「彼の野球への意識は、プロの先発ローテクラスと遜色ないですよ」
1年前、Hondaの投手コーチを務めていた木村龍治さん(現・巨人スカウト)が語っていた言葉が、頭から離れない。木村さんは巨人で中継ぎ投手として活躍した元プロ投手であり、指導者としてもプロ・アマをまたにかけて実績がある。
【入社5年目の完全復活】
木村さんの言う「彼」とは、当時大卒4年目だった片山皓心(ひろみ)を指していた。練習が始まる前、入念にストレッチをする片山を遠目に見ながら、木村さんはこう語っている。
「ケガをして投げられない時期も、自分がやるべきことに向き合って淡々と練習していました。なかなかできることではないですよ」
この年、片山は2回にわたる左ヒジ手術からの復帰を果たしたばかりだった。ドラフト会議前には1球団から調査書が届いたが、結果的に指名は見送られている。
左ヒジを故障する前の片山は、プロ入りを有力視される存在だった。2021年の入社直後からHondaのエース格に君臨し、6月に開催された日本選手権ではパナソニック、日本生命から完投勝利を挙げるなど、ベスト4進出の原動力に。ところが、登板過多がたたったのか、片山は左ヒジ痛を発症して長期離脱を余儀なくされる。
復帰後のドラフトでも縁がつながれることはなく、片山は社会人球界で骨を埋めるものと思われた。
しかし、入社5年目となった今年。片山は完全復活を印象づけている。都市対抗東京二次予選では、JR東日本との第3代表決定戦で勝利投手になるなど、12回1/3を投げて16奪三振をマーク。とくに6月17日の鷺宮製作所戦では、ドラフト上位候補の左腕・竹丸和幸と投手戦を演じた。
ともに1失点で降板したものの、片山は6回途中で降板した竹丸よりも長い6回1/3を投げ、8奪三振をマーク。大田スタジアムのバックネット裏を埋めたプロスカウトの前で、高いパフォーマンスを見せている。
近年には故障明けの大卒5年目にドラフト2位指名を受けた、森田駿哉(Honda鈴鹿→巨人)の例もある。即戦力級の実力を持つ片山なら、森田に続く可能性は十分にある。
片山はよくこんな言葉を口にする。
「自分はスピードガンの数字では勝負していないので」
ストレートに自信がないという意味ではない。むしろ、片山の最大の武器と言っていいだろう。球速は140キロ台前半でも、ホームベース付近で球威が落ちない。Hondaの多幡雄一監督は、片山の魅力についてこう語る。
「フォームに柔軟性があって、左腕が遅れて出てくるなかで、強いストレートで詰まらせられます。打者からすると、わかっていても打てないボールでしょう。チェンジアップ、スライダーのコントロールもよくなって、狙い球を絞れなくなったはずです」
【ドラフトは縁なので...】
プロへのラストチャンスに懸ける──。そんな悲壮な覚悟で戦っているのか。
「正直言って、(プロへの思いは)そんなにないですね。去年もそうだったんですけど、ドラフトは縁なので......自分が意識することではないのかなと。今は自分のチームで投げてこそだと考えて、目の前の試合に集中するようにしています」
もし指名を受ければ、喜んでプロへと進む。Hondaの多幡監督も「片山の夢を応援したい」と背中を押す。しかし、ドラフトを意識するあまり、パフォーマンスが乱れては本末転倒だ。生半可な覚悟で試合に勝てるほど社会人が甘い世界ではないことを、片山はよく知っている。
9月25日、等々力球場での日本選手権関東最終予選・日立製作所戦の先発マウンドに片山は上がった。
立ち上がりから走者をためるシーンも多く、本人は「調子がよかったわけではない」と明かす。だが、許した安打はすべて単打。ストレートも変化球もコースを丹念に突き、スコアボードに0を重ねていった。
日立製作所の3番・中堅として出場した清水大海(ひろうみ)は、日立一高(茨城)時代の2学年後輩だった。
しかし、片山の内面に「後輩との対決」というウェットな感情はなかった。
「チームのミーティングでも『一番警戒するバッター』として大海の名前が挙がっていたので。後輩だからという理由で意識することはなかったです。最初から出塁されてしまって、相手が上手だったなと感じます」
しかし、3打席目以降は片山がやり返す番だった。3打席目は、左打者の清水の外角にクロスファイアーを突き刺し、見逃し三振。4打席目は、内角のストレートで詰まらせ、一塁フライに仕留めた。
試合はHondaが4対0で完封勝ち。片山が9イニング、128球を投げ切り、10奪三振をマーク。左ヒジ手術明けの初完封勝利で、コンディションの不安がないことを証明した。等々力球場のスタンドには、スカウト4人体制で片山の視察に訪れた球団もあった。
【おまえの伸びしろは半端ないんだ】
そして、バックネット裏には日立一高時代の恩師である、中山顕さん(現・那珂湊高)の姿もあった。
「都市対抗前に投球を見る機会があったのですが、今日よりもストレートがよかったです。でも、今日も要所でいいボールがきていますし、日立の強打線を相手にストレート中心で抑えているのはすごいですね」
片山は準優勝した高校2年時、背番号1をつけていた。だが、実質的なエース格は同学年の鈴木彩斗。つまり、片山は控え投手に甘んじていた。
当時の片山は、球速は常時120キロ台。コントロールはアバウトで、好不調の波が激しかった。それでも、肩周りの柔軟性は当時から際立っており、指にかかったボールは底知れぬ可能性を感じさせた。
中山さんが高校時代の片山に対して、こんな叱咤激励をするシーンを目撃したことがある。
「おまえの伸びしろは半端ないんだ。すごい力が眠っているんだよ。
今の片山の姿こそ、中山さんが求め続けた「花開く瞬間」に違いない。
一方、片山は今も中山さんと連絡を取り合い、時には耳の痛い指摘を受けることがあると明かした。
「野球の技術的なことより、投手としての所作の部分を言っていただきました。都市対抗予選でピンチの場面を抑えてベンチに帰ってきた時、ホッとした様子を中山先生に見抜かれて。先生はスタンドで見ていて、『ちっちゃいな』と感じたそうなんです。確かにそうだなと思って、それからはオープン戦でも喜怒哀楽を出さないように意識するようになりました」
日立製作所戦のラストバッターを空振り三振に仕留めた瞬間、片山は派手なガッツポーズを取ることもなく、淡々と整列に並んだ。片山は「次(日産自動車との関東最終予選・代表決定戦)もあるので(※7対1でHondaが勝利。片山は登板機会なし)」と表情を引き締める。その顔は、社会人の中心投手らしい自覚が滲んでいた。
プロに進むことがすべてではない。それでも......と思ってしまう。ストレートの球威、決め球になる変化球、長いイニングを投げられる体力、長いリハビリに耐えたメンタリティー、野球への真摯な取り組み。
ドラフト会議まで1カ月を切った段階で、すでに2球団が片山に調査書を求めている。結実の時を迎えつつある左腕を放っておく手はないのではないか。