Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

浦和レッズ サミュエル・グスタフソン インタビュー 前編

 Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。

日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか?

 今回は浦和レッズのMFサミュエル・グスタフソンをインタビュー。まずはJリーグに来た経緯や、日本という国の印象を語ってもらった。

中編「グスタフソンが語るJリーグと欧州サッカーの比較」>>
後編「グスタフソンがファンタスティックと語るJリーグのサポーター」>>(5月17日掲載)

【僕の人生で大きなイベントがいくつも起きた】

 現在30歳の元スウェーデン代表は、饒舌なナイスガイだ。

 質問をひとつ投げかけると、きちんと考えたうえで、自分の言葉で返答する。抑揚のあるトーンとリズミカルな口調で語られる彼のポジティブな言説は、最初の問いかけの回答から知れた。このシリーズで真っ先に訊くことと言えば、「日本への移籍を決意した理由」だ。

浦和レッズのグスタフソンがJリーグを選んだ理由「完全に違う世...の画像はこちら >>
「それを話すには、何年か遡らなければいけないね」と、2024年1月に母国のハッケンから浦和に移ったセントラルMFは切り出した。

「イタリア(トリノ、ペルージャ、ヴェローナ、クレモネーゼ)で5年プレーした後、ハッケンに戻ったのが2021年7月。そこは僕がユースからプロになったクラブだ。以降の2年半の間、国内のリーグとカップを制し、チャンピオンズリーグの予選やヨーロッパリーグでプレーするなど、古巣で成功を味わった。主将として、チームの成長を感じることができたし、とてもハッピーだった。

 ただ自分も30代を目前にし、これまでとは異なる冒険に乗り出してみたい気持ちも芽生えていたんだ。そんな頃に浦和が僕に興味を示してくれた。

すごく嬉しかったよ。日本は僕が生まれ育ったスウェーデンや、複数のクラブでプレーしたイタリアとは完全に違う世界だから、すぐにでも行ってみたいと思った。

 加えて、浦和はその少し前に(ペア=マティアス・)ヘグモ監督を招聘していたよね。彼と僕はヘッケンで2年間、共に仕事をした間柄だ。でも、彼が僕を一緒に浦和に連れて行ったのかと言われると、そうとも言えない。実際、もし彼が浦和の監督に就任していなくても、僕はここを選んでいたと思う。いずれにせよ、自分には断る要素がほとんどなかった」

 ちょうどその頃、グスタフソンは第一子を授かったところだった。しかし彼が日本へ発つ時、新生児は生まれてまだ3日しか経っていなかったので、一緒に来日することは叶わなかったという。

「自分にとって最初の子と、生後3日で離れ離れになるなんて、人間として不自然だよね。もちろん、それは辛かったよ。あなたに最初の質問をされて、あの頃を振り返りながら話していると、色々なことを思い出した。初めてのアジア、初めての日本、初めての子ども......、僕の人生で大きなイベントがいくつも起きた頃だったね」

【日本人はとてもフレンドリーでよく教育されている】

 元々、彼が持っていた日本の印象は、「欧州の人々が考えるような日本」だったという。電車が時間どおりに発着するような完璧な公共交通システムがあり、人々は穏やかに調和し、物事は形式的にそつなく執り行なわれている。

そんなイメージを持っていた。

「でもね、日本で生活をして1年以上が経った今、そうした印象が変わったところもある」とグスタフソンは続ける。

「まず当たり前だけど、人間はそれぞれに異なるから、日本人はこうだ、と決めつけることはできないよね。それからここの社会で仕事をし、生活をしてわかったのは、人々は表面的にいいことを言ったとしても、必ずしも内面の気持ちと同じではない場合があるってこと。ただ総じて、日本人はとてもフレンドリーで、振る舞いや他者との交流に躾(しつけ)が感じられるよ。よく教育されているというのかな」

 偶然にも、インタビューの前にクラブの広報の方とフォトグラファーの3人で話している時に、北欧の選手は総じてよい教育を受けてきたのだろう、という話になった。これまでに当連載でキャスパー・ユンカー(デンマーク出身/名古屋グランパス)、アレクサンダー・ショルツ(デンマーク出身/アルワクラ)、マリウス・ホイブラーテン(ノルウェー出身/浦和)をインタビューしてきたが、彼らは一様にまっとうな英語で受け答えし、自らの考えをしっかり言葉にしていた。それはグスタフソンからも感じられたので、北欧の教育について訊いてみた。

「ははは! それはなんとも面白い偶然だね。確かに一般的かつ歴史的に、北欧の国々では教育や福祉の制度が整っていると思う。スウェーデンでは学校が無料だから、経済的な理由によって教育が受けられなくなるということはない。

 とはいえ、ここ20~30年でスウェーデンは大きく変わっているからね。

それに僕らがこうして英語を話しているのは、母国を離れて生活するうえで必要に迫られたから、という面も大きい。少なくとも自分の英語は、イタリアでの5年間と日本での1年で、毎日のように話すうちによくなっていったんだと思う」

【今は落ち着いて生活できている】

 ただし日本での最初の1年間は、順風満帆とは言えないものだった。妻と子どもと離れて来日し、この国の社会規範や気候に慣れるまでに時間を要し、新天地でのプレーに適応し始めた頃にケガを負い、復帰してからひと月ほどでヘグモ監督が解任された。また昨年は代表に呼ばれていたため、長距離移動にも悩まされたという。

「でも今は落ち着いて生活できている。それはピッチ上のパフォーマンスにも好影響を与えていると思う」

 実際、グスタフソンが中盤の底に定着している今季、浦和は上位を賑わせている。このインタビューをした時、チームはリーグ戦で4連勝を飾っていた。その好調の理由に関しても、彼は独自の見解を示した。

中編「グスタフソンが語るJリーグと欧州サッカーの比較」へつづく>>

サミュエル・グスタフソン 
Samuel Gustafson/1995年1月11日生まれ。スウェーデン・メルンダル出身。2013年にヘッケンでキャリアをスタート。2016年にイタリアのトリノへ移籍。

その後ペルージャ、ヴェローナ、クレモネーゼとイタリアでは5年間プレーした。2021年にヘッケンへ戻り、リーグ優勝とカップ戦優勝に貢献。2024年から浦和レッズでプレーしている。2022年からスウェーデン代表でもプレー。

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