野﨑舞夏星インタビュー(2)
ドンマイ!AD編

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「中学の時から、将来はスポーツ番組のディレクターになりたいと思っていました」

 その夢をかなえるべく、ADとして奮闘している女性がいる。野﨑舞夏星(まなほ)さん、フジテレビに入社して2年目。

 身長は160cmと小柄で一見、華奢に見える。こちらが質問を投げかけると、時に笑いながらハキハキと答えてくれる「ステキなOL」さんだ。

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世界女子ジュニア相撲選手権で1位に輝いたこともある野﨑さんは現在テレビ局に勤めている

 そんな野﨑さんだが、実はバリバリの体育会系の元アスリート。小学2年生の時に相撲を始めると、数々の大会で優勝。2014年には、台湾で行なわれた世界女子ジュニア相撲選手権で1位に輝いた。日本人としては、軽量級で初めての世界一だった。

 彼女がスポーツ番組のディレクターになりたかったのは、自身が続けてきた女子相撲やマイナースポーツと呼ばれる競技を取り上げ、多くの人に知ってもらいという思いがあるから。

 しかし、入社してすぐにディレクターにはなれるものではない。今はスポーツ番組のADとして忙しい日々を送っている。では、具体的にはいったいどんな仕事をしているのか。

「主にディレクターの仕事の手伝いです。ディレクターが必要としている資料を先回りして準備したり、選手や競技の過去の素材を出したり。

 今は『S-PARK』というスポーツニュース番組についています。例えばサッカーなら、本当にこの得点はその選手の名前で合っているのかなどを確認する資料を用意したり、ディレクターに頼まれたことをどんどんやったりしています。

 最近は若手のディレクターやADにも企画を作るチャンスをもらえる雰囲気になっていて、今年の夏には私も女子高校野球の取材をさせてもらいました」

 担当番組の放送が土日の深夜ということもあり、今は休日出勤(平日が休み)、夜型の生活を送っている。テレビ会社と言えば、華やかな世界をイメージする人もいるだろう。実際に入社してから、野﨑さん自身が考えていた仕事像に大きな変化はあったのだろうか。

「私は入社する前から、ADは寝ずに仕事をして、仕事が終わったら飲み会があって......みたいなイメージだったのですが、大きくは変わっていません。



 もちろん仕事は大変です。でも、働き方改革でADでも時間を決めてきちんと帰らせてもらっています。勤務調整もしてもらっているので、覚悟していたよりかは大丈夫でした(笑)。

 それに何より、一緒に働いている方々がいい人たちばかりなので、『この先輩のために頑張ろう』と思って仕事をしています」

 大変なことの一つとして挙げられるのが、大学時代と生活がガラリと変わったこと。これはある意味、元アスリートならではのあるある話かもしれない。

「入社して最初に苦労したのは、今までが朝型の生活だったので、それが今はお昼過ぎに出社して会社を出るのが深夜の2時とか3時ぐらい。

番組の生放送が深夜0時前後にあるので、タクシーで帰っています。だから、近所の人にどう思われているのかわからないんですけど(笑)。

その生活に慣れるのに最初は苦労しましたが、どこでもすぐに寝られる人なのでもう慣れました」

 そう笑いながらあっけらかんとした感じで話してくれた。

 入社してからこれまでに一番大変だったと語るのは、この夏に『SーPARK』で放送された「もうひとつの『2020夏 僕らの甲子園。』」 栃木県・作新学院女子硬式野球部、を手掛けたこと。同期の女性とともに初めてディレクターとして制作した。



世界一の相撲ガールがADに。野﨑舞夏星はディレクター目指して奮闘中

「初めて挑戦した企画でした。6月ぐらいから部員の女の子たちに密着取材をして、オンエアしたのが9月だったんです。3カ月ちょっと取材していたのですけど、自分が主導で取材に行くというのが初めてだったので、右も左もわからないままスタートした感じでした」

 不安の中で始まった企画だったが、取材先の作新学院高校は女子野球部の監督をはじめ部員の子たちがみな協力的で、コロナ禍での取材で制限もあったが取材自体はスムーズに行なえた。

「それでも、毎日ではないですが3カ月間密着したものをひとつのVTRにまとめるのは、まず構成を考えるのが大変でした。あとは落としどころがなかなか決まりませんでした。本当は甲子園と同じような大会が女子野球にもあって、夏に開催されるはずだったのが一度は10月に延期にされることになったんです。

 それで10月にオンエアする予定でしたが、その大会も9月に中止が決まり、終着点がないというふうになってしまって。結局、関東女子硬式野球連盟が代替大会を開催することになって、それを終着点にすることはできました。

 コロナによっていつ何があるかわからないという状況で、明日すぐとか今日すぐ取材に行かなきゃいけないということに対応したり、瞬時にあらゆることを判断したりというのがすごく難しかったです。いろんな先輩からアドバイスをもらってボロボロになりながら、何とか放送できました」

  学生時代の"取材される立場"から、今は"取材する立場"に変わったが、取材されていた経験が取材する時に役立つことはあるのだろうか。

「まだ実現はできていないですけど、自分が聞かれたら嫌だなと思う質問や、自分が答えやすい質問の仕方って何だろうというのは常に考えています。でも、まだまだ勉強中です。

 それに、番組としていいものを作りたいというなかで、アスリートのみなさんに嫌と思われても聞かなければいけないことが出てくるかもしれない。そういった葛藤もいずれ出てくるかなと思っています」

  時に悩み、時に仕事での喜びも感じながらADとして奮闘している。前編では「生活がアクティブになった」と語っていたが、休日はどのように過ごしているのだろうか。

「だいたい日曜日の『S-PARK』が終わった明けの月・火が休みなんです。先ほども話しましたが、番組が深夜の放送なので、仕事を終えて家に着くのが4時とか5時。そのまま目覚ましをかけずに寝てしまうと起きるのが夕方になってしまうので、お昼に予定を入れて、11時には起きるようにしています。

 お昼は友だちとご飯を食べに行って、買い物だったり映画を見たり。夜も友だちとご飯を食べることが多いですね」

 そして、どうしても欠かしたくないというのがプロレス観戦だ。幼い時の夢は「プロレスラーになること」。今でも大のプロレス好きである。

「月曜日に後楽園でプロレスをやっていたら、必ず見に行きます。今はコロナ禍でなかなか興行が行なわれていないので、全然行けていないんですけど。仕事終わりに後楽園にプロレスを見に行くのが夢のひとつだったんです。でも、フジテレビから遠いんですよね。移動に1時間ぐらいかかっちゃう」

  そうお茶目な感じ話してくれた野﨑さん。最後に今後の目標を改めて教えてもらった。

「企画をひとつ挑戦してみて、自分のできないところや足りないところがわかったので、次の企画に挑戦したいです。

 今は新型コロナウイルスの影響で取材もいろいろ規制されているのですが、一番やりたいのは、やはり自分がやってきた相撲、特に女子相撲をどうやって面白く見せられるかということに取り組んでいきたいと思っています。

 先輩たちからたくさん学び、自分の目線も大切にしながらやっていきたいです。そのためにもまずは早く一人前のディレクターになりたいですね」

 通常ディレクターになるには「スポーツ局だと3年か4年」かかるそうだ。彼女が将来、どんな企画を手掛け、どんな番組を作っていくのか。楽しみにしていたい。