高木豊インタビュー 後編
(前編:高木豊は「CSは必要ない」と断言 アドバンテージの再考、新たな大会実施の検討を提案>>)
2027年からセ・リーグに指名打者(DH)制が導入されることが決まった一方で、来季からファームのイースタン・ウエスタン2リーグ制が、1リーグ3地区制に移行することが承認されるなど、球界ではさまざまな取り組みが進められている。
こうした流れのなか、高木豊氏はセ・リーグ、パ・リーグの2リーグ制を「3リーグ制にしてみては?」と提案する。
【3リーグ制ならどんな形式に?】
――(前編の)クライマックスシリーズのシステムに続いて、セ・リーグとパ・リーグの2リーグ制の改革案もあるとのことですが、聞かせていただけますか?
高木豊(以下:高木) 今すぐ、というわけではなく、将来的な話ですけどね。一部の球団しか集客力がなく、閑古鳥が鳴くような球場もあった昔と違い、今はどの球団もそれなりに集客力があるじゃないですか。それと、2027年からセ・リーグに指名打者(DH)制が導入されますよね。そういった状況を踏まえたうえで、これまでの2リーグ制を3リーグ制にしてみてもいいんじゃないのかなと。
セ・リーグとパ・リーグという従来の枠組みを取っ払って、仮にMLBのような東地区、中地区、西地区といった3つのリーグを作るとすると、東地区は日本ハム、楽天、ロッテ、および巨人かヤクルト。中地区は西武、DeNA、中日、および巨人かヤクルト。西地区はオリックス、阪神、広島、ソフトバンクといった感じで。
昔であれば「巨人や阪神が絡んだ試合じゃないと客が入らない」といった問題が発生したかもしれませんが、現在の各球団の集客力であればそういったこともないでしょう。
――ファームで承認された1リーグ3地区制と同じように、リーグを地区ごとに分けることでメリットがありそうですね。
高木 移動時間の短縮、それに伴うコスト削減、選手のコンディション維持の観点からも、地区ごとに分けて距離が近いチーム同士でリーグ戦を戦ったほうがいいと思うんです。ただ、これはあくまで一例で、エリアを取っ払ってしまってもいい。仮にA、B、Cという3つのリーグを作ったとして、毎年抽選でどのリーグに入るかをシャッフルして決めるという形でもいいんじゃないかと。
例えば、それでソフトバンク(福岡)と日本ハム(北海道)が同じリーグになると、移動距離は現在のパ・リーグ同様に大変になりますが、そういうことがあってもいいと思うんです。それと、毎年抽選をしてシャッフルすることで、勝つチャンスが生まれるチームが出てきますよね。逆に強豪チームばかりになってしまうとリーグ優勝のハードルが上がってしまいますが、翌年にまた抽選があるなら、顔ぶれも変わるわけですしね。
所属リーグを決める抽選の様子を、ドラフト会議みたいにネットや地上波で放映しても面白いですよね。やはり、プロ野球はエンターテインメントですから。
【MLBのワイルドカードのような制度もアリ?】
――ファンは毎年、「自分が応援する球団がどこのリーグに入るか?」という段階から楽しめることになりますね。
高木 そうです。ファンだけではありません。毎年試合をする場所が変わる可能性があると考えれば、選手も楽しみが増えるんじゃないですかね。札幌や博多などはグルメな街として野球選手たちの人気も高いですし、そのほかの地域も、それぞれの魅力がありますから。
――仮に3リーグ制となった場合、交流戦はどういう扱いになりますか?
高木 毎年シャッフルする形式だと、交流戦をやる新鮮味や面白味はなくなりますよね。なので、やらなくてもいいんじゃないですか。
あと、MLBのワイルドカードのように、勝率などで各リーグの1位以外にプレーオフ出場権を与えるチームを決め、計4チームで日本シリーズ出場権をかけた戦いを実施するのも面白いと思います。やっぱり人間は、新鮮さを好むもの。「(推しのチームは)今年はどこのリーグに入るか?」ということから始まって、シーズン終了後は今までと違った形のプレーオフが楽しめるのは、面白いんじゃないですかね。
――かなり今とは形式が変わることになりますね。
高木 これは僕個人のアイディアですし、実現させるのは難しいと思いますよ。1950年にスタートした2リーグ制が定着していますし、「3リーグ制にするならもう少し球団数が増えてから」という考えもわかります。ただ、プロ野球を取り巻く環境は国内外ともに大きな変化の時代を迎えていると思いますし、新しいものを模索していく議論も必要じゃないでしょうか。
【プロフィール】
高木豊(たかぎ・ゆたか)
1958年10月22日、山口県生まれ。1980年のドラフト3位で中央大学から横浜大洋ホエールズ(現・ 横浜DeNAベイスターズ)に入団。二塁手のスタメンを勝ち取り、加藤博一、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」として活躍。ベストナイン3回、盗塁王1回など、数々のタイトルを受賞した。