【短期連載】証言・棚橋弘至~上村優也インタビュー(前編)

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 2026年1月4日の東京ドームを最後に、現役を引退する棚橋弘至。長きにわたり"新日本の顔"として黄金時代を築いたその背中を、次世代のレスラーたちはどう見てきたのか。

なかでも次期エース候補として期待がかかる上村優也が見た棚橋弘至とは。

【証言・棚橋弘至】「家ではどんな生活を送っているんだろう?」...の画像はこちら >>

プロレスを伝えることへの執念】

── 来年イッテンヨン(1月4日、東京ドーム)での引退に際して、棚橋弘至選手とゆかりのある人たちにお話を聞くシリーズ企画ですが、"後輩プロレスラー"は上村さん、ただひとりです。

上村 僕がプロレスをしっかりと見始めたのは2010年からなので、あまり昔のことはわからないですが、よろしくお願いします。

── 上村さんが最初にプロレスに触れたのは、どういうきっかけでしたか?

上村 たまたま夜中にやっていた『ワールドプロレスリング』を見たんです。2009年のG1 CLIMAX優勝決定戦の真壁(刀義)vs中邑(真輔)で、初優勝した真壁さんが「サンキューな」と試合後に言ったのを見て、「プロレスって面白いな」と思いましたね。時期的には、翌年(2010年)のイッテンヨン東京ドームのメインが中邑vs高山(善廣)という頃でした。

── 当時は「新日本のなかから誰が頭ひとつ抜けて出てくるんだ?」という状況で、そこは現在の新日本と重なる部分がありますよね。

上村 棚橋さんが新日本のエースという形になったのは、そのあとの2011年くらいですからね。

── さっそくですが、棚橋選手はなぜ新日本プロレスのエースになったと思いますか?

上村 常にプロレスのことを考えていたからだと思います。試合を一生懸命やるのは当然ですけど、プロレスをどうやって世の中に伝えていくかということも考えていて、プロレスを知らない人たちに、「今のプロレスはこうなんですよ」というプロモーションなど、本当に休む間もなく稼働されていました。その熱意がファンの方たちにも伝わって、エースという存在になったんじゃないかなと思います。

── エースとなるような行動を誰よりもしていたと。

上村 しかも棚橋さんはリング上でもIWGPヘビー級のベルトを最多戴冠していますし、活躍していましたからね。

僕が強烈に印象に残っているのは、東日本大震災の直前の仙台の会場でのシーンなんです。棚橋さんがIWGPヘビー級王座を初防衛したあと、リングサイドのお客さんと次々にハグを交わしている姿を見て、「こんなにもファンから求められる存在なのか」と、まさに"ピープルズ・チャンピオン"だと感じました。どうすればプロレスが盛り上がるのか、どうすれば「棚橋弘至」というプロレスラーが輝くのかを常に考えていたからこそ、新日本のエースというポジションをつかめたのだと思います。

【棚橋弘至=ベビーフェイスの象徴】

── 「オレはそこまでのことをやっているんだよ」ということは、ファンだけじゃなく新日本の内部にも示されていますよね。

上村 そういう部分も大きいのかなと思います。僕は今、プロモーション活動を行なっていますが、それは棚橋さんになりたいから始めたというわけではありません。ケガで欠場をしていた時に試合以外で何かできることはないかと考えて、できることはやろうと思ったのがきっかけでした。

── 自らPRをやりたい。

上村 やっていて思ったことは、プロレスというもの自体はほとんどの方が認識しているんです。そこで僕が大事だなと感じたことは、「今のプロレス」を伝えるということ。今のプロレスに興味を持ってもらって、会場に足を運んでもらうことが重要だなと。プロレスはちょっと野蛮なものという昔のイメージ、とくに女性の方にとっては怖いイメージもいまだにあると思うんですけど、そういった認識を変えたいですし、僕なら変えることができると思って自信を持ってプロモーション活動をやっています。

── 棚橋弘至になりたい気持ちはないけど、結果、棚橋選手がたどった道を進んでいる。

上村 棚橋さんを意識してやり始めたわけではないので、棚橋さんになりたいとも、なれるとも思っていません。あくまで自分のやり方で、自分の思う理想のプロレスラー像をつくり上げていきたいんです。もともと、考えるよりもまず行動するというタイプなので、欠場中だけじゃなく、復帰してからも試合のプロモーションなどは積極的にやっていきたいです。

── 同じプロレスラーから見て、棚橋弘至はどういうタイプの選手ですか?

上村 とにかく全力で相手に向かっていく、何事にも全力を尽くすタイプの選手ですよね。ファンとして見ていた頃からヒーローでしたし、正統派のレスリングをするベビーフェイス。僕が思うに、今の日本におけるベビーフェイスのイメージって、棚橋弘至だと思うんです。「棚橋弘至=ベビーフェイス」という存在そのものという気がしますね。

【言葉ではなく闘いで証明する】

── プロレスにおいてベビーフェイスであり続けることは、じつは一番大変なポジションというか、反体制、ヒールのほうが絶対的にスポットライトを浴びやすく、注目されやすい存在ですよね。それはプロレスに限らず、一般社会においても。

上村 そうですね。

── ヒールだからルールなんて守らないよね、と(笑)。

上村 ベビーフェイスはリング外でも常にルールを守って、理想であり続けなきゃいけない大変さというのはあるかもしれないです。発言にしても、否定的なことは言いたくない。

── ぐっと我慢しちゃうというか。

上村 どんなことも全部飲み込んで、相手選手からの批判にもぐっとこらえながら、すべてリング上での試合で返す。ベビーフェイスとはそういうことなのかなと思っています。試合以外でも、見ている人をスッキリさせるような発言をするという方法もあるんでしょうけど、基本は僕自身がどうなりたいのか、その姿勢をリング上やバックステージで見せていきたいなと思っています。

 プロレスをもっと盛り上げたいっていうのは、プロレスラーなら誰もが思っていて、それはファンの人たちもそうなんじゃないかと思うんですね。それはもちろんのこと、僕はプロレスラーである以上は「強くなりたい」、「世界一のプロレスラーになりたい」と思っているので、そこに向かっていく姿勢を発信し続けていきたいです。

── プロレスを盛り上げたいという気持ちと同時に、自分のプロレスラーとしての夢も叶えたいと。

上村 その過程を見せていきたいと思っています。

── そういう考え方をしていること自体、上村さんは人としてベビーフェイスですよね。

上村 そうなんですかね? でも、僕も中学生の頃はけっこうまわりに迷惑をかけてきて、いまだに謝りたいと思うこともあるので、ずっといい子だったわけじゃないのかなと(笑)。それを経て、今の自分があると思います。

【本性をさらけ出した時に共感が生まれる】

── 新日本に入門後、棚橋選手と初めて対面した時のことは覚えていますか?

上村 はっきりとは覚えていないですけど、練習生時代は道場で生活をしていて、そこに練習に来られた棚橋さんの雰囲気は覚えています。

練習生にもやさしくて、かといってベタベタする感じではなく、ふとひと言声をかけてくれるイメージですね。道場から帰られる時に「お疲れさまでした!」と言うと、「がんばってね」というひと言を棚橋さんからもらっただけで、「ああ、がんばろう」って思えた。

 だから今は僕も道場に行ったら、若手に「練習がんばってね」となるべく声をかけるようにしています。あとは若手の頃から棚橋さんと食事に行く機会があって、そういうところでも「さすが棚橋弘至だな」って感じることが多々あって、やっぱり同席した人たちをすぐに魅了する、虜にするところがあるんですよね。

── 人に安心感を与えますよね。

上村 そうですね。だから逆に人前じゃない、普段の棚橋さんのことが気になりますもん。「家ではどんな感じで生活を送っているんだろう?」とか。

── ああ、それは思います(笑)。

上村 思いますよね(笑)。それは僕が棚橋さんから孤独というか、陰を感じる時があるからなんですよ。みんなの前ではそういうところを見せないようにはしているんでしょうけど、それでもたまに感じてしまう。

それも魅力のひとつだなと思うんです。

── すごくわかります。ただ明るいだけの人ではないですよね。

上村 だから、家の中に監視カメラを付けて、家族の方たちにどう接しているのか、ちょっと覗いてみたいですね。でも、たぶん"素の棚橋さん"よりも、表に出ている「棚橋弘至」のほうが強くなっていて、私生活でも無意識のうちに表の棚橋弘至に侵食されているんじゃないかという気がするんです。僕自身も「プロレスラー・上村優也」という存在に、私生活でも少し支配されている、コントロールされているように感じる時がありますから。

── でも、それがしんどいわけではないんですよね?

上村 全然苦ではないです。むしろ「そうあるべき」っていうふうに思っているので。

── むしろ、そうでありたい。エースの条件として「ずっとプロレスのことだけを考えている人」っておっしゃいましたもんね。

上村 逆にリング上ではその人の本性というか素の部分が出てしまうと思うし、そこをさらけ出した人がお客さんからの共感、支持を得られると思うんですよ。棚橋さんのプロレス人生もずっとそうだったんだろうと思います。

つづく>>


上村優也(うえむら・ゆうや)/1994年11月18日生まれ。愛媛県出身。今治工業高でレスリングをはじめ、福岡大学時代には西日本学生レスリング選手権のグレコローマンスタイル71kg級で優勝。大学卒業後の2017年4月に新日本プロレスに入門し、翌年4月にデビュー。21年、新日本LA道場へ武者修行。23年、Just5Guysのメンバーとして凱旋帰国し、24年にG1クライマックスに初出場。得意技は閂(かんぬき)スープレックス

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