■『今こそ女子プロレス!』vol.11

リアラ 前編

 5月5日、ガンバレ☆プロレス後楽園ホール大会。夜の世界を彷彿とさせるゴージャスなコスチュームを身にまとい、彼女はリングに現れた。

右手にはシャンパンを持ち、バッチリ巻かれたロングヘアーを軽くかき上げ、マスクを取ると、ニヤリと笑みを浮かべる。格闘技の聖地・後楽園ホールの中心で、彼女は今、生まれ変わろうとしている。夜の女王から、プロレスラーへ。彼女の名前は、リアラ。

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5月5日にYuuRI(左)相手にデビュー戦を行なった「キャバ嬢レスラー」リアラ(提供/ガンバレ☆プロレス)

 ゴングが鳴る。リアラは余裕の表情で、対戦相手のYuuRIにエルボーを食らわせる。
しかし、次の瞬間、YuuRIの強烈なエルボーを食らうと、大きくよろめいた。激しいエルボーの打ち合いが始まる。リアラの顔から一切の余裕が消える。髪を振り乱し、雄叫びを上げ、どうにかYuuRIに食らいつこうとする。テクニックもスタミナも、YuuRIには到底及ばない。しかし、リアラは諦めない。
勝つんだ! 絶対に勝つんだ! 勝たなきゃ、私の人生、始まらない――。そんな思いが伝わってくる。

 ドロップキック、ボディスラム、逆エビ固め......。今できることは限られている。ならば、できることを精一杯やろう。ヨロヨロになりながら、未完成な技を次々と繰り出す。
しかし、YuuRIの見事なミサイルキックを真正面から食らい、リアラはついに立ち上がることができなかった。彼女のデビュー戦は、わずか7分43秒で幕を閉じた。

 ガンバレ☆プロレス代表、大家健に似ていると思った。大声で泣き叫びながら、感情を剥き出しにして闘う。その泥臭さ、人間臭さに、感情移入せずにはいられない。

「ガンジョ(ガンプロの女子部門)の先輩たちに、『ガンジョの当たり屋だよね』って言われてます。
練習中にできないことがあると、『ウワァァ!』って大声を出して気合を入れるんです。ウワァァって言って、バーンってやる。できなくても、声でカバー、気持ちでカバー。そうすると、不思議とできてくるんですよ」

 ふだんは極度の人見知りで、内気な性格だという。そんな彼女はいかにして、伝説のキャバ嬢になり、そして今、"当たり屋"と呼ばれるプロレスラーになったのか。

***

 リアラは1989年、宮城県栗原市に生まれた。

家の周りは一面、田んぼで、隣の家まで200mも離れている田舎町。父は警察官、母は銀行員、祖父が学校長、親戚ほぼ全員が自衛隊員という厳格な家系だったが、長男と12コ、次男と10コ年齢が離れて生まれたリアラは、厳しくも愛情深く育てられた。

歌舞伎町の「伝説のキャバ嬢」のレスラー人生は飲みの席での叫びから始まった 丸藤正道に「プロレスラーになりてえ!」

自らの人生を振り返ったリアラ

 引っ込み思案で、小学校から高校まではほとんど友達ができず、いつもひとりで教室の隅にいた。習い事は習字とそろばん。部活は中学が吹奏楽部、高校は茶華道部。根っから運動が嫌いで、体育の授業はすべて仮病で休んだ。


 そんな彼女がプロレスと出会ったのは、小学校4年生の時。柔道経験者で格闘技好きの父と、12コ上の兄の影響で、テレビで『ワールドプロレスリング』を見たのがきっかけだ。瞬く間に夢中になり、『週刊プロレス』や『週刊ゴング』を読み漁った。大仁田厚の"大仁田劇場"に魅了され、初恋の相手は天山広吉。リアラは天山の顔が好きだったという。

 将来の夢はプロレスラー。TBS系のバラエティー番組『ガチンコ!』の「女子プロ学院」を見て、LLPWに履歴書を送った。

「普通の女の子たちが3カ月でプロレスデビューを目指すコーナーで、コーチは神取忍さんと風間ルミさん。最後、ひとりがデビューしたんですよ。最初はなにもできなくて、嗚咽していた人たちのなかからデビューしたのを見て、『夢って叶うんだ』と子どもながらに思いました」

 しかし、LLPWの応募資格は16歳。当時、10歳だったリアラは書類選考で落ちてしまう。

【仙台に引っ越した初日に金髪に】

 警察官の父は、絶対君主。母も逆らうことができず、なんでも「はい」としか言わない。リアラ曰く、"家にずっと警察がいる感じ"で、常に緊張感が漂っていたという。

 転勤でしばらく単身赴任していた父が、リアラが中学3年生の時、家に戻ってきた。思春期真っ只中で、オシャレしたい、化粧もしたい年頃。父と衝突した。父のことが大嫌いになった。高校生になってからも、門限は17時。1分でも遅れると怒鳴られ、正座させられて説教される。部活にもろくに行けず、授業が終わると帰って寝るだけの生活が続いた。

 大学へは行かなかった。親に「夢がないんだったら就職しなさい」と言われ、そのとおりにしたのだ。就職活動をしたら応募できるのがスーパーか工場しかなく、高校卒業後、地元のスーパーに就職した。門限は21時。仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰った。

 しかし、半年で限界がきた。なんとなく就職したため、仕事は面白くない。門限も厳しい。すべてから逃れたいと思い、会社を辞め、家を出ることにした。

「初めて自分の意志で人生を決めました。親に、『会社を辞めてひとり暮らししたいです』とお願いして。一応、部屋は借りてくれたので、家出まではしてないですけど」

 仙台に引っ越した初日に美容院へ行き、金髪にした。つけまつ毛をつけ、キャバ嬢のドレスを買い、求人広告で探した国分町のキャバクラの面接に行った。もちろん、親には内緒だ。

「その頃、『小悪魔ageha』という雑誌がめちゃくちゃ流行ってて、なりたい職業ランキング1位がキャバ嬢だったんですよ。稼げて、見た目も可愛くできる、みたいな。わたしは中学からずっと同じ髪型、同じ顔で生活してきて、その反動で『派手にしたい』という気持ちが溢れちゃった。自分を180度、変えたかったんですよね」

 18歳の終わり、国分町の小さな店からスタートし、22歳の時にNo.1になった。月収は100万円超え。No.1になるという目標が叶うと、次の目標が出てきた。「歌舞伎町でNo.1になりたい」――。その直後、東日本大震災が発生する。

「断水に、停電。仙台市はかなりやばかったです。でも震災を通して、価値観が変わったんですよ。温かいお風呂に入るとか、お湯が出ることって当たり前じゃない。1日1日、奇跡が起きていると思うようになった。当たり前のことなんてひとつもなくて、いつどうなるかわからない。だったら夢に向かって挑戦しようと思いました」

【丸藤に対して「プロレスラーになりてえ!」】

 震災の2カ月後に上京。歌舞伎町のキャバクラで働き始めた。しかし、仙台と歌舞伎町では客層が違う。田舎っぽく、性格も大人しいリアラは、歌舞伎町ではウケが悪かった。

「派手でイケイケのお兄さんたちにどうやったら好かれるのか考えた時、フルチェンジというか、お酒をとにかく飲みまくろうと思いました。もともと、お酒は弱かったんですけど、飲んでは吐いて、飲んでは吐いてを繰り返して、1年かけて克服したんです」

 酒を飲むとリアラは、「テンションが20倍」になるという。飲み始める前と、飲んだあとのギャップが面白がられた。歌舞伎町「蘭〇」では、1日最高29卓被り、バースデー月指名500組、3年連続シャンパンタワーを達成。その後に入店した「ルシアン」、「オレンジテラス」でも1カ月でNo.1になる。最高月収は300万円を超え、「伝説のキャバ嬢」と呼ばれるようになった。カリスマキャバ嬢・愛沢えみりのプロジェクトメンバーにも抜擢された。

「全国からキャバ嬢の女の子が会いに来てくれるようになりました。『私も東京に行きたい』『リアラさんが憧れです』って言われて。20歳くらいの子が自分のお金で来てくれて、嬉しかったですね」

 相変わらずプロレスが好きで、プロレスバーにも通った。キャバクラの客とアフターで行く店でプロレスラーにも遭遇した。レスラーたちが「プロレスラーは大変だけど楽しいよ」と話すのを聞いて、「自分も"そっち側"に行きたい」という気持ちが芽生えた。

 ある日、飲みの席でプロレスリング・ノアの丸藤正道と一緒になる機会があった。酔っ払ったリアラが「プロレスラーになりてえ!」と泣き叫ぶと、丸藤はすぐにサイバーファイトの高木三四郎社長にコンタクトを取ってくれた。

「あそこにいた9割の人が、鼻で笑ってたんですよね。『どうせ無理だよ』みたいなことも言われて。でも丸藤さんだけは応援してくれたんです。本当にかっこいい。恩人です」

 高木社長との面接で、リアラはありのままを話した。運動経験もなく、年齢も30歳を過ぎている。でもプロレスを好きな気持ちは負けない。すると高木社長は「君のこと知ってるよ」と言い、何ひとつ否定せずに「挑戦したほうがいい」と言ってくれた。ガンバレ☆プロレスのコーチを紹介され、リアラは念願の練習生となる。運動経験のないリアラにとって、茨の道が始まった。

(後編:デビュー前からやられっぱなし それでも、ウナギ・サヤカ戦も泥臭く闘って「爪痕を残す」>>)

【プロフィール】
●リアラ

1989年3月23日、宮城県栗原市生まれ。高校卒業後、地元のスーパーに就職するが、半年で退職。仙台市国分町のキャバクラに勤め始める。No.1を取った後、2011年に上京。歌舞伎町でもNo.1になり、1日最高29卓被り、バースデー月指名500組、3年連続シャンパンタワーを達成。「伝説のキャバ嬢」と呼ばれるようになるが、プロレスラーになる夢を諦めきれず、2022年6月、ガンバレ☆プロレスの練習生となる。2023年4月と5月、春日萌花とエキシビションマッチを行ない、5月5日、後楽園ホール大会でデビューした(対YuuRI)。155cm、49kg。Twitter:@puusan1580