ジョシュ・ホーキンソン(サンロッカーズ渋谷)インタビュー後編

◆ジョシュ・ホーキンソン前編>>「まだ途中だけどスラムダンクを観ている」

 今夏のFIBAワールドカップでの大活躍で、一気にその名を知られるようになったジョシュ・ホーキンソン。だが、それ以前はB2や地方都市のチームに在籍していたこともあり、バスケファンの間では「知る人ぞ知る実力者」といった存在だった。

 ホーキンソンが日本でプレーを始めたのは2017年。アメリカ・ワシントン州の大学を卒業してすぐのことだった。Bリーグに所属する海外出身選手はヨーロッパなどでプレーし、それなりの実績と経験を得てから日本に来る例が大半だ。

 そのなかで、若くして日本に来たホーキンソンがここまで成功できたのは、なぜなのか──。大学時代の話や来日直後の経験を聞くと、そのヒントが隠されていた。

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ジョシュ・ホーキンソンが日本で成功できた要因とは? 修士の学...の画像はこちら >>
── 地元のワシントン州立大へ進学したホーキンソン選手は、卒業後に日本のファイティングイーグルス名古屋(当時B2)に加入しました。
ヨーロッパなど同じ西洋文化の土地ではなく、日本のBリーグを選んだ理由はなんだったのですか?

NBAのチームからドラフトされるという目標が叶わず、そこから僕は代理人と今後どうすべきか、いろんな選択肢を探っていた。父はノルウェー、母はデンマークでプロ(バスケット選手)としてプレーしていたから、彼らは僕もヨーロッパに行くと思っていたようなんだ。

 そんな折、代理人から電話がかかってきて、複数のBリーグチームが参加するトライアウトがロサンゼルスであると聞かされた。そのトライアウトに参加したところ、名古屋のHC(ヘッドコーチ)とGM(ゼネラルマネジャー)が僕のプレーぶりを気に入ってくれて、それですぐにオファーをもらったんだ。

 両親や代理人も、僕がプロキャリアを始めるに日本はいい場所なのではないかと同意してくれた。それで晴れて、ファイティングイーグルスと契約することになったんだ」

── アメリカと日本の距離は気にならなかったですか?

「日本へ来たこともなければ、日本のバスケットボールについて何も知らなかった。

とはいえ、シアトルと日本は飛行機で9時間ほどしか離れていないし、アメリカにいる頃から両親のどちらかが日本人という知人が周りにいたから、日本文化をまったく知らないわけではなかった。

 イチロー選手の影響もあったしね(2001年~2012年、2018年~2019年にMLBシアトル・マリナーズに所属。ホーキンソンは高校まで野球もプレーしていてイチローの大ファン)。シアトル周辺に住んでいるとイチローさんのことを知らない人などいない。彼は英雄だったから」

── 高校時代はワシントン州立大以外の大学からも勧誘があったのですか?

「うん。ほとんどは西海岸の大学から。

僕の夢は西海岸で最も強くて大きい『パック12カンファレンス』(NCAAの5大主要リーグのひとつ)の大学でプレーすることだった。

 実は子どもの頃から、自分の母も通っていたワシントン大のファンだったんだ。毎夏ワシントン地域のトップ選手が呼ばれるエリートキャンプがワシントン大であって、僕もそこに参加していたし。実際、ワシントン大のコーチ陣の前でいつもいいプレーができていた。

 だから本当は、奨学金をもらってワシントン大へ行きたかった。だけど結局、奨学金のオファーはもらえなくてね。

だからワシントン州立大へ行って、ワシントン大との対戦時はいつも以上のモチベーションでプレーしていたよ(笑)」

── ワシントン州立大では3年間で学位を、そしてその後は大学院へ進んで修士も取得しています。プロアスリートで修士まで持っている例は、あまり聞いたことがありません。

「僕の両親はいつも勉強の大切さを僕に説いてくれたし、学校でバスケットボールをプレーするにしても、勉強こそがまずは第一なのだと言っていた。

 なぜなら、バスケットボールをいつまでもプレーしていられるわけではないし、ケガなどでいつ選手生命が終わるかわからないから。だから、バスケットボール選手を終えても生きていけるようにね。そのことは母からよく言われていたかな」

── 修士課程での専攻は「データ分析」だそうですね。

「そのとおり。卒業前のプロジェクトでは『ピッチトンネル』をテーマに、メジャーリーグのピッチングデータについて分析したんだ。ピッチャーの投球コースが一緒だったとしても、腕の角度を変えたらどうなるかといったことを、メジャーリーグからもデータをもらったりして取り組んでいた。

 僕はもちろんバスケットボールのことをよくわかっているし、ほかのスポーツでもデータ分析は盛んに行なわれているから、アスリートとしての知識と分析分野の知識をバランスよく持っていることはいいことだと思っている。仮にバスケットボール選手以外のキャリアを歩んでいたとしても、それが役に立つと感じていたしね」

── それらの知識を備えて日本にやってきましたが、当時を振り返ると?

「日本に来て2カ月くらいはホームシックで、アメリカから持ってきた荷物の荷ほどきもできなかった。その後、父が日本に来てくれたんだけど、僕の荷物はまだスーツケースの中で、自宅に閉じこもってゲームをしたりアメリカの友達と話したりと、ずっと部屋に引きこもっていた。

 それを見た父が『ジョシュ、これはよくない。もっと外に出て、新しいことに挑戦しながら、日本の文化を学ばなければいけない』と。その助言に従ってみたら、だんだんとつらい気持ちも和らいでいって、物事が好転し始めたんだ。

 名古屋では僕が『日本のお父さん』と呼べる人がふたりいて、彼らが日本での食生活や文化に慣れていくのを助けてくれた。それはとても幸運だったと感じているよ。名古屋に住むことは本当に好きだったし、そこで生涯の友人と呼べるような人たちと出会うこともできた」

── そして2020-2021シーズン、信州ブレイブウォリアーズに移籍しました。

「名古屋の生活はとても気に入っていたけど、トップディビジョンでプレーしたい気持ちが大きくなっていった。信州はちょうどB2で優勝してB1に上がったばかりだったし、来日してからの3年間で彼らとは何度も対戦し、チームもよく知っていたしね。

 そんな時に信州の勝久マイケルHCが電話をくれて、僕のプレーを気に入っているし、B1に上がるチームだから個人の成長の助けにもなるはずだと言ってくれた。僕もできるだけ高いレベルでのプレーを望んでいたし、B1でもやれる選手だと周りに見せたかった。

 実際、信州ではマイクHCから多くのことを学んだよ。彼はすばらしいディフェンスの指導者。また、アンソニー・マクヘンリー(現・琉球ゴールデンキングス・アシスタントコーチ)やウェイン・マーシャル(C)といったメンターがいるチームで日々、細かいところまで学ぶことができたのも有益だった。信州で僕は、プレーの幅を広げることができたと思う。

※ポジションの略称=PG(ポイントガード)、SG(シューティングガード)、SF(スモールフォワード)、PF(パワーフォワード)、C(センター)。

 そして、信州という土地も好きだった(ブレイブウォリアーズのホームタウンは長野県長野市および千曲市)。信州は地方都市のコミュニティ的な側面があるけど、それはどこか出身地のワシントン州に似ているところがあるんだ」

── そして今季、ホーキンソン選手はサンロッカーズ渋谷に移籍してきました。名古屋も大きな街ですが、東京はさらに大きな都市ですし、さらに優勝に近いチームでもあります。

「先ほども言ったとおり、僕は『自身が到達しうる最高の選手になりたい』という気持ちでプレーしてきた。ただ、日本の社会ではリスペクトを得ることがまず大事。NBAや海外の高いレベルでプレーしてきた実績でもないかぎり、B1に来ていきなり成功を収めることは難しい。

 だからこれまでは、そのリスペクトを得る必要があると思っていた。そして僕は、それを成し遂げるために少しずつステップアップを重ねてきた。その努力が実ったことは本当にうれしい。

 もし、22歳のルーキーの時にこの状況に置かれていたら、ベストなプレーはできていなかったはず。これまで経験を積み重ねてきて、徐々に成長をしてきたうえでこの場所にいられることは、とてもありがたく感じているよ」

── 今季のサンロッカーズはホーキンソン選手や田中大貴選手(SG/前・アルバルク東京)を補強し、アルバルク東京を2度のリーグ優勝に導いたルカ・パヴィチェヴィッチ氏をHCに据えました。しかし、開幕からケガ人の影響もあって苦戦が続いています。

「もう少しいい状況でスタートを切れたらよかったのだけど、僕らは前を向いている。ここから僕らのベストなバスケットボールを披露することができると思っているよ」

── シーズン後半戦でプレーオフ戦線に食い込むことも十分可能だと?

「そうだね。今年のサンロッカーズは新コーチを迎えているし、僕もワールドカップに出場したことで合流が遅れたので、チームが熟成されるのには時間がかかると思っていた。それにリーグでも最も身体能力の高い選手のひとりであるジェームズ・マイケル・マカドゥー(C/PF)も開幕からずっと欠いてしまっている。

 ルカHCはとても厳しく、細かい指示を行なうコーチだから、僕らのバスケットボールは一夜にしてできるようになるわけではない。開幕から2カ月ほどの時間があっても、まだまだ足りないんだ。だから僕らが望むレベルにたどり着くためには、日々努めていくしかない。

 今、僕らは苦戦を強いられてしまっているけど、開幕から強敵との対戦が続いたこともあったし、そのなかでいい勝負ができた試合も多かった。僕らが本領を発揮するのはここからだ」

<了>


【profile】
ジョシュ・ホーキンソン
1995年6月23日生まれ、アメリカ・ワシントン州シアトル出身。ワシントン州立大で中心選手として活躍し、卒業後にファイティングイーグルス名古屋に加入。その後、信州ブレイブウォリアーズを経て2023年からサンロッカーズ渋谷でプレーする。2023年2月に日本国籍を取得し、2月23日のイラン戦で代表デビュー。ワールドカップではインサイドの軸として欠かせぬ存在だった。ポジション=センター、パワーフォワード。身長208cm、体重106kg。