サッカースターの技術・戦術解剖
第16回 リキ・プッチ

<トップ下のポジション>

 第33節アトレティコ・マドリード戦で先発、つづく第34節ビジャレアル戦では交代出場。バルセロナのリキ・プッチがプレーしたのは、4-3-1-2のトップ下だった。

今ではほとんど見られなくなったポジションである。

リキ・プッチはバルサの希望。歴代の名手が持つ決定的能力を備え...の画像はこちら >>
 身長169cm、しかも細身。170cm以下の小柄な名手は数多くいるとはいえ、ここまで華奢な選手もまた珍しい。

 だが、だからこそプッチはバルセロナの希望なのだ。

 4-3-1-2がプッチのためのシステムなのか、それともやはりビジャレアル戦のように、リオネル・メッシ、ルイス・スアレス、アントワーヌ・グリーズマンを機能させるためのアイデアなのかは判然としない。あるいは、たんなるオプションにすぎない可能性もある。


 ただ、来季の去就が微妙になっていると報道されている、キケ・セティエン監督がその最中に打ち出した一手には、それなりの意味があると考えるべきだろう。

 相手のDFとMFの間のわずかなスペース。ここでプレーできるのは、メッシとプッチしかいない。狭いスペースでパスを受け、コンマ数秒で飛んでくる相手の足をかわしながらのプレーには、特別な敏捷性と精緻なボールタッチだけでなく、何よりも「速く考える」能力が問われる。

 それは「考える」というより反射に近く、このジャンルのスペシャリストを養成してきたバルサでも、高いレベルで実行できるのは現在ふたりしかいないのだ。

 もう忘れられかけていた4-3-1-2の「1」をあえて引っ張り出してきたのは、メッシとプッチを活用したいという以外に理由が見当たらない。
メッシは右ウイングでもセンターフォワード(CF)でもプレーできるが、プッチはトップ下かせいぜいインテリオール(インサイドMF)だ。つまり、メッシとプッチのためのポジションであり、むしろプッチのためにつくったポジションの感すらある。

 このシステム変更で最も恩恵を受けたのはグリーズマンだろう。左ウイングとして起用されてきたグリーズマンは不振にあえいでいた。ウイングと言ってもメッシの対角なので、守備の時には下がらなくてはならない。メッシとスアレスが前線に残る実質2トップだからだ。



 ネイマールはこの役割を何とかこなしていたが、グリーズマンはメッシとの関係をつくりきれず、バルセロナにおける居場所を見つけられずにいた。しかしここにきて、スアレスと並ぶ2トップとして中央でプレーできるようになり、メッシとの関係性も見出しかけている。

 セティエン監督は、命題と言えるメッシを軸とした新たな構成を土壇場で見出したようだ。ゴールからアシストへ比重を移すべき時期にあったメッシのため、グリーズマンを復活させるため、そしてプッチを起用できる余地を得るための方法を、ぎりぎりのタイミングで見つけた。

<1歩の速さという武器>

 昔から最高クラスの名手は、小柄と決まっている。

 アルフレッド・ディ・ステファノ、ペレ、フェレンツ・プスカシュ、ディエゴ・マラドーナがそうで、上背があるスーパークラスにはベッケンバウアーがいるが、ポジションはDFだった。
相手に囲まれたなかで最高のプレーをするためには、どうやらサイズ制限があるようなのだ。

 現在でも小さな名手は何人かいる。ナポリのロレンツォ・インシーニェとドリース・メルテンスは共に170cm以下、日本の誇るテクニシャンである中島翔哉も167cmである。

 彼らの利点は「一歩」が速いことにある。

 サッカーでは100m走のタイムはあまり参考にならない。100mを走りきる機会などほとんどないからだ。
3歩ぐらいの初速がより重要で、相手の隙間でプレーするタイプならなおさらスペースはないので、1歩の速さが決定的である。プッチにあるのは、この1歩の速さだ。

 サッカーで最上級の身体能力と言っていい1歩の速さだが、実は計測する方法がない。スプリント力は少なくとも10メートルは走らないとタイムを計っても意味がなく、幅跳びでわかるのも筋力でしかない。1歩の速さは数値には表れないので、実際のプレーで表現できているのを確認するしかないわけだ。

 プッチはバルセロナのカンテラで「偽9番」(CFの位置から中盤に下りてプレーする役割)としてプレーしていた。

ただ、同期のなかでは出遅れていて昇格のタイミングも遅い。スペイン代表のアンダー世代での選出もない。遅咲きというより、小さくて軽量すぎるので様子を見ていくしかなかったのだろう。

 才能があるのはたしかだが、それがどのレベルまで通用するのか。1つ1つクリアしていった結果、トップまでたどり着けたのではないか。数値はないので試していくほかないわけだ。それでも20歳でポジションをつかみかかっているのだから、遅くはなかった。

<輝く場所を選ぶ>

 テクニックとインテリジェンスは、バルサの育成方針の核だ。メッシ、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタを生み出してきた。プッチはそのサイズからして、さらにバルサ特有の選手と言える。バルサでなければ、トップチームに昇格することはなかっただろう。

 デビューの仕方が、ジュニーニョ・パウリスタと似ている。

 ジュニーニョの身長は165cm。体格も華奢だった。ブラジル代表のユースではまったくプレーしていない。しかし、1993年に名門サンパウロでデビューしたのが19歳。テレ・サンターナ監督に見出され、レオナルドと中盤でコンビを組んだ。

 95年には国内リーグの MVPに選出され、ブラジル代表としてプレーしたコパ・アメリカでもMVPに選ばれている。ユース時代は脚光を浴びていなかったのに、10代最後でトップに抜擢されるや一気に頂点まで上っていった。

 ジュニーニョはプッチと似ていて狭いスペースでプレーができた。1歩が速く、2歩目以降も速くて加速力があった。96年にはイングランドのミドルズブラに移籍して活躍、翌年プレーしたアトレティコ・マドリードでも中心選手だった。

 ところが、そのピーク時に左足首靱帯断裂の大ケガをしてしまう。98年フランスW杯でプレーできず、アトレティコもトップ下を置かない戦術に変更したためジュニーニョは出番を失った。

 02年の日韓W杯は出場したが、ロナウジーニョの台頭でポジションを1つ下げている。チーム構成上、ボランチに守備能力の高いクレベルソンが優先され、ジュニーニョはバックアップに回った。そんなに潰しの利くタイプではなかった。

 やはりプッチは、バルサでのみ輝く選手だと思う。最近、ぼやけてきたバルサの哲学を再興するとしたら、彼が一番手に違いない。