元ロッテ・岡田幸文インタビュー(中編)

 育成選手からはい上がり、鮮烈な守備と快足でファンの心をつかんだ岡田幸文。プロ2年目の日本シリーズで決勝打を放ち、「史上最大の下剋上」の立役者となった。

翌年には全試合出場とゴールデングラブ賞を手にするまでの歩みには、苦労人ならではの強い信念があった。

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【ロッテの育成選手初の一軍登録】

── プロ2年目の2010年は、西村徳文監督のもとで72試合に出場し、25安打を放ち、盗塁も15個を記録するなど頭角を現しました。

岡田 同じタイプの荻野貴司選手や早坂圭介選手がケガをした時に、一軍に呼んでもらいました。あれは2010年6月1日で、ロッテでは育成選手として初の一軍登録だったようです。
── 当時、「オーバーフェンス以外は全部捕るつもり」というコメントを残しています。守備に関しては、相当な自信を持っていたことがわかります。

岡田 「守備では絶対に負けない!」という信念がありました。もっともっとやらないと、「アイツ、口だけだな」と言われないようにという強い気持ちだったのです。

── 目標にしていた外野手は誰だったのですか?

岡田 奇しくも私が入団した2009年、ダイビングキャッチで脊髄を痛め、引退を余儀なくされた阪神の赤星憲広さんです。同じセンターを守っていましたし、あらかじめ打球方向を考える「ポジショニング」に基づいた守備で、球際に強いところですね。

── プロ初安打は、前年15勝のディッキー・ゴンザレス投手から、初盗塁は強肩の阿部慎之助捕手(いずれも巨人)から、2010年6月2日にマークしました。

岡田 その時点ではまだ安打も盗塁も1本ずつで、自信を持てる段階ではありませんでしたが、文字どおりプロでの第一歩を踏み出せたというところでしょうか。

【日本一を決めた決勝の三塁打】

── その2010年は、チームはシーズン3位からCS(クライマックス・シリーズ)を勝ち上がり、「史上最大の下剋上」を成し遂げた日本シリーズで中日と対戦しました。

岡田さんは第2戦から全試合に先発出場を果たしています。

岡田 日本一を決めた第7戦の延長12回に、浅尾拓也投手から決勝タイムリーの三塁打を打ちました。これはプロ10年間のなかでも最も印象深い一打で、とてもうれしかったですね。貴重な経験をさせてもらい、「来年はもっと頑張ろう!」というモチベーションになりました。

── その言葉どおり、翌2011年はレギュラーを奪取。打順は1番か2番で、育成選手として初めて全144試合に出場し、154安打を放って打率.267。さらに41盗塁もマークしました。

岡田 前年まで外野守備走塁コーチだった諸積兼司さんのアドバイスもあって、「1番打者としてヒットでも四球でも1試合2出塁以上、かつ1盗塁」をテーマに掲げていました。2011年は本多雄一選手(ソフトバンク)が60盗塁で盗塁王、2位が聖澤諒選手(楽天)の52盗塁でしたから。その2人は意識していました。

── 最近のセ・パ両リーグの盗塁王争いが30個前後で決着することが多い状況について、どう思いますか?

岡田 正直、最近は走りづらくなっています。投手のクイックや捕手の二塁送球のレベルが格段に上がり、なかなかスタートを切れないのが実情だと思います。

当時と比較して、バッテリーの技術は相当に高くなっています。

── ちなみに、岡田さんが走りづらかった投手や捕手は誰だったのですか?

岡田 そのあたりは特に意識していませんでした。チームからは、いつでも走っていいという「グリーンライト」をもらっていました。だから逆に、盗塁しないとベンチから「何してるの?」というプレッシャーを感じることはありました。

── 2011年にはパ・リーグの外野手としてシーズン連続守備機会無失策359のNPB記録を樹立し、ゴールデングラブ賞を獲得。翌年も受賞するなど、「守備では絶対に負けない」という岡田さんの面目躍如です。

岡田 現役中、プレー中は無失策記録がどうのこうのとは考えません。とにかく飛んできた打球を捕ってアウトにしようと。それだけでしたね。

── それにしても「エリア66」は、イチローさんの「エリア51」にちなんだものですね。「残念、そこには岡田がいる」と、ロッテファンから表現されたことについてはいかがでしたか。

岡田 「エリア◯◯」というのは、もともと軍事的な防御面から派生した用語のようですし、熱烈なロッテファンからそのように表現していただいたのは本当にありがたいことでした。

あの大声援は大きな力になりましたね。

つづく>>


岡田幸文(おかだ・よしふみ)/1984年7月6日生まれ。栃木県出身。作新学院から日本大に進むも、左ヒジのケガにより中退。その後、全足利クラブでプレーし、2008年育成ドラフト6位でロッテに入団。10年に球団初の育成出身での一軍登録を果たすと、11年は全試合に出場しゴールデングラブ賞を獲得。プロ初打席から1773打席連続本塁打なしの新記録を打ち立てるも、圧倒的な守備力と走塁でチームに貢献した。18年限りで現役を引退し、その後はBCリーグ栃木のコーチ、21年から4年間は楽天のコーチを務めた

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