楽天・早川隆久インタビュー@後編

 東京五輪が閉幕した2日後、2年ぶりの全国高等学校野球選手権が甲子園球場で始まった。

 早稲田大学を経て2020年ドラフト1位で楽天に入団した早川隆久は6年前、木更津総合高校2年生の春に初めて"聖地"と言われるマウンドを踏んだ。

以降、計3大会に出場し、投手として大切なものを学ぶことができたと振り返る。

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「自分は何をしているんだろう」。楽天・早川隆久は同世代の活躍...の画像はこちら >>

早川隆久は高校時代、甲子園のマウンドを何度も経験

「いろいろな方の想いを背負いながらプレーする重要性は、野球をやっているうえで変わらないと今も思っています。支えてくれた方々がいるから野球をできているんだと、甲子園ですごく感じました」

 各都道府県から代表校が出場し、多くの人の思いを背負ってグラウンドに立つ。成長途上の高校生たちが普段にも増した力を発揮できるのは、甲子園という舞台装置によるところも大きい。

「あきらめずに試合を行なう大切さもすごく感じられました。自分たちが3年の代で八戸学院光星対東邦の逆転劇(※)があったのは、最後まで戦い抜く姿勢が見えたからこそだと思います。

甲子園ではいろいろな力をもらえました」

※2016年夏の甲子園2回戦。八戸学院光星が7回表を終えて9−2と大量リードを奪うも、東邦が7回裏に2点、8回裏に1点、そして9回裏に5点を奪って奇跡の逆転サヨナラ勝利を演じた。

 自ら考えて試行錯誤するという土台ができたのも、高校時代のことだった。木更津総合時代は「ランニングをしっかりしておけよ」と言われる程度で、投手陣は基本的に練習方法を任されていたという。

「自分は基本、投げ込みが好きではなくて。どうすればいいフォームを作り、楽に投げられるかを考えています。

シャドーピッチングや負担のかからない練習でそれを行ないながら、フォームがある程度固まってきたらブルペンで投げて、課題が見つかれば改善して、と繰り返してきました。

 それができたら試合で行なってみる、というタイプのピッチャーでしたね。あまり投げてないから、今もここまで来ているのかなと思います」

 甲子園で注目された「将来有望な高校生」は早稲田大に進み、アマチュアで「ナンバーワン左腕」に変貌したのはインタビュー前編で述べたとおりだ。大学4年間で大きく成長できた裏には、早稲田特有の環境に身を置いたから開けた視界がある。

「早稲田にはいろいろなスポーツのトップレベルの選手がいます。同い年くらいで世界で活躍している選手を見て、『自分は何してるんだろう?』ってみじめに感じたり、逆にそういう選手たちに戦い方についてアドバイスをいただいたりして、モチベーションを高く持てたからこそ、ここまで来たのもあります」

 平昌五輪にスノーボード日本代表として出場した鬼塚雅や、サッカー・ロシアリーグのルビン・カザンでプレーする齊藤未月らが早稲田の同学年だ。

学外の同世代に目を広げると、東京五輪ではスケートボード男子ストリートで堀米雄斗が金メダルを獲得した。1歳上にはテニスの大坂なおみや、東京五輪の男子サーフィンで銀メダルを獲得した五十嵐カノアにも刺激を受けている。

 年が近いアスリートに「負けたくない」という気持ちもなくはないが、世界の大舞台で活躍している姿を見ると、純粋にカッコいいと感じる。

「同年代のアスリートが世界で戦っている姿を見ると、刺激になりますし、すごくモチベーションになりますね」

 木更津総合高校を卒業する際、「自分にはスバ抜けた武器がない」と大学進学を決めた。それから4年間、グラウンドやキャンパスで自身を総合的に磨き上げた結果、プロ1年目から活躍するための武器を身につけることができた。

「フォアボールが本当に少なくなりました。

高校の時には多かったけど、プロに入って改善できたと思います。自分が投げたい球を投げられているのもそうですし、逆にバッターがボール球を追いかけてくれているのもあります。トータル的によくなりましたね」

 規定投球回数に達していた今年5月中旬、「ボール球を振らせる率が12球団で最も高い」とニュースになった。ストライクゾーンから外れる球を振らせることができれば、自然とアウトにする確率は高くなる。

 早川がそうした投球をできる要因は、ふたつ考えられる。

 相手打者からすれば、データやイメージが少ないからボールに手を出しやすい。

逆に早川は、ピッチトンネルをうまく駆使している。打者に対して"錯覚"をうまく使い、ボール球を振らせているのだ。

 実際、投球の軸になるストレートに加え、カットボール、スライダー、2種類のチェンジアップという持ち球は、ピッチトンネルを形成するために意図的に選んだという。

 結果を出すための"計算力"は、早川の秀でた能力と言えるだろう。それは目の前の結果を出すだけでなく、自身のキャリアを切り開くためにも使われている。

 楽天で1年目、先発ローテーションを1年間守り抜くという目標を立てたのも、どうすれば自身が飛躍できるか考えてのことだった。

「できるという自信があったわけではないですが、段階として目標設定をしていました。シーズン前には開幕ローテーションに入るという目標があり、そこを達成したなかで、シーズンを通してまずは5勝を目指す。その先にシーズンを通して投げるという目標もあり、そのステージがクリアできなかったという感じです」

 今季の先に続く目標は、大まかに作っている。1年目、2年目......5年目と設定し、そこを目指すうえで何が必要かを都度、掘り下げていく。プロの世界では「少しでも長く活躍したい」と語る新人選手が多いなか、早川はどこまで見据えているのだろうか。

「キャリアの終わりまでは見ていませんけど、まずは一番高いステージで活躍したいという思いがあります。そこだけを最終地点と設定して、そこに到達して以降も活躍し続けるのが自分の最終的な目標かなと思っています」

 一番高いステージとは、1軍で先発ローテーションを守り、エース級の活躍をすることだろうか。

「そうですね。まずは一軍でローテーションを守り、チームの勝利に貢献すること。そして、さらに高いレベルを目指し、いろいろなことに挑戦していきたいと思っています」

 甲子園、大学球界で自身を磨いてきた男は、今も視座が高い。目指す先へたどり着くためには、一歩ずつ目標をクリアし、徐々にステージを上げていくことが必要だ。そのためにもプロ1年目の今年、先発陣のひとりとしてチームに貢献することが大きな一歩になる。

「チームは本当にいい形で前半戦を終えられているので、そのままもう1回、後半戦の最初から勢いをつけられるような投球をしていきながら、そのままシーズンを終えてリーグチャンピオンになって、ポストシーズンをしっかり勝ち抜いて日本一をとれるように。自分もコンディション不良とかにならないように。常にいろいろなアンテナを高くしながら、自分もレベルアップして優勝できればと思います」

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 前半戦に快進撃を見せたルーキーは、シーズンが佳境に向かうにつれて、どんな投球を見せていくのか。この夏、同世代に受けた刺激を力に変えて、目の前の大きな仕事を果たす覚悟だ。

【profile】
早川隆久(はやかわ・たかひさ)
1998年7月6日生まれ、千葉県山武郡出身。木更津総合高校時代は2年春、3年春、3年夏と甲子園に3度出場する。早稲田大学に進学後、2020年のドラフト会議で4球団から1位指名を受けて楽天に入団。2021年3月28日、開幕カード3戦目の日本ハム戦で初先発・初勝利を飾る。180cm、76kg。