短期連載 プロ野球の「投高打低」を科学する 最終回
証言者:中垣征一郎(元オリックス巡回ヘッドコーチほか) 後編

前編:中垣征一郎が語る投手育成と球速アップの真実はこちら>>

 以前よりも合理的な体力トレーニングと技術練習によって、近年、プロ入り後に球速を上げる投手が増えている。球速の最大値を150キロ台に上げた投手が、リリーフで台頭するケースも増えた。

それが今の"投高打低"傾向につながった部分があると思われる。

 一方、投手は球速が上がれば上がるほど、故障のリスクが高まる可能性がある。ゆえに指導者は、選手が球速を上げようとしたときには、解決しきれない問題と並行して進んでいくものだ、と自覚しなければいけないのではないか──。

 トレーナー、コーチとして日米韓球界で25年あまり。長く選手に寄り添ってきた中垣征一郎はそう語る。では反対に、野手の打撃に関して、今の"打低"傾向は変わらないのだろうか。投手のようにレベルアップできないものなのか。2019年から2024年まで、オリックスで育成に携わった中垣に、打力向上に向けた取り組みを聞く。

【自身の動きに固執しなかった小谷野栄一】

「まず、体力トレーニングをしっかりやる。そのうえでタイミングを取りやすくするための動き、限られた距離のなかで、バットの先に正確に力を伝えやすくするための動きを実践する。あとはバットの先に自分の体の重さを乗せるようなイメージをつくり上げながら、歩きながら打ってみたり、スイングの幅を狭めて打ってみたり、間(ま)を変えたり、こちらから速い球を投げてみたり。

 そうやっていろんな練習を積んでいくと、その場で一瞬、ものすごくよくなる場合もあるけれども、ちょっと試合で違うことが起きると、すぐズレてしまうのがバッターなんですね。それでも、よくなった動きを定着させていける選手と、そうじゃない選手が出てくる。

この違いがなぜ生まれるのかは、本人の学習能力だけではおさまらない何かがあると思いながら見ていました」

 "本人の"という意味では、当然、打者にはそれぞれ自分のなじみの動きがある。いろいろな新しい練習方法で動きが改善されたとしても、なじみの動きから変えるのが簡単ではない場合も多いという。そういうなかで、中垣の記憶に残る例外的な選手として、日本ハム時代に指導した小谷野栄一(現・阪神打撃チーフコーチ)の名が挙がる。

「小谷野の場合、新しい方法でも恐れず、どんどん動きを変えられるんですよ。こちらから『それ、動きが多すぎるわ。そうじゃなくて、こうしてみよう』って言うと、実際にやってみる。それで『あっ、このままいってみよ。しばらくこれでいきますわ」って言って続ける。それで、その動きになじんで遊びまで出てきた時に、自分本来のリズムに戻して微調整するんですね」

 最終的に「自分本来のリズム」に戻すにしても、小谷野は恐れずに動きを変え、トライしていた。プロ5年目の2007年にレギュラーをつかむと、2010年には自身初の打率3割を残して打点王のタイトルを獲得。それだけの実績も、小谷野が自身のなじみの動きに固執しすぎなかったからではないか。

【プロ野球】打者のレベルも上がっているのになぜ"投高打低"?...の画像はこちら >>

【単打に徹した打撃で台頭した中島卓也

 そう考える中垣はもうひとり、日本ハムで成長を見守った選手の名を挙げる。

「"ファウル王"で有名になった中島卓也。

彼はバットとボールの接点が全然合わないところから、スイング幅をどこまで短くして、最後、手元に来てから振ってもどうやれば間に合うか、ぎりぎりヒットにできるか。ここから始めようという練習をずっとやっていて、ひとつの形になりました」

 遊撃のレギュラーに定着した2015年と2016年、中島は両リーグ最多のファウルを記録した。俊足巧打が光って2015年には盗塁王に輝いた背景には、長打を捨て、単打に徹する打撃への転換があった。選手に対して「あなたはこれを捨てなさい」という言い方はいっさいしなかった中垣だが、打撃については「捨てられるところがあるか否かを含めた取り組み」が必要だという。

「ふたりの例は今の投手たちとは球速がやや違う時期のもので、どこまで現在の打撃のパフォーマンスについて示唆するうえで参考になるかはわかりません。ただ、打撃というのは、試合で投手に対した時に何を出せるか、という点で、投球とはパフォーマンスの性質が大きく異なるといえます。

 何かを捨てないと......というのはもちろんピッチングにも言えますけど、ピッチャーは自分で動くので、自分さえうまくなればパフォーマンスは上がります。バッターはどんなに自分のなかでうまくなっても、相手ピッチャーも毎回変わって、試合のなかでそれをそのまま発揮できるとは限りません。

 しかも、まず二軍のピッチャーを打てるようになると、今度は一軍のピッチャーと対戦してまた新しいボールを見る。このなかでクリアしていくということが難しいわけで。相手ピッチャーがよくなればなるほど、バッターが大きなブレイクスルーを得ていくのが容易ではないのは、間違いないと思います」

 攻め手の投手に対して、打者は受け身。相手によって変化しなければいけない量は、当然、打者のほうが多くなる。

だからといって、投手のほうが簡単なわけではなく、投手は10回に1回の失敗が命取りになる。対して打者は、極論すれば、10回のうち7回失敗しても大成功となる。このように、パフォーマンスの性質がまったく違うもので勝負し合っている。

「ということは、ピッチャーのレベルが先に上がった時、バッターはそれを追いかけることでしか、本当の意味での実戦的技能を磨くチャンスがない。野球というスポーツを外から見た場合、その図式がまず大前提にあるわけです。なので、『なんでこんな投高打低になっちゃうの?』というようなことを考える前に、そういう図式が前提にあるんだと、頭に入れておかなきゃいけないのかな、と思います」

【バッターのレベルは上がっている】

 中垣の見解を受けて、かつてMLBで4割打者が消えた背景が想起される。すなわち、時代とともに投手全体の能力が上がり、4割を残せるだけのチャンスがなくなった。だが、それは打者のレベルが下がったためではない。時代とともに打者全体の能力も向上し、最高打率の打者と平均打率との差が縮まったため、4割打者が消えたといわれる。NPBで3割打者が消えそうな背景も、同様なのだろうか。

「スポーツとしての成熟度が上がれば上がるほど、バッターのほうが過去をスタンダードにしてしまった時、たぶん成績を上げるのは難しくなると思います。ただ、『2割8分を残せばものすごくいいバッターなんだ』っていう時代になってしまえば、競技がさらに成熟していった時に全体の打撃成績が上がる。もしかしたら、そういうことが起こるのかもしれないですね」

 往年のプロ野球では、エースがリリーフでも投げて勝てていた。

20勝どころか30勝、40勝もしていた。日本シリーズでエースが4連投して日本一になれた。じゃあ、当時のエースが今の時代に出現したとして、同じように登板できるかと言えば、まずあり得ない。それで勝てることも絶対に起こり得ない。打者のレベルは相当に上がっているのだ。

「バッターのレベルが下がっているかのような投高打低っていう言い方はもうやめて、競技の成熟とともに現時点での着地点がここにある。そういう見方のほうが自然なんじゃないかと思います。バッターのレベルは上がっているし、確実によくなっているはずですから。ただ、イチロー(元オリックスほか)みたいなヒットメーカーがいるかと言われたら、いないかもしれません。
 
 でも、たとえば、鈴木誠也カブス)や大谷翔平ドジャース)が25年前の日本にいたとしたら、松井秀喜(元巨人ほか)に負けない、もしくはそれ以上の成績をきっと出していると思うんですよね。そういうことを考えてみても、『バッターのレベルが落ちている』っていうことは絶対にないと思うので」

【野球は特殊性の高いスポーツ】

 "投高"はともかく、"打低"はやめにしたい。ただ、本塁打が少なくなり、点が入りにくい試合が多くなり、そんなプロ野球は果たしてどうなのか、という声は簡単に消えそうにない、

「野球というスポーツがファンにとって面白くあり続けるために投高打低を解消したいんだったら、ルールから変えなきゃいけないっていう話になるんじゃないですか?」

 いかにも、MLBでは"投高打低"の解消に向けてルール変更に踏み切り、2023年からピッチクロックを導入。

牽制の回数が制限された結果、盗塁数が倍増して得点力が上がった。

「そういうふうに、せっかくルールのなかで成熟させてきたものをファンが楽しんで......ということから外れてでも、変える価値があるのかどうか。日本でも変えるとなると、また大きな議論になる話だと思いますが、結論を出すのは容易ではないと思います。それだけ、特徴的なスポーツなんだと思います。ピッチャーとバッター、異なる競技で勝負しているようなもんですから。こういうスポーツはほかにないですし、そこが勝負の起点になっているわけですから、とても特殊性の高いスポーツ競技だなと思います」

 "投高打低"傾向の原因について、現場の声を聞きに行った結果、野球というスポーツの原点、本質までが浮かび上がってきた。投手と打者の勝負はこれからも続く。

「バッターがどういうふうに、レベルが上がったピッチャーを打っていくのか。それを見るのがこのスポーツの、野球の大きな醍醐味のひとつですよ」

(文中敬称略)

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