『ドクターゼロス~スポーツ外科医・野並社の情熱~』第1巻発売記念
原作者・石川秀幸先生×元DeNA・寺田光輝氏 対談(後編)

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 漫画『ドクターゼロス~スポーツ外科医・野並社の情熱~』の原作者・石川秀幸先生と元横浜DeNAベイスターズの投手にして、現在は東海大学医学部に合格して医師の道を志す寺田光輝氏との異色対談。前編では寺田氏がプロ野球の世界に身を置くまでについてトークが繰り広げられたが、後編は厳しいプロの世界、現役引退後に医師を目指すことになったきっかけについて語ってもらった。

「ここで結果を出さなければただの恥さらしだ」元DeNA寺田光...の画像はこちら >>

DeNAから6位で指名されて入団するも、2年で戦力外となった寺田光輝氏

石川 2017年にドラフト6位で横浜DeNAベイスターズに入団され、晴れてプロ野球選手になってからも、寺田さんのプロ生活はずっとケガとの戦いだったとお聞きしました。

寺田 はい。でも本当はプロ入りの前に独立リーグの最後の試合で足をケガしていたんです。右足の肉離れですね。ただ、僕の立場として26歳で独立リーグから入団ですから、即戦力としての働きが求められるわけです。

石川 そうなると、入団早々『ケガをしているのでちょっと待ってもらっていいですか』とはなかなか言えませんよね。

寺田さんもやはりケガを隠されてプレーされていたんですか?

寺田 そうですね。ただ、隠そうと思っていても明らかにトレーニングの動きがおかしかったみたいで、すぐにバレました。ただ、プロの選手はみんな、うまくケガとつき合いながら試合に出ています。僕も足のケガをかばいながら練習をしていたんですが、その負担が腰にきてしまったようで、ある日ボールを投げたらバキッと。"椎間板ヘルニア"で手術することになってしまいました。

石川 それは大変でしたね。

ヘルニアは手術して完治したんですか?

寺田 しびれは完全に取れたんですけど......慢性的な腰痛は全然治らなくて。正直、今もまだ痛いです。ただ、手術前は野球どうこうより日常生活が送れるレベルではなかったので、普通の動きができることがすごくうれしかったんです。リハビリも頑張ってオフには練習もできるようになって、2年目に向けてモチベーションもすごく上がっていたんです。

石川 2年目の沖縄キャンプにはほかの選手と一緒にキャンプインしたんですよね。さあやっと勝負だという感じですか。

寺田 はい。でもそこで今度は肩を壊してしまいました......。

石川 ああ......今度は肩ですか......。

寺田 これも1年目まったく働けなかった焦りで、オーバーワークになってしまったことが原因だと思うんです。最初は筋肉の炎症という話で、2週間ぐらいでよくなると言われていたんですけど、それ以上に深刻だったのが、今度は感覚がおかしくなってストライクが全く入らないイップスになってしまったんです。最悪ですよね。

石川 つらいですね。やらなければ後がない崖っぷちの状況で、またケガをしてしまう。しかもイップスまで発症して、さぞや絶望されたと思います。以前あるケガをしたアスリートに聞いたことがあるのですが、ケガをしたことで「全員にバカにされているような気がした」と精神的にかなり追い込まれたそうですが、寺田さんは周りの目が気になることはありましたか?

寺田 幸い僕はないですね。でも、それはチームに恵まれていたからかもしれません。チームメイトは先輩も後輩も本当にすごく優しい人ばかりで、ライバルであるはずの同じサイドスローのピッチャーでもアドバイスしてくれるような関係だったんです。

結果が出なくてもヤケになることもなかったです。プロ野球選手って、一軍も二軍も関係なく、自分のやることを当たり前にやるという人たちなんです。なかでも、とくに梶谷(隆幸/現・巨人)さんの練習量は本当にすごかったですけど、周りのみなさんがプロとしての誇りであり責任感を持って日々を過ごしていたので、僕もそこは気持ちを折らずにいられたのだと思います。

石川 かっこいいですね。

寺田 ただ、肩がよくなって試合に登板すると、3~4試合連続でボコボコに打ち込まれたんですね。ストライクも入らない。

入れば打たれる状況に、さすがに心が折れて......気がついたら就職情報サイトに登録していました(笑)。

石川 切り替えが早い(笑)。

寺田 半分冗談ですけどね。でもそこから転向したんですよ。アンダースローに。すると、それが合っていたのか結果も出始めたんですよ。

石川 左投げからはじまって、上投げ、横投げ、下投げと全部やられたんですね。

寺田 はい。ただ、もう僕にプロとしての時間はないし、連続で打ち込まれたマイナスを覆すほどの活躍はほぼ絶望的でした。でもプロ野球選手になったからには、その職業をまっとうしなければいけない。この時期が一番きつかったです。悔しいという思いもない。できるなら逃げたい、辞めたい、苦しい......何もいいことがない。選手として終わっていることを自覚しているのに、プロという立場でいっさい手を抜かずにやる。指名されて、応援してくれる人たちがいる以上、そこには絶対に嘘をついちゃいけないと思っていたので。

石川 なるほど......では戦力外通告を受けた時は、ホッとしたという感じだったのですか。

寺田 そうですね。ホッとしました。あとは、お金をかけて獲ってくれたのに、活躍できず球団には申し訳ない......ですね。

石川 引退して、医者の道を選んだことには、幼少期のこと、そして現役の時にこれだけたくさんケガをしてきたことが影響しているんですかね。

寺田 そうですね。お医者さんと向き合う機会だけは多かったですから(笑)。そして、いい医者と悪い医者の差が激しいということを、身をもって経験しました。技術うんぬんじゃないんです。「人としてどうなの?」というお医者さんが結構いて、この先生に当たってしまった患者さんは本当に救いがないなと。何度もありましたよ。

石川 そうですね。筋肉が痛いだけなのに、たいした診察もせずひたすら注射を打ち続けて壊してしまったなんて話もよく聞きますから。

寺田 だから、本当にいいお医者さんに出会えた時のよろこびもわかるんです。僕も何度も助けられました。来る前には心細かったけど、診察室を出る時は元気になって前向きに帰っていけるような。僕はそういう医者になりたいんです。みんなを元気にしたいといったらおこがましいですけど、少なくとも僕を頼って来てくれた人だけでも、元気にしてあげたい。

石川 すばらしいですよ。僕はスポーツドクターからよくお話を聞くんですけど、本気になって患者と向き合うと全然儲からないと言うんです。医者は回転率が命なので、親身になればなるほど儲からない。だから、聞いてくれるということは相当いい人ですけど、それでもちゃんと向き合えるかどうかは、やっぱりアスリートの気持ち。たとえば「ケガしてでも勝ちたい」と突き進むような......そういう思いの部分を理解できるかなんでしょうけど、実際のお医者さんは「なんでわざわざケガするの?」「壊れるまでやらなきゃいいのに」と考える人が多いんですよね。

寺田 アスリートは基本的に、動く限りは無理をするんです。そういう性質を多少わかろうとしてくれる人はいましたけど、本音としては「もうちょっと何か方法はないですか?」というのがほとんどでした。

石川 だから、実際にアスリートの気持ちがわかる元選手がお医者さんになってくれたら、これ以上理想的なことはないですよ。ただ、そのためには医学部に入らなければいけない。これが難しいですからね。僕が取材した限りでは合格できる人って、だいたい2通りいて、学校の勉強だけでトップを取れる超天才か、何年間もみっちり勉強してやっとなれた人か......本当に極端なんですよね。寺田さんはどちらでしたか?

寺田 僕は後者ですね。1日最低5時間、最高だと9時間ぐらいは勉強していました。

石川 引退した28歳から勉強をはじめられたんですよね。医学部、むちゃくちゃ難しくなかったですか? どんな勉強をされていたんですか?

寺田 難しかったです。僕は東海大学を編入試験で受けたんですけど、試験は生物と英語と数学で、生物だけは得意で、10年前の受験生の頃に全国模試で7位。やっているうちに思い出しました。英語と数学は通っていた予備校だけでは不十分だったので、自分で過去問を模試みたいに解きながら、ほかの予備校の情報などを拾って、合格最低点を出して判定を出したりしていました(笑)。

石川 すごいですね。やはりプロ野球まで行かれた方は結果を出すために、自分でどういう練習・勉強をすればいいかを心得ていらっしゃいますね。以前、元関脇の嘉風という力士の方が「プロアスリートのメンタルがあれば大抵どの業界でも天下を獲れる」とおっしゃっていたんです。比べるものではないのかもしれませんけど、プロ野球の世界で戦うことと医学部の試験はどちらが難しかったですか。

寺田 僕自身の経験としてですが、圧倒的にプロ野球ですね。あれは......無理です。こう言うとエラそうに聞こえてしまうかもしれませんが、あの時のストレスを思えば、何をしても疲れないし......それに比べれば勉強なんてハッキリ言って余裕だったと思います。

石川 やっぱりプロ野球選手だと、背負っているものが大きいんでしょうね。プレッシャーもあったでしょうし、それに比べたら受験は自己で完結できますもんね。

寺田 僕は背負っているのはプロ野球選手やアスリートだけが特別じゃなくて、社会で仕事をしている人、みんな同じじゃないかなと思います。現役の頃、ベイスターズの平田真吾さんに言われたことがあるんです。「テラ、俺ら今は野球のプロでいられるけど、クビになって社会に放り出されたら、何も持っていないただの人だろ。よほど頑張らないと、ほかの仕事でプロとして戦っている人たちに勝てないんじゃないか」って。僕の場合はまだ"受験"という、プロの世界との戦いじゃなかったですからね。社会の一線でプロとしてやられている方なら、受験勉強ぐらい容易いと思いますよ。

石川 いや、でも6年勉強しても入れないという人が普通にいる世界で、1年半で医学部合格はバケモノだと思いますよ。プロを経験した寺田さんは、どういうことが受験に役に立ったと思いますか。

寺田 うーん。短期・中期・長期と目標を立てて、自分を客観視しながら、任務を遂行する能力とかでしょうか。あとは引退後に『寺田、医学部受験』というニュースが出てしまったので、独立リーグの時と同じで、ここで結果を出さなければただの恥さらしだというモチベーションはありましたね。

石川 いまは医学部に通われていますけど、将来的にはやはりスポーツドクターのほうへ進もうとお考えなのですか?

寺田 まだ決まってはいないですけど、そうですね。興味があるのは内科と整形外科です。ただ、父が地元で開業医をやっていますからね。これという垣根はあんまり作らず、総合病院みたいな形でやっていくんじゃないかと思います。

石川 なるほど。では10年後にはマンガの中の野並のように、寺田さんがスポーツ整形外科医としてアスリートの悩みを解決されているかもしれないですね。

寺田 患者の心に寄り添えて、技術もちゃんと持っている、野並社のような医者になれたら理想ですね。これからたくさん勉強して、そうなれるように頑張ります。

おわり