17歳で準優勝を飾った。この大会は、WTAツアーより下部大会ではあるが、ITF大会の中ではグレードの高い方で、17歳で簡単に決勝へ勝ち上がれるものではない。

 試合後の取材で、当時の大坂は、ICレコーダーを彼女のそばに置かないと録音できないほど小さくかぼそい声で質問に答えていたが、対照的に自分の大きな目標はきっぱりと宣言していたのが印象的だった。

「グランドスラムで優勝したい。世界ナンバーワンになりたい」

 大きな目標を掲げるのは、若いプロテニス選手の特権のひとつと言える。大坂がスケールの大きいテニスをすることは理解していたが、その反面安定感に欠けていたため、グランドスラムの優勝や、世界の頂点に登り詰めることができるのか、この時、正直私にはわからなかった。

 そして月日は流れ、2018年1月の全豪オープン。そこで大坂の新たな姿を見ることになった。



 当時の彼女の世界ランキングは72位。この大会は、大坂が2017年末からタッグを組んだアレクサンダー・バインコーチと初めて一緒に戦うグランドスラムであった。

 2017年12月から、1日約4時間のフィットネストレーニングを行なって、体重を7kgも落とし、体つきがシャープになったことで、フィジカルが向上。それによって、コートカバーリングが明らかによくなった。結果、テニスのプレーのレベルアップにもつながり、新たな自信が生まれていた。

「サーシャ(バインコーチの愛称)は、ツアーにとても長い間にわたって関わってきた人ですし、彼の性格が私に合っていると感じました。

いい関係が築けているし、いいアドバイスももらえています。今は、より集中できています」

 こう語った大坂は、もともとミスが多いうえネガティブになりがちで、負のスパイラルに陥ると、なかなか立て直すことができないタイプだった。

 だが、この大会での大坂は、それまでのイメージを覆し明らかに笑顔が増えていた。練習時に、ヒッティングパートナーも務めるバインコーチに向けて笑顔を向けたり、お茶目な行動をしておどけたりした。

 さらに、試合中にも大坂の笑顔は見られ、自分のミスに対して時には笑顔をつくって、次のポイントへ気持ちとプレーを切り替え、ミスの回数を減少させプレーの安定感向上にもつなげた。

 そして、大坂はグランドスラム3回戦を、6度目の正直で初めて突破した。


 続く4回戦では、当時世界1位のシモナ・ハレプ(ルーマニア)に当たりストレートで敗れ、自身初のグランドスラムベスト8進出は実現しなかった。

 それでも試合中は荒れることなく、大坂は落ち着いていた。

 ハレプも「試合で私がリードしている場面でも、なおみはポジティブだった」と、大坂が常に前向きな姿勢で戦っていたことを評価していた。

「試合中ポジティブでいることは、今まさに、私がメインに取り組んでいることです。今大会中も、それが自分の助けになっています。これからもっとよくなるように取り組み続けていきたいと思います。自分のテニスのクオリティーこそが確かな自信をもたらしてくれるのです」

 こう語った大坂には、それまでの彼女には見られなかったポジティブさに満ち溢れ、彼女のメンタルとテニスのレベルを同時に引き上げることにつながった。まさに大坂の覚醒の瞬間であった。

 そして、それをあと押しするかのようにバインコーチは、大坂の才能に惚れ込み、彼女のポテンシャルを信じていた。

「僕たちは、将来グランドスラムで優勝することを目指しています。なおみの可能性は無限大です」

 グランドスラム初優勝という目標は、大坂とバインコーチのベクトルが完全に一致したことで、現実味を一気に帯びた。

 私も大坂は必ずグランドスラムで初優勝できると、このメルボルンで確信できるようになったが、それからわずか8カ月後のUSオープンで、彼女はそれを実現させたのだった。