『This is My Dance ~ 私の青春』(2)
伊原六花インタビュー@前編

 リズミカルに鳴るシャッター音に合わせ、彼女は踊るようにポーズを変えていく。

「最近は特に、撮影がすごく楽しくて。

前まではちゃんと映らなきゃとか、ポーズしなきゃと思っていたんです。でも、衣装やメイクですごく素敵にしてもらえるし、カメラマンさんにも素敵に撮っていただけるし。自然にやればいいのかなって、最近は思えています」

 伊原六花、22歳。

『センチュリー21』のイメージキャラクターに抜擢され、数々のテレビドラマや舞台『ロミオ&ジュリエット』のジュリエット役で活躍する彼女は、いささかの不遜を承知で言うなら、つい4年前まで"普通の高校生"だった。

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高校時代を振り返ってくれた伊原六花さん

 大阪府立登美丘(とみおか)高校ダンス部のキャプテンとして、全国大会での優勝を目指していた18歳の夏。結果的には準優勝に終わったが、YouTubeにあげたダンス動画が「バズった」ことにより、彼女は一躍、時の人となった。

 深紅やエメラルドグリーンのド派手なジャケットに、ひざ上のタイトスカート。80年代ファッションに身を包んだ女子高生たちが荻野目洋子のヒット曲『ダンシング・ヒーロー』に合わせキレッキレに踊る、あの"バブリーダンス"だ。

 振り付けこそ当時の流行りをパロディ化したコミカルな内容ながら、ダンスそのものは一糸乱れぬ驚異の練度を誇る。そのコントラストが浮き彫りにする少女たちの努力や情熱が、見る者の心を強く打った。

 なかでもダンス部のキャプテンは、メディアにも多く露出し、愛くるしい笑顔と明瞭な受け答えで注目を集める。いつの間にかお茶の間の人気者となったいち女子高生は、高校卒業と同時に"伊原六花"として芸能界へと飛び込んだ。

「はじめはそれこそ、びっくりでした。でも、あの時は『ダメでも飛び乗れー!』という感じだったんです」

伊原六花の人生を変えた高校入学の分岐点。ダンスのために選んだ道に「奇跡」があった
 勇気を振りしぼり飛び乗った、夢に向かって走る列車。その結果至った現在地を、彼女は「好きなことの延長線上」だと規定した。

 本人の資質とソーシャルメディアによって編まれた、まさに令和のシンデレラストーリー。その物語の起点には、懐かしくも温かな夢の世界への憧れがあった。

「子どものころはそれこそ、人魚姫やピーターパンなどワクワクする物語が大好きでした」

 幼少期の思い出を語る時、彼女は当時に戻ったかのように無邪気な笑みをこぼす。

 初めてミュージカルを見た12歳の時は、「本のなかの世界を現実にできるなんて!」と驚き、一瞬で魅せられた。4歳からバレエを習っていた少女は、この日からミュージカルの世界へと足を踏み入れることになる。

 伊原がバレエを始めたのは、2歳年長の姉がきっかけだった。

「お姉ちゃんがやっていることは自分もできるもん! と思っていました」

 大好きな姉に追いつこうと背伸びしていた幼い日を想い、彼女は恥ずかしそうに笑った。

 ダンスの世界への入り口が姉なら、ミュージカルを知るきっかけは友だちの先輩が立つステージを見に行ったことである。ミュージカルの教室に通うようになって以来、彼女は大好きな絵本や小説の世界を、自らの身体で表現していった。

「子どものころは『青い鳥』が大好きでした。初めて演じたミュージカルだったということもあり、とても印象に残っています。

 そのあとだと『星の王子さま』が好きでした。それもミュージカルでやったんです。わたしが演じた役は、作家のサン=テグジュペリの投影だと言われる"僕"。ものすごく難しい作品ですが、作中の言葉が大好きなんです。

『大切なことは、目に見えない』とか。

 悲しいところもあって、でも本当に漠然としていますが、わたしはこの本に出会えてよかったなーと思ったんです。たまに読み直すと、年齢を重ねるごとに感じることが違ったり、こういう意味だったんだと気づいたり。読み終わったあとに余韻が残る物語が大好きです」

 周囲を楽しませるのが好きで、軟式テニスや水泳も習っていた活発な少女は、物語の世界を現実世界で創造する喜びを知るにつれ、ミュージカルに傾倒していく。

 決定的だったのが、劇団四季の元メンバーがワークショップのため、地元のミュージカル教室を訪れた時。

「ちょうどジャズダンスにハマっていた時期に、その方が舞台寄りのジャズを見せてくれたんです。

『これ好きだ。わたしがやりたいのはこれだ!』と思って、そこから、その方がいらっしゃる兵庫県のミュージカルクラブに通い始めました」

 放課後に1時間半ほどかけて、ひとりで西宮まで電車で通う日々は3年間近く続く。恵まれた環境で王道ミュージカルに触れた彼女は、バレエや声楽、シアタージャズなどの新たな要素を、スポンジが水を吸うように吸収していった。

 偶然の出会いを好奇心と情熱でつないだ運命の糸は、高校進学という人生の転換期でも、彼女を夢見る世界へと誘った。

 全国大会常連のダンス部を擁する登美丘高校だが、もとは伊原が住む地域の学区外だったという。その学区制度が緩和されたのが、中学2年生の時。突如として、運命の道が選択肢に飛び込んできた。

「もともとわたしは、違う高校への進学を考えていたんです。学区が違ったので登美丘高校のことはまったく知らなかったし、姉のいる高校などを考えていました。ところが進路相談している時に、担任の先生が『ダンスが盛んな高校があるけれど』と紹介してくれたのが登美丘高校だったんです。

 そこで調べてみたら、YouTubeにダンス部の動画が上がっていて、それを見たらヒップホップやロックではなくてミュージカルっぽいダンスだったので、『これだ!』と思ったんです。それから登美丘に入るために、必死に勉強しました」

 誰しも人生において、分岐点となる「if」の瞬間が存在する。

 もし......学区緩和のタイミングが数年遅く、登美丘高校に行くことがなければ、彼女の人生は違うものだっただろうか?

伊原六花の人生を変えた高校入学の分岐点。ダンスのために選んだ道に「奇跡」があった
 その問いに、令和のシンデレラガールは「ほんと、そうですね。奇跡だなと思います」と即答した。

「高校の時は、すごいいろんなことさせていただいているなーと思いながらも怒涛に過ぎていったので、その波に乗ってきた感じがありました。

 今はダンスを生かせるお仕事があったり、子どものころから大好きだったミュージカルやお芝居もさせていただいています。まさかできると思ってはいなかったんですが、自分が触れてきたものをお仕事にできていることに縁を感じたり。ずっと好きなものを、今、できているなという感覚があります」

 無垢な充実感を顔に灯して、彼女はまっすぐに言った。

 奇跡は身近なところに存在し、その奇跡の細流は出会いや本人の努力によって加速し、大海へと流れ込む。

 幼い日に『青い鳥』に心を揺さぶられた少女は、日常的に触れてきた「大好きなもの」のなかに、自らの夢といるべき場所を発見した。

(中編につづく)

Profile
伊原六花(いはら・りっか)
1999年6月2日生まれ、大阪府出身。
血液型:A型。身長:160cm。
音楽劇『海王星』(東京・PARCO劇場ほか大阪など)に出演中。
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