羽生結弦は未来を創る~絶対王者との対話』
第Ⅵ部 類まれなメンタル(2)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。

世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。

羽生結弦は学び続ける。アクシデントを乗り越え完全優勝できた要...の画像はこちら >>

2014年GPファイナルのフリー演技の羽生結弦

 ソチ五輪を制し五輪王者として臨んだ14−15シーズン、羽生結弦を待ち構えていたのは予想外のアクシデントだった。羽生にとってGPシーズン初戦となった中国杯の男子フリー直前練習でハン・ヤン(中国)と激突し、頭部挫創など全治2、3週間のケガを負った。ただし、アメリカチームのドクターから、「脳震盪(のうしんとう)は起こしていない」と診断を受けたため、羽生は出場を決断したのだった。

 傍目から見れば不可能とも思える決断だったが、羽生自身には「ここで棄権をすれば自分のシーズンが終わってしまう」という思いがあった。過去にひどいねんざを負いながらも強行出場して結果を出した経験もあっただけに、脳震盪を起こしていないなら、その後の影響も小さいと判断した。


 治療により5日間のみの練習で臨んだその3週間後のNHK杯は、「グランプリ(GP)ファイナルへ行きたい」という強い気持ちが力みにつながり、試合に集中できない苦しい戦いに。一度は諦めかけていたが、結果は4位ながら上位選手も崩れ、同じポイントで並んだジェレミー・アボット(アメリカ)を、2試合の合計得点で0.15点上回り、GPファイナル出場へ滑り込んだ。

羽生結弦は学び続ける。アクシデントを乗り越え完全優勝できた要因

14年GPファイナルの公式練習の羽生

 14年12月にバルセロナで行なわれたGPファイナル。羽生は万全な状態ではなかったが、心の強さと冷静さを発揮。SPを1位で終えると、フリーでは、このシーズンでそれまでに見せたことがなかったパーフェクトな演技を披露した。

 冒頭では、本人が跳んだ瞬間に「きた!」と感じたというほど完璧な4回転サルコウを決めた。
続く4回転トーループもGOE(出来ばえ点)で2.71の加点をもらう質の高いジャンプ。力強さとしなやかさが共存するステップで観客をわかせると、その後に3つ続く連続ジャンプもきれいに決め、優勝を確実にした。

 ただ最後の3回転ルッツは回転不足で転倒。羽生は演技を終えた瞬間にペロッと舌を出して照れ笑いを浮かべた。それでも、ミスしたルッツ以外はGOEでもすべて加点が並んだ。技術点は4回転サルコウで転倒した前年のGPファイナルを1.27点上回る103.30点の高得点で、合計は自己最高記録を更新する194.08点を獲得。
合計で2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)に34.26点の大差をつけて連覇を果たした。

「終わってみたら連覇、という感じです。僕にとってはギリギリで滑り込んだファイナルだったので(6人中6位での出場)、連覇したいという意識とは切り離されたものでした。だから連覇にとらわれることなく、今やるべきことができたのかなと思います。前季のソチ五輪と2週間前のNHK杯は、どちらも『優勝じゃなければダメだ』といった感覚を持って戦った試合でしたが、それがいい経験になっていました」

 中国杯で衝突してケガを負った後の激動の1カ月間を、「今思うと本当に幸福だったと思います」と言って笑みを浮かべた羽生。

「第一は中国でのアクシデントが、五輪が終わった次の年の出来事だったということ。

それに、GPシリーズで、あのようなアクシデントを経験できる人はほとんどいないということもあります。あの状況に陥った後、どういうふうに練習していけばいいかというのを、何かつかんだような気がしました。それに、周囲からのサポートがどけだけあるかというのも実感できました。本当に感謝の気持ちでいっぱいでしたし、いい経験ができました」

 また、GPファイナルへ向けては、身体の状態を見ながら調整していた初戦の中国大会前とは違い、確実に追い込めたという手応えもあった。

「もうやりたくないと思うようなハードな練習に耐えられた自分の身体や、支えてくれたトレーナーや家族にも感謝したい」

 羽生自身が述べたように試合への調整面でも、会得するものがあった。GPファイナルの試合前の公式練習に、羽生は5分ほど遅れて参加した。
「公式練習で動きすぎると疲れるというか、今まで公式練習で(順番が)6人目の時、曲をかけての練習でうまくいった試しがなかったから」というのが理由だった。

 また、羽生はGPファイナルに向けて日本で調整を続け、ブライアン・オーサーコーチから渡されたハードな練習メニューをひとりでこなしてきた。そのため、自分で判断する状況が増えた。

「ブライアンがしてくれるのはプランの提供だったり、精神面のコントロールですが、それらはあくまで客観的なもので、すべてを充足させられるわけではない。家族との関係でも、自分でなければわからないことがあるように、そういう感覚的な部分は自分で考えて、自分で見つけ出していかなくてはいけないと思うんです。

 今回一番良かったのは、演技前の練習でトリプルアクセルを初めて跳んだことです。

今シーズン試合を経験してきた中で、3回転ループの確率が上がって、ミスをしない自信が持てるようになってからはループを試合直前に跳んでいましたが、(練習で)4回転ループも跳んでいる今では3回転ループを問題なく跳べるようになっていますから、それだけでは体が動かないという感覚があったんです」

 それは、大会前にひとりで練習していた時から感じていたことだった。試合をシミュレーションした練習で、フリー冒頭の4回転サルコウが一度も決まらなかった。そこで「ウォーミングアップの方法が悪いのだろうから、何かを変えなければいけない」と考えていたという。

「練習でループがパンクした瞬間にトリプルアクセルをやったほうがいいなと思って跳んでみました。今の身体の状態だったらトリプルアクセルは確実に跳べるという自信があったのでやってみたんです。身体を締める感覚や回転速度が4回転に近いということもありますし。

 それで今回も、リンクに上がる前に『(フリーの)試合前にトリプルアクセルをやってみたい』とブライアンに言って、『いいんじゃないか』という許可をもらっていたんです。フリーの6番滑走という過酷な状況で4回転サルコウがきれいに決まったのは自信になりましたし、演技直前にトリプルアクセルを試すことができた収穫は大きいと思います」

 そう言いながらも羽生は、「試合前にアクセルを入れたのがよかったけれど、それが全日本選手権や世界選手権のような大会だったら、確実によかったかどうかというのはわからないと思います。今の身体の状態で、バルセロナで開催されたファイナルだったからそれがハマッたというのはある」と冷静にとらえていた。

(つづく)

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13~16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。