現役時代に広島カープなどで人気を博し、引退後は解説者や指導者としても活躍した高橋慶彦さんに、広島入団時の思い出やスイッチヒッターになった経緯を聞いた。昭和の時代の野球界から、恩師・古葉竹識監督の特別な能力まで、包み隠すことなく朗らかに語ってもらった(聞き手・上重聡さん)。

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上重聡(以下、上重)さあ、始まりました。今回のゲストは高橋慶彦さんです。よろしくお願いします。

高橋慶彦(以下、高橋)ちょっとおかしいよ。

上重 おかしいですか。

高橋 普段(仕事以外で)しか会ってないからさ。ちょっとおかしいね。はい、始まりましたとか、やめてくれる(笑)。

上重 本当に大変お世話になっておりまして、食事、ゴルフ、旅行なんかもご一緒させていただいていて。逆にお仕事が、初めてなんですよね。

高橋 初めてだからちょっと、変な感じ。笑っちゃうもん。

上重 本当によくしていただいて。

スタッフ いつ頃からのご関係ですか。

髙橋&上重 (出会ってから)4、5年ですよね。

高橋 性格もよく分かったし。

上重 一緒にゴルフをする時ですね。

高橋 怒る時もあるんだなって。(みなさんは)怒ったとこ見たことないでしょ。結構あるから!

上重 そこも見ていただいています。本当に、かわいがっていただいておりますので、今日は楽しみにしています。さあ、慶彦さん、まずは広島東洋カープに加入するところのお話を伺います。当時のカープはどんな雰囲気、どんな感じでしたか。

高橋 昭和50年に入団。

俺、生まれは北海道で、育ちは東京。それに俺、プロ野球に興味がない。だからカープ自体、あまり知らなかった。それで入団した瞬間、皆さんがパンチパーマで、あ、ちょっと違う雰囲気だなと。まず、言葉でやられて。われ、おどれ、かばちたれるなや、とか。

上重 広島弁ですよね、いわゆる。

高橋 そう、でもね、今は結構広島で使うようにしてんのよ。楽しいし。でも「かばちたれるな」って言われた時、「は? かばちって何ですか」と訊いたのよ。そしたら、「われ、それがかばちや!」と(笑)。印象深いね。

(※編集部注:広島弁で屁理屈を言うな、の意)

上重 当時、映画の『仁義なき戦い』は、もうあったんですか。

高橋 あった、あった。有名やもんね。でも、チームのイメージは、あんまりなかったんだよな。

上重 知っていた選手を見て、うわ、あの人だ! みたいなことは?

高橋 ない。だって、プロ野球に興味がないんだもん。もともとは俺、阪神ファンで。安藤統男さんのファン。それでも阪神もそんなに知らないし。中学校時代は上田次朗さんのファン。

上重 アンダースローの。

高橋 そう、中学校の時、アンダースローで投げてたぐらいだから。

でも、カープは28番の衣笠祥雄さんぐらいしかないのよ、イメージが。

【当時のカープは「昭和のなかでも本当の昭和」】

上重 慶彦さん、高校の時はピッチャーですよね。で、カープに入る時は?

高橋 野手。ピッチャーの道を断って。だから、盗塁もしたことがなかった。ただね、(チームの最初の)印象としては、みんな、おっさんやったね、当時。マジで。

上重 確かに当時の写真を見ると、ザ・昭和っていう感じの。

高橋 昭和のなかでも、本当の昭和(笑)。近鉄、カープ、阪急、ここは似ている感じがするんだよな。

上重 言わんとしてることは分かります。

高橋 今の野球選手って、すごいスマート。でも、俺たちの時は、おっさんっていう感じだったね。

上重 (当時の)ユニフォーム、ゴムパンツですか?

高橋 ベルトレス(ベルトのないユニフォーム)。

上重 止めているのはヒモですか?

髙橋 そう、だから太った人はめくれるやん。水谷(実雄)さんとか(笑)。俺なんかは痩せてたからベルトじゃなくてもよかったけど。

上重 入団当時、カープのレベルはどのように感じましたか。やれるな、と思いましたか? それとも、とんでもないところに来たなと感じましたか?

高橋 とんでもない。自主トレの時は、みんな適当にやっているのよ。広島県営球場で。自主トレといっても、今と違って、合同自主トレ。そこではみんな、だらだらやってるんだけど、キャンプに行った瞬間、みんなの動きが変わるわけよ。あ、俺、1年でクビになるなと思ったね。

上重 それぐらいレベルが違うなと。

高橋 全然違う。なんでこんなに球が曲がるんやと思ったもん。それから内野フライが高いやん。高さが全く違うんやから。そんな世界やったね。

上重 1年でクビになるんじゃないかと。

高橋 思った。ただその時、古葉(竹識)さんが守備走塁コーチで、「慶彦、足だけでも飯が食えるんだぞ」と言ってくれたんよ。(入団後)すぐに。それで、ちょっと方向性ついたかな、と。

上重 自分の持ち味、特長を生かそうと。では、スイッチ(ヒッターになったきっかけ)は? 

高橋 古葉さん。(自分が)19(歳)の時に。

上重 それはやっぱり、足を生かすためにですか?

高橋 古葉さんがあとで教えてくれたんだけど、(巨人の)柴田勲さんを見て、スイッチヒッターはいいなと思ったらしい。それだけよ(笑)。

【スイッチヒッターには誰でもなれる】

上重 でも、相当練習されましたよね? だって左打ち、初めてですよね。

高橋 そう。ただ、山本一義さんという、すごい厳しいコーチがいて、(その指導のおかげで)右は2割8分ぐらい打ったんよね、1軍でも。右は完成したからね、ある程度。それから、スイッチに変えろと古葉さんに言われた時に、いいですよと。古葉さんは親父みたいなもんやったから。でも、(左で)パって構えた瞬間、「え、え、ここどこ」っていう感じ。

上重 景色が違いましたか?

高橋 身体が動かない。振ったことないんだもん、一回も。うわ、どうしようか、と。まったく振れないから。それで、こう考えることにした。10歳から9年間バットを振ってきたので、その9年分を1年でやればいいなと思ったわけ。

上重 そこまでは9年間、右でやってたわけですよね。

高橋 そう。その9年分を、左では1年でやればいいと思った。数字に変えた方が楽になったね。

上重 言うのは簡単ですけど......。

高橋 いやでも、俺はコーチも監督もやったからわかるけど、選手達に今日、何をしたと訊いたら、携帯見てたとか、グレーゾーンがすごい多いんよ。だから、そのグレーゾーンを全部なくしたら、(練習の)時間がもらえるから。例えば、相手チームが試合の前に練習するとき、俺はずっとティー(バッティング)していた。

上重 時間は限られている。でもグレーな時間をなくして、やらなきゃいけないことだけで時間を埋めていけば、濃密な時間だけになるってことですね。

高橋 ただ、24時間でも足りない感覚だった。それでずっと振ってると、最初は右ってこうだったから、左ってこうかなと。不細工な振り方なんだけど、ある日突然、ちょっと待って右でこうやろ、じゃ左でこうか、と。スイッチが入る。

上重 だんだん感覚が合ってくる。

高橋 それで俺は一番易しい方法で打ったの。バットを短く持って、ベースにひっついて、下ろせば当たる感覚で。最初はね。

上重 よりシンプルに。

高橋 それしかできないんで。だから綺麗に打とうとかじゃなくて、ベースにひっついて、バットを短く持って振る。どこを狙うとかじゃなくて、打てばどこかに飛ぶだろうなと。

上重 とにかく当てて、飛んでくれと。

高橋 そう。スイッチ(ヒッター)には、誰でもなれるからね。

上重 誰でもなれますか?

高橋 なれる。

【時間、やる気、場所の3拍子が揃っていた】

上重 その覚悟とそれだけ(の練習量を)やれば、力になり、自信になり、ということですか。

高橋 ゴルフでも、そうやろ。打つ時にキャディさんに右、OBですと言われたら、ビビるやろ。野球でもそうだけど、練習は何のためにする?

上重 自分は自信をつけるためにやってたなと思います。もちろん、レベルアップのためでもあると思うんですけど。

高橋 そうだよね。最終的には、自分を信用するためなんよ。どれだけ自分を信用できるか。だから練習は繰り返しやるし、刷り込んでいく。

上重 確かに10回やって5回しかできなかったら、信用できないですもんね。10回やって10回できるようになれば、自分を信用できますよね。

高橋 「まな板の上の鯉」という言葉があるやん。うちらカープやから、ほんとは言ったらダメなんやけどね(笑)。カープは鯉だから。まあでもその意味は、にっちもさっちもいかないってこと。だから、その状態になったらいいわけよね。どうにでもしてくれと。自分で打席に立って、もうすることはありませんと。そういう状態で打席で自分を信用できたら、結果が出るかもしれない。

上重 この言葉は、やった人じゃないと言えないですよね。やっぱり、慶彦さんはそれだけやられたということですよね。やるしかなかったところもありますよね。

高橋 そう。一番よかったのは、給料が少なかったんや。本当なんよ、これ。

上重 それは当時のプロ野球全体がですか?

高橋 特にカープは弱かったから。今はお金がたくさんあるけど、当時はなかったから、月に10万よ。グラブ買って、バット買ったら、手取りが2、3万しかないわけね。そしたらもう、外でご飯を食べたらなくなるやん。だから、時間がある、やる気がある、場所がある。三拍子揃ってた(笑)。

上重 練習するしかないと。

高橋 そう。

上重 お金があったら、ちょっと遊び行こうかなって。

高橋 そう。そういう(練習に打ち込める)環境が作られていたよね。逆に。

上重 やるしかない環境だったんですね。では、古葉監督ってどんな監督さんでしたか? 我々にはやっぱり珍プレー好プレーの柱から顔を出すイメージしかないんですけども。

高橋 厳しい監督よ。今だったらダメだよね、蹴飛ばしたりするわけやから。

上重 温厚なイメージでしたけど......。

高橋 (即座に)そんなことありません。そんなことありません(笑)。コバ・スマイルって言うけど、嘘ですからね。嘘です。

上重 スマイルは本当でした?

高橋 俺たちには違うからね。

上重 そうですか。厳しかったですか、やっぱり。

高橋 厳しい。色紙に「耐えて勝つ」って書いていたんだけど、それを見た俺たちは、「耐えてんの、俺たちやろ......」と(一同爆笑)。

上重 古葉さんからの厳しさに耐えてんの俺たちだよ、と。

高橋 でも、優しいんだよね。

上重 その裏返しというか。

高橋 だから、どう取るかだよね。野球の基本とか、やり方とか、守備位置とか、試合の流れ、相手ベンチとの読み合いを全部、古葉さんに教わった。

上重 そうですか。

【ボーンヘッドにはめちゃくちゃ厳しかった】

高橋 (将棋の)藤井聡太さん。あんな感じ。

上重 いや、藤井さんは厳しくないです(笑)。すごく温厚で優しいじゃないですか。

高橋 将棋を打つ時に、下手が打ったら、ヘボ将棋や。

上重 勝負に対しては厳しいってことですか。

高橋 厳しいし、どうやって駒を使うか。野球も駒を使うわけや。どんなチームでも使える人数は決まってるわけやから、それをどう指していくか。見せ駒を見せながら、そっちのその駒を使ったら、これが出てきますよ、どうしますか、とやりながら駒を打っていく。だから、セ・リーグは将棋なんよ。DH制がないから。DH制って、相手との心理の読み合いをしなくて済む。打つばっかり、攻めるばっかり。だから、セ・リーグにおける古葉さんっていうのは、藤井聡太さんみたいな名将棋打ち。

上重 相手の展開を読んで、その駒をどう活かしていくのか。

高橋 星野(仙一)さんの場合は、「どやあっ!」と力でくる。「取れるものなら取ってみろ!」って感じで。

上重 古葉監督はどちらかというと緻密な野球でしたか?

高橋 ものすごく。

上重 きっちりした野球?

高橋 だから俺は守っていても、相手ベンチの代打、ピッチャー、イニング、点差など、全部頭に入れて野球をやっていた。

上重 じゃ、ボーンヘッドみたいなことに対してはめちゃくちゃ厳しかった?

高橋 すごい。やばい。ベンチに帰りたくない。相手のベンチに行きたいなあってなる(笑)。

上重 相手のベンチに行っちゃダメです。

高橋 自分でわかるんだよ。やっちゃったなあって。逆に仕方ないことには、怒らないんだよね。でも、自分でひとつ考えればできることをやらなかった時は、やばいね。一番最初、ショートに入った時、「(試合中に)ボールから目を切るな」と言われたんよ。なのに、パッてよそ向いていたら、ベンチから「オラー!!」って。

上重 古葉さん、そんな声を出すんですか。

高橋 出すよ。「うるぁ!!」と怒鳴られて、ビクッとして。あ、目を切っとったわ、と気づくんよ。

上重 見てるってことですね。

高橋 ずっと見てるわけよ、俺のこと。だから、目を切っちゃいけない、目を切っちゃいけない、目を切っちゃいけない......。それがずっと頭の中にあるようになると、目を切らなくなる。すると、いろんなものが見えてくる。ショートをやっていて、後ろはこう、風がこう、向こうはこう。このバッターの足がどうで、うちの外野の肩はどうと。まずひとつのことができるようになると、それからどんどんどんどん膨らんでいく。

上重 まず無意識にそのことができるようになったら、どんどんいろんなことができるようになってくると。逆に褒められたことは?

高橋 ......。

上重 なさそうですね(笑)。パッと出てこないですもんね。

高橋 ないな。

上重 でも、慶彦さんに愛情というか、もっとできるだろうという古葉さんの思いがあったのではないですか?

高橋 愛情は感じていたね。すごい。褒められたら怖い、逆に。もし、「慶彦、よくやったな」と言われても、いやいやいやいやいや、そんな言葉は要りませんからってなる。まあ、やって当たり前だったよ。俺たちのチームは、ゴルフセット(みたいなもの)だったから。ピッチャーを除いて8本のクラブで戦うんだけど、ドライバー、ピッチング、セブンアイアン、スプーン、パター、クリークとか。その職人の集まりだったから。途中から怒られることはなくなったね。

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