昨年、阪神移籍1年目でチーム最多の12勝を挙げ、18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶり日本一の原動力となった大竹耕太郎。ソフトバンク時代は5年間で10勝だった投手に、何が起きたのか。

覚醒の秘密を、かつてのチームメイトでもある五十嵐亮太氏に明かした。

阪神・大竹耕太郎「何をされたらバッターは嫌なのかがわかってき...の画像はこちら >>

【去年はキャンプ初日に照準】

五十嵐 阪神に移籍して2年目のキャンプを迎えました。去年とやることは変わらず、ですか?

大竹 調整的にはゆっくりというか、自分のペースでやれています。去年は移籍1年目で結果を出さないといけない立場でしたし、キャンプインの時点で100%の状態に......というテーマがあったのですが、今年は1年を通して投げることを目標にやっています。

五十嵐 去年と同じような感じだと、今年は持たないだろうと?

大竹 そうですね。去年は、初日のブルペンから「これは使える!」と思ってもらえるように、とにかくそこに照準を合わせていました。

五十嵐 去年はキャンプから飛ばして、順調に勝ち星を重ねて、シーズン終盤もしっかり投げていた。

そう考えると、よく持ったよね。しかも、これまでシーズンを通してやったことはなかったわけでしょ?

大竹 本当に1試合1試合、必死にやっていたので、先を計算してというのはなかったんですけど、やっぱり夏場はバテましたね。体が疲れてくると、練習を軽めにせざるを得なくなるし、調整も難しくなります。ただシーズンを通してやれたことで、そういうことがわかった。そこは収穫だったと思います。

五十嵐 大竹という投手はすごくクレバーで、いろいろ考えて投げるタイプだと思っているんだけど、次の登板が決まった時、相手チームについて研究したりしますか。

大竹 去年は移籍1年目でしたし、セ・リーグの打者のことをよくわかっていなかったので、特徴を知るという作業は積極的にやりました。対戦を重ねて慣れてくると、今はどんな状態なのか、どんなことを意識しているのかなどを把握するようにはしていました。ただ、あまりそういうことにとらわれるのは好きじゃないので、できるだけ試合のなかで感じることを大事にしていました。

五十嵐 もともとゲームプランを立てて投げる投手ですか。

大竹 思いどおりにいけばいいのですが、それができずに「今日はダメだ」となっていたのが2年前までです(笑)。去年はイレギュラーなことが起きても、柔軟に対応できたかなと。

なので、早い回で降板というのがなかったかなと思います。

甲子園は日によって風向きが違う】

五十嵐 パ・リーグからセ・リーグに来て、違いみたいなものを感じたことはありましたか。

大竹 パ・リーグよりも屋外の球場が多いので、そこは適応していかなきゃいけないんですけど、慣れるまでは難しかったですね。

五十嵐 屋外の球場だと風の影響を受けやすいとか?

大竹 はい。とくに甲子園は日によって風向きが全然違うんです。基本はライトへの打球はあまり伸びず、レフトに伸びるのですが、たまにセンターにものすごく伸びる日があるんです。風に対して、敏感になりましたね。

五十嵐 風向きによって配球とか、攻めるコースを変えていくわけでしょ?

大竹 そうですね。変えますし、バッターもそれをわかったうえで狙い球を絞ってくるので、逆にそこを利用して投げていくこともありました。たとえばレフトに打球が伸びる日は、右打者に対してアウトコースが基本的な攻めになるのですが、バッターも外に張っていると思うので、あえてインコースを突くということはありました。

五十嵐 コントロールがいいからこそ、そういう攻めができると思うんだけど、インコースに投げられるというのは強みだよね。

大竹 インコースに投げないと抑えられないというのは、いろいろ経験してわかりました。

五十嵐 インコースを突くタイミングも大事になってくると思うんだけど、そこはキャッチャーと相談しながら投げるという感じですか?

大竹 去年は坂本(誠志郎)さんと全試合組ませてもらったんですけど、基本は僕に合わせてもらっていました。

坂本さんの場合、どうやって攻めるのかを聞いてきてくれるんですが、まず「どうしたい?」から入るんです。そこで自分の考えていることを言ったら、「それでいこう」と。

五十嵐 意思の疎通がしっかりできているんだ。

大竹 坂本さんの存在は大きかったですね。

【現役ドラフトでの移籍は悔しかった】

五十嵐 一昨年の12月に現役ドラフトでソフトバンクから阪神への移籍が決まって、正直どんな気持ちでしたか。

大竹 チームを出るということは必要とされていなかったことなので、悔しさはありましたけど、「新しいチームでやってやろう」とすぐに切り替えることができました。

五十嵐 実際、阪神というチームに入って、ギャップはありましたか。

大竹 チームカラーは似ているのかなと思いました。阪神は"昭和チック"なイメージがあったんですけど、まったくそういうのはなく、のびのびできるという点でソフトバンクと同じかなと。

五十嵐 大竹が阪神に入るタイミングで、監督が岡田(彰布)さんに変わったことも大きかったと思うんだよね。フラットな目で選手を見てくれたんじゃないかと。岡田監督と話すことはあるんですか。

大竹 話したことはほぼないんですけど、気にかけてくれているなというのは実感としてありました。試合後のインタビューや新聞に載っているコメントを見て、どう見られているのか、どういう選手を求めているのかといったことはチェックしていました。

五十嵐 岡田監督が求めていることに対して、その期待に応えようという意識は強かったですか。

大竹 それはありました。ピッチャーに対するコメントに「低めに投げることができていた」とか、「フォアボールが少なかった」とか、そういうのが結構あったので、そこを意識した部分はありました。

五十嵐 たしかに、阪神の投手陣はフォアボールが少ないというか、しっかりストライクゾーンで勝負できるピッチャーが多い。そこは強みだと思うし、みんな意識しているところですか。

大竹 そうですね。フォアボールを出すぐらいなら、打たれたほうがマシだと。

【セ・リーグだから気づけたこと】

五十嵐 大竹といえば、大学時代に"緩急"について論文を書いたという話をしたことを覚えているんだけど、その時と今では、緩急に対する認識が違っていたりしますか。

大竹 緩急というと、一般的には球の速い、遅いを思い浮かべると思うんですけど、僕のなかではそれ以外の部分もいっぱいあるんです。たとえば、フォームのなかで緩急をつけたり、投げるタイミングを変えるのも緩急だと思っています。

五十嵐 それは去年から?

大竹 そうですね。もともと得意ではあったんですけど、立場的にそこまでできる余裕がなかったというのが実感です。

五十嵐 なかなか抜くという作業は勇気がいるというか、難しいよね。フォームの緩急というのは、足を上げるタイミングを変えるとか?

大竹 それもありますし、並進運動の早さを変えるというのもあります。

五十嵐 ちなみに、投げながらバッターの動きって見えるタイプですか?

大竹 調子がいい時は見えますね。

五十嵐 そうなんだ。オレは全然わからなかったけど。この前、マエケン(前田健太)と話す機会があって、彼はスライダーだけでもいろんな種類があると。握りは同じなんだけど、腕の振りやフォームの変化だけで球速を変えられるそうなんだけど、そういうことはできますか。

大竹 チェンジアップは腕の振りでスピードを変えることができます。今までは、同じフォームで投げて、同じ変化をすることがいいと思っていたのですが、去年あたりからこだわりはなくなりました。

五十嵐 こだわりがなくなった理由はなんだったのですか。

大竹 打者として打席に入った時に、曲がり方やスピードが一定でない投手のほうが打ちづらかったんです。その時に「別に同じじゃなくていいんだ」と思って、それから気にしなくなりましたね。

五十嵐 打者目線でそこに気づけたというのは、セ・リーグならではだよね。パ・リーグだったら絶対に気づかない。

大竹 一線級の投手と対戦できるので、ものすごく勉強になりました。それまでは自分が気持ちよく投げることがメインになっていたのですが、セ・リーグに来て、打席に立って、何をされたらバッターは嫌なのかということがわかってきました。

五十嵐 阪神に来たことでいろんな発見があって、成績も上がって、年俸も一気にアップした。すばらしいシーズンになりましたが、今年はどういった1年にしたいですか。

大竹 昨年の経験を踏まえて、よりいい成績というか、キャリアハイを目指したいと思います。そのなかでもイニング数にこだわっていきたいですね。

五十嵐 具体的な数字はありますか。

大竹 自分のイメージでは、去年よりも1試合あたり1イニング増やしたい。そうなると20イニングくらい増えるので、トータルで150イニングに達します。そこを目指したいと思っています。

五十嵐 とにかくケガだけはしないように、今年も楽しみにしています。

大竹 ありがとうございます。


大竹耕太郎(おおたけ・こうたろう)/1995年6月29日、熊本県生まれ。済々黌高から早稲田大に進み、17年育成ドラフト4位でソフトバンクに入団。1年目の18年にウエスタン・リーグで8勝を挙げ、7月29日に支配下登録。その年の日本シリーズでも登板を果たした。19年は開幕ローテーション入りを果たし、5勝をマーク。20年からは登板数を減らし、21年、22年は勝ち星なしに終わる。22年オフに現役ドラフトにより阪神に移籍。23年はチームトップの12勝を挙げ、18年ぶりのリーグ制覇、38年ぶりの日本一に貢献した。

五十嵐亮太(いがらし・りょうた)/1979年5月28日、北海道生まれ。千葉・敬愛学園から97年ドラフト2位でヤクルトに入団。プロ2年目の99年にリリーフとして頭角を現し、一軍に定着。04年はクローザーとして37セーブを挙げ、最優秀救援投手賞のタイトルを獲得。09年オフにメジャー挑戦を表明し、メッツと契約。12年はブルージェイズ、ヤンキースでプレーし、13年にソフトバンクと契約し日本球界復帰。18年オフに戦力外となるも、ヤクルトと契約。19年は45試合に登板したが、20年10月に現役引退を表明。現在は解説者として活躍している。