高校卒業後に育成枠でいち早くプロ入りするか、あるいは大学4年間で成長してドラフト上位での入団を目指すか──。
秋のドラフト会議で当落線上の高校3年生にとって、悩ましい選択だろう。
【大学進学をやめて育成でのプロ入りのワケ】
4年前に前者を選んだ西武の左腕投手・菅井信也だが、当初は山本学園(現・惺山)高校の志藤達哉監督と相談し、大学進学を考えていたという。
なぜ、本番直前に心変わりしたのだろうか。
「やっぱり育成のほうが(ドラフトに)かかるチャンスも増えるというか、支配下よりも可能性は高いので。大学に行ったとしても、4年後、必ずしもプロに行けるとは限りません。ケガをする可能性もありますしね。そういうことを考えて、行ける時に行きたいなと思いました」
もし大学に進んでいたら、今年はドラフトを待つ年だった。
実際には昨季支配下登録されプロ初勝利を飾ると、今季は開幕ローテーション入りするなど11試合に登板して5勝5敗、防御率3.58という成績だった。
4年前の決断は、正解だったと言えるだろうか?
「そう......ですねえ......」
歯切れの悪い返事だが、頭のなかで自問自答している様子だった。
「大学に行っていたら、結果、どうなっていたかわからないですね(笑)」
西武のチームメイトである隅田知一郎や武内夏暉のように大学球界を代表するエースとなり、1億円の契約金を手にしていたかもしれない。
「そうかもしれないので、何とも言えないですけど(笑)。でも支配下になって、今のところ一軍でも投げられているので、結果、よかったなって思っています」
【高校進学時は二択で山本学園へ】
人生の節目でどの道を選ぶか。菅井が上の世界を目指す上で、大きな決断を迫られたのは高校進学時だった。
いくつかの誘いをもらい、最終的に絞った選択肢はふたつ。甲子園を狙える可能性の高い日大山形か。
ひとつの手引きになったのは、のちに西武でともにプレーする先輩投手の存在だった。
「自分が高校に入る時、山本学園出身の粟津(凱士/現・西武打撃投手)さんがドラフトにかかるかもしれないという時期でした。それと社会人や大学で活躍しているピッチャーが出ていて、『志藤監督は育てるのがうまい』と地元の先輩に聞いて選びました」
山本学園に進んで大きかったのは、自分で考えて取り組む環境が整っていたことだ。練習では、足りない点を自身で探し求めるように促された。志藤監督は「これをクリアしたら、次はこれ」とうまく導いてくれた。
高校3年間で球速が20キロ速まり、最速143キロに達したことでスカウトの目にとまったと菅井自身は考えている。
一方、急成長の裏で体づくりに苦労した。
「志藤監督から、『細いから、とりあえず食べろ』と言われました。一気に食べられなかったので、おにぎりとかを授業の終わりの間に食べたりして。頑張って、夜ごはんをいっぱい食べました」
高校3年間で10キロ増量し、ドラフト時には182センチ、75キロに。そうして西武がポテンシャルを見抜き、2021年育成3位で入団した。
【大きかった内海哲也との出会い】
入団1年目に二軍で3試合の出場にとどまったのは、高校3年の夏から左肩を痛めていたことが関係している。
「治るかなと思ったんですけど、プロに入ってからもなかなか治らなくて。で、治ったと思ったら、今度はコロナにかかっちゃって......。うまく投げられない1年間でした」
もどかしい時間だったが、ケガをしたことで自分自身と向き合えた。
「上半身のトレーニングは、高校の時はあまりやってこなかったので。肩甲骨回りの筋力をつけたり、動かし方を覚えたり。トレーナーさんと鍛えながら勉強したので、もし今、状態が悪くなりそうになったとしても、耐えられるかなという知識はつきました」
菅井と話すと落ち着いた印象を受けるが、球団関係者によると、入団当初は自分を表現することがあまり得意ではなかったという。
そんな自分をどうコントロールするか。その課題に向き合ううえで、大きな出会いがあった。入団1年目にはチームメイトとして、そして2年目以降はコーチとして支えてくれた内海哲也(現・巨人投手コーチ)の存在である。
「自分の状態がよくない時も、内海さんは話をいろいろ聞いてくれました。そういう際の対処法というか、心の持ち方を教えてくれて。僕は感情を表に出すタイプではないので、『出したほうがいいよ』と。
菅井は自他ともに認める、頑固な性格だ。自分を強く持っているが、他人の声に耳を傾けにくいという気質もある。そこにうまく入ってきてくれたのが、21歳上の内海コーチだった。
「練習にいろいろつき合ってもらいながら、僕が自分の意見を言ったり、内海さんの意見も聞いたりしました。そういうやりとりを繰り返したことで、内海さんのアドバイスをうまく受け入れられたのかなと思っています」
【大卒の人には負けたくない】
同期で同学年の羽田慎之介、黒田将矢と切磋琢磨し、2024年6月には彼らと同じ支配下に昇格。そして同年7月15日のオリックス戦で先発し、ふたりよりも先にプロ初勝利を飾った。
入団4年目の春季キャンプを前に、掲げた目標は開幕ローテーション入りだ。そのために目指した球速アップは果たせなかったが、変化球でカウントをとれるようになり、スライダーの曲がりを大きくすることもできた。昨年からバイオメカニクス担当の武隈祥太氏に教わり、感覚的にしっくりくるようになってきたことが大きい。
今年定期的に先発マウンドに立つようになり、初めて感じていることがある。プロで生き抜く大変さだ。
「一軍は中6日で回ることがふつうじゃないですか。
開幕ローテーション入りした4月は中6日で回ったが、5月以降は登板間隔が空いている。西武には今井達也、髙橋光成、隅田、武内らドラフト1位組を中心に力のある先発陣が多く、簡単に登板機会を得られなくなった。 それだけに、菅井はチームメイトたちにライバル心を燃やしている。
「ドラフト1位だけではなく、全員に負けたくないですね。特に、大卒の人には負けたくない。大卒の人が活躍しがちなので、もっと高卒の人たちで頑張りたいと思います」
過去に下した決断を正解にできるかは、すべて自分の頑張り次第だ。大学経由では絶対にできなかった経験と出会いを糧に、菅井はプロ入り5年目の2026年、先発ローテーション定着を目指していく。