「正直、今回は練習から調子がよかったので、チャンスはあるかな......と思っていました」

 両ひざをコートにつき、両手を天に突き上げ、喜びを全身で表現した栄冠の瞬間から、約1時間後。西岡良仁は落ち着きはらった口調で、そう笑った。

 もちろん、うれしくないはずはない。ただ、彼の表情や言葉の端々からにじむのは、達成感と自信、そして静かな矜持だった。

西岡良仁「僕は限界だと思う線を越えられる」。ツアー2勝目、錦...の画像はこちら >>

韓国オープンで優勝し、世界ランキングをキャリアハイの41位に上げた西岡良仁

 9月26日から10月2日にかけて、韓国ソウル市で開催されたユジン韓国オープン。3年ぶりに東アジア地区で開催されたATPツアー大会で、西岡良仁は自身2度目のツアー優勝を果たした。

 日本人男子選手で、シングルスのツアータイトルを持つのは5名。ただそのうち、複数の優勝経験があるのは錦織圭のみ。

今回の優勝で、西岡はその系譜に名を連ねた。

 しかもその過程で、準々決勝では世界2位のキャスパー・ルード(ノルウェー)を、決勝では24位のデニス・シャポバロフ(カナダ)を撃破。試合内容や戦績を見ても、堂々たる戴冠である。

 身長170cmの西岡は、2メートル近い若手が次々と台頭してくる昨今の男子テニスの趨勢において、群を抜く小兵である。加えて、ややうがった見方をするなら、その身長にしても自己申告。彼とほぼ同じ背格好の兄・靖雄が168cmであることを思えば、170cmにしても、文字どおり背伸びをした数字かもしれない。

 テニスにおいて体格の差は、手足の長さに直結するリーチや、それに伴うパワーやサービススピード等に顕在化する。

 決勝で西岡が対戦したシャポバロフは身長185cm。長い腕を利したダイナミックなプレーで人気を博し、ランキング以上のポテンシャルを有する才能豊かな23歳だ。

 今回の西岡との対戦でも、シャポバロフは鍛え上げた左腕をちぎれんばかりに振り抜いて、強打を次々に打ち込んできた。

相手をイライラさせたプレー

 とりわけ、両者のフィジカルの差が顕著に表れたのが、「目に見える形」ならぬ「耳に聞こえる音」である。

 シャポバロフが腕を振るうたび、ボールが破裂せんばかりのインパクト音に、9000人を超える観客から「オオー!」とどよめきの声があがった。対して、フォアでボールを擦るように打つ西岡のインパクト音は、耳に心地よく響くが、衝撃という意味では劣る。

 だが、シャポバロフの強打に呼応し起きた感嘆の声は、試合が進むにつれ、徐々に向かう先が変わっていった。

 牛若丸よろしく快足を飛ばす西岡は、地面とボールの間にラケットを滑り込ませ、あらゆるショットを打ち返す。コートを縦横に駆ける脚と技で、相手に向けられていた称賛の声を、自身へと引き寄せていったのだ。

 第1セットを奪って迎えた第2セットでは、先にシャポバロフにブレークを許す。それでも「緊張したなかで、あのプレーを続けるのは難しいはず」と冷静に分析する西岡に焦りはない。相手のダブルフォルトでブレークチャンスを得ると、続くポイントでは深いロブで相手を押し下げ、すかさずネットへ駆け寄り心憎いドロップボレーをスルリと沈めた。

 もつれこんだタイブレークは、西岡がここまで打ってきた布石や伏線が、すべて回収されたかのような展開。マッチポイントでシャポバロフのフォアがラインを割ったのは、"策士"西岡を象徴するフィナーレ。最終スコアは、6−4、7−6だった。

 ネットを越えて西岡に歩み寄り、ハグで祝福するシャポバロフは、ツアー仲間の多くが認める好青年である。

「まずはヨシ、おめでとう」から始めた"準優勝者スピーチ"で、彼は人懐っこい笑顔を浮かべて続けた。

「君とプレーするのは、本当にイライラするんだ。

すっごくいやらしいプレーヤーだよ、君は」

 そのスピーチを受けて、西岡も輝く笑みで言う。

「イライラするって言ってもらえるのは、うれしいな。次に対戦する時も、そうしちゃうよ!」......と。

西岡が仕掛けた巧妙な罠

 グッドルーザーの憎まれ口は、西岡にとって最高の誉め言葉だ。

「シャポ(シャポバロフの愛称)は、自分のなかでも勝てるチャンスのある選手だと思っていたので、うれしいですね。どうしても取れないボールもあるけれど、ミスもある選手なので」

 試合後のインタビューで、西岡はあらためて言う。

 もちろん、その相手のミスを生んだのは、周到に張りめぐらされた西岡の策にして罠だ。

 この日の西岡の基本戦術が、相手のバックサイド狙いであることは明らかだった。通常ならフォア側に打ちたいところを、一本、もう一本と、バックへの攻撃を重ねた。

 得意のフォアハンドで叩きたいシャポバロフは、いらだちもするし、焦れてくる。その心理を見透かしたように、第2セットに入ると西岡は、フォアにもボールを散らし始めた。時には、シャポバロフが鮮やかなウィナーを奪うこともある。だがそれ以上に、攻め急ぎ、ミスが増えた。

 そうして相手がフォアの精度を高める前に、またバックにボールを集める。相手からすれば、最後は何をすればいいかわからなくなっただろう。

 このような西岡の知略は、彼がプロになった18歳の時から変わらぬ武器。ただ、今年に入ってふたりのトップ10プレーヤーを破り、ツアー決勝に2度進出した実績は、それだけで残せるものではない。

 飛躍の要因として大きいのは、ひとつは、フィジカルの強化とショットの質の向上だ。この半年ほどで上半身がさらにひと回り大きくなったのは、近くで見ると明確に感じることができる。

「今回の大会、僕、メチャメチャ打っていった実感があります」と彼は言う。

「ルード選手との試合もそうだし、昨日の準決勝もそうでした。今日の決勝はスピンを多く使いましたが、上の選手としっかり打ち合えたのは大きかったです」

 そのうえで、「今日は正直、ギリギリで打ち合っている感覚もあって」とも彼は言う。自分を過剰に大きく見せることなく、率直に実感と客観を照合する冷静さこそが、自信と実績の表れだとも感じられた。

「たしかに今の男子テニスは、どんどんパワー化している現状ではあります。ただ、パワーのある若い選手たちにミスがないかと言えば、そうではない。入ったら取れないショットというだけで、それは仕方ないと割りきっています」

若い日本人選手に足らないこと

 もっとも「割りきり」にしても、一朝一夕で得られたものではないはずだ。

 昨年終盤はパワーテニスに対抗すべく、異なるラケットを試し、ラケットに貼るストリングスも変え、攻撃的なプレースタイルを模索した。重ねた試行錯誤のなかで、変えられるものと変えられぬものを峻別し、精緻な均衡を取っているのが、今の彼だろう。

 小柄な身体で、一層の大型化・パワー化が進む世界の男子テニス界で勝てている要因とは、いったい何か?

 回答者に解の方向性も委ねたその問いに、彼は次のように実直な言葉を返した。

「そこは僕が、多くの人が限界だと思う線を越えられるからだと思います。それはふだんのトレーニングや練習でも、そして試合中にしても。何が必要かを考えて、とことん極める。そこが、今の日本の若い選手には足りないところかなと思います。

(2017年に)前十字じん帯を切りましたが、そこから戻ってくる時も、食事からトレーニング内容まで、とことん突き詰めてやってきた。その後、パンデミック前に(世界ランキング)49位まで行けたのは、そういう取り組みがあったからだと思います。

 人は、やりすぎてしまわないように自分にリミッターをかけますが、そこをいかに越えられるか。僕は、越えてやってきたと思います」

 今年7月のシティ・オープン(アメリカ・ワシントンDC/ATP500)で準優勝した時、彼は「何を変えたのか?」と問われるたびに、「正直、何も変えてませんよ」と繰り返してきた。

 たしかに、テニスという競技を分析する数式や、極める哲学は、何も変わっていないのだろう。ただ、その蓄積としての変化は、スタート地点と比べれば一目瞭然だ。

 西岡は4年前、前十字じん帯の再建手術から復帰し、涙の初優勝を飾った。今年はATP500という高いグレードの大会で、上位勢を破り決勝へと駆けあがった。ただそれらの結果より、今回の優勝のほうが「価値がある」と彼は断言する。

 それは勢いや運ではなく、「勝つチャンスがある」と感じたなかで掴み取った、歩んだ道の正しさと実力の証明だからだ。