大坪梓恩(しおん)の名前は、噂には聞いていた。

 日本海リーグ・石川ミリオンスターズに身長190センチ、体重108キロのロマンあふれる大型スラッガーがいる。

一部のマニア筋から、そんな怪情報がもたらされていた。

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【独立リーガーのレベルを超越したスケール感】

 8月19日、日本海リーグ選抜と日本ハムファームの交流試合が鎌ヶ谷スタジアムで行なわれた。試合前、日本海リーグ選抜の大坪の打撃練習を目の当たりにして、思わず息をのんだ。

 大坪の打球は、まるでひとりだけ違うボールを打っているようだった。

 右打席に入った大男がボールをとらえた刹那、打球は外野後方まで瞬間移動する。左翼スタンドに放り込むのは当たり前。バックスクリーンにも、右方向にもサク越え弾が次々と運ばれる。

 スイング軌道はやや遠回りぎみに感じられたものの、そのスケール感は独立リーガーのレベルを超越していた。いくら打撃練習とはいえ、NPBでもこれほど飛ばせる日本人打者はそういないだろう。

 灼熱のバックネット裏に集まったNPBスカウト陣も、大坪の打球を食い入るように見つめていた。大坪はのちに、こんな思いを語っている。

「バッティング練習での打球は自分のアピールポイントなので、力強く打つことを意識しました。日本ハムさんとの試合だったので、思いきり振れたのかなと思います」

 2004年2月2日生まれの21歳。

石川ミリオンスターズに所属して2年目の今季(9月3日現在)は36試合に出場し、打率.306、8本塁打(リーグ1位タイ)、32打点、9盗塁を記録。一方、37三振はリーグワーストである。

 打撃だけでなく、強力なエンジンを生かしたスローイングも武器だ。昨年まではDH中心だったため、「試合の最後までドキドキです」と本人が明かすように、外野守備には不安も残る。それでも、かつてはこの巨体にして、俊足を売りにしていたという。

「高校1年時は身長が185センチで体重が83キロくらいでした。その頃は50メートル走のタイムが5秒9で、足を生かすタイプだったんです。今は体重も増えたので、タイムは6秒2~3くらいです」

【最速162キロ右腕との対戦】

 日本ハム戦は「5番・右翼」でフル出場。3打席目には日本ハムの先発右腕・中山晶量(てるかず)の142キロのストレートをとらえ、右前へ安打を放った。

 そして、大坪の真価が問われたのは、ここからだった。4打席目には、日本ハムの速球派右腕・清宮虎多朗の投じた150キロの快速球の前に、中途半端なスイングで一飛に倒れる。大坪は「ホップするタイプの球だと思ったので、(バットを)かぶせにいこうとしたらタイミングが早すぎた」と振り返る。バックネット裏で見守ったスカウトからすると、たとえ凡打になろうとも大坪のフルスイングが見たかったはずだ。

 最終回に回ってきた大坪の5打席目。マウンドで対峙したのは、アニュラス・ザバラ。昨年6月には最速162キロをマークしている、剛速球投手である。

 ザバラは大坪に対して、150キロ台中盤のスピードを連発。大坪はバットに当てることができないまま、カウントは2ボール2ストライクになった。

 そしてザバラが投じた5球目。指にかかりきらなかったシュート質の157キロが、大坪の手元に食い込んだ。

「ゴツッ」と硬質な音が球場に響いた後、球審が両腕を横に広げた。大坪の手ではなく、バットに当たったとするファウル判定だった。

 ところが、のちに大坪に確認すると、じつはバットより先に手に当たっていたという。なぜ、デッドボールだとアピールしなかったのか。そう聞くと、大坪は答えた。

「どうしても打ちたかったんです。アドレナリンが出ていたから、とりあえずバットは振れるなって」

 大坪にとって、この1打席は千載一遇のチャンスだった。ただNPBスカウトにアピールするだけでなく、これほどのスピードを体感できる機会など、めったにないのだ。

 最終的にカウント3ボール2ストライクから、ザバラは156キロを外角へと投げ込む。大坪は狙いすましたようにスイングしたが、バットは空を切った。結果は三振だったものの、大坪らしい豪快なフルスイング。大坪の表情は晴れやかだった。

「今まで対戦したなかで一番速いピッチャーでした。インコースにズバッと来た後だったので、最後はアウトコースに来ると思って振り切りました。打てなかったのは悔しいですけど、こんなピッチャーと対戦できて幸せでした」

野球が面白くなかったと退学】

 これほどの大器が、これまでまったく無名だったのはなぜか。それは大坪の異質な球歴に答えがある。千葉の新興勢力である千葉学芸高校に進学した大坪は、1年秋にドロップアウトしていた。

「決断は自分でしました。

当時は野球があまり好きではなくて......。野球をやっていて、面白くなかったんです。高校をやめて、野球から離れようと思いました」

 千葉学芸の同期生には、有薗直輝(日本ハム)がいた。有薗は佐倉シニア時代から注目選手で、最終的に高校通算70本塁打をマークする。だが、高校1年秋までは、大坪も有薗と同じくらいの本塁打数を放っていた。有薗の名前が大きくなればなるほど、大坪のなかで「やめなきゃよかったのかな」という複雑な思いがふくらんだそうだ。

 その後は通信制の屋久島おおぞら高校に転校するが、1年以上も野球とは無縁の生活を送った。大坪は言う。

「高校2年の時は、『就職しようか』と思っていました。野球はまったく見ていません」

 転機が訪れたのは、高校3年の夏だった。大坪は再び野球の道に戻ってくる。その経緯を本人に語ってもらった。

「学校の先生に言われたんです。『何かほかにやることを探したほうがいいよ。せっかく体も大きいのだし、もったいないよ』って。そこで、社会人のクラブチームを紹介してもらって。『活動は土日だけだから、大丈夫じゃない?』ということで」

 紹介されたのは、ヌーベルベースボールクラブというチームだった。結果にとらわれず、ボールとたわむれるのは久しぶりだった。

「野球がすごく楽しかったんです。クラブチームなので、ガチガチに締めつけるチームじゃないし、みんなとてもいい人たちで。すごくやりやすくて、楽しくて。あぁ、自分に合ってるなと思いました」

 野球への熱は、どんどん高まっていった。秋には国内独立リーグ・BCリーグのトライアウトを受験。あえなく不合格になったが、その際にもある出会いがあった。

「翌年から岐阜にスポーツ専門学校ができると知ったんです。野球をしながら、スポーツトレーナーになる資格が取れると。面白そうだし、親元から離れて自立するいい機会かもしれないと思いました」

 その専門学校とは、日本プロスポーツ専門学校である。大坪は高校を卒業後、岐阜でひとり暮らしを始めた。フードデリバリー配達員のアルバイトをしながら、野球に勉強に打ち込んだ。

 日本プロスポーツ専門学校は国内独立リーグとの連携を深めており、独立リーグ球団と試合をする機会にも恵まれた。そこで大坪は潜在能力を認められ、石川ミリオンスターズに練習生として入団することになった。

 石川に入団後、大坪は1年間で木製バットを10本も折っている。大坪は「単純計算で20万くらいなので、悲しくなりますよね」と苦笑する。しかし、経済的な苦境とは裏腹に、精神的には充実していた。

「ミリオンスターズに来て、人生が変わりました。監督の岡﨑さん(太一/元・阪神)は選手一人ひとりに寄り添って、サポートしてくださるんです。選手もみんな仲がよくて、最高のチームに入れたと思っています」

 そして、大坪はしみじみとつぶやいた。

「今は本当に野球が楽しい。野球が好きになりましたね」

 昨季途中から、練習生だった大坪は選手契約を勝ち取った。試合中、大坪が当てにいくようなスイングを見せると、ベンチから厳しい声が飛ぶ。

「3回振って三振でもいいから、思いきり振れ!」

 声の主は岡﨑監督である。岡﨑監督は、大坪のポテンシャルを高く評価している。

「基本的に、選手の打ち方については言うつもりはありません。でも、大坪の魅力は広角に飛ばせるところ。バッティング練習とはいえ、あそこまで飛ばせる選手はなかなかいないですから。だから、小さくまとまってほしくないんです。いずれはひと振りで決めるタイプになるでしょうし、まずはしっかりと振るように伝えています」

【チームメイトのプロ入りに刺激】

 昨秋、大坪にとって新たな転機があった。チームメイトの川﨑俊哲が阪神から育成ドラフト4位指名を受けた。大勢の人々から祝福される川﨑を見て、大坪の心は強く揺さぶられた。

「NPBを目指してはいましたけど、漠然とした夢みたいな感覚だったんです。でも、川﨑さんが目の前で指名を受ける姿を見て、めっちゃいいなと思って。自分もみんなから認められる選手になりたい。そこから火がつきましたね」

 気がつけば、ひとり暮らし生活は4年目に突入している。自炊にもすっかり慣れ、得意料理はたらこスパゲティだという。

「お金は大変ですけど、絶対に耐えられます。家族も応援してくれていますから」

 目指す選手像は鈴木誠也カブス)。大坪は「逆方向に長打が打てて、肩も強いので」と、その理由を明かす。

 この日、かつてのチームメイトだった有薗は一軍帯同中のため、再会は果たせなかった。高校を退学したとはいえ、大坪は有薗に対して敬意を持って応援してきたという。

「高校時代から本当にコツコツと練習していました。NPBで有薗が苦労しているのを見て、やっぱり難しい世界なんだなと思い知りました。でも、有薗は焦らずに努力できるんですよね。4年間頑張って、プロ初ヒットを打って、本当にすごいと思います。有薗には『おめでとう』と伝えました」

 一度は分かれた道が、再び交差する可能性は十分にある。千葉、岐阜、石川と渡り歩いた大男は、新たな扉に手が届く位置にいる。だが、それもまた通過点に過ぎないのかもしれない。

 大坪梓恩、その潜在能力の底はまだまだ見えそうにない。

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